人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

スブド❺ー人間的な、あまりに人間的なー

2017-03-23 00:05:34 | 秘教、その他団体
私がスブドから離れて26年にもなります。
この間、この奇妙な団体に本当の意味で向き合ったのは多分初めてだと思います。
何だか、うっかり関わるとあの禁断のフタが開いて、どんな災いを呼ぶものが飛び出すか分からない…パンドラの箱のように思えて…
しかーし…”ここにある”禁断の箱の中身には、何と計り知れない学びと気付きが眠っていることでしょう…。
という訳で、ほんのちょっと寄り道するはずが、中々終わらせてくれないのです。(何時終わるのか分からない)

バパの霊的進化論にまつわる教説というのは、入会する以前から知っていましたが、私はずっと何かの象徴だと思っていました。
コモン・センスを身に着けている者だったら、あんな人間モドキみたいなことを真に受けて現実の場で語られたりしたら、全くオカシナ事になるでしょう。
ところが…入会して一年ぐらい経った頃でしょうか、”誰某は植物的段階から動物的段階に移行したようだ…”この言葉を実際に聞いた時は本当に我が耳を疑いました。
その他、”我がスブド同胞会はようやく植物的段階に達した…”これは喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか…スブドの機関紙はスブド外秘扱いでホントによかった、と思いました。
もし、”私は真人間になりました”という人が居たら、”お勤めご苦労さん、出所おめでとう!”と言ってあげたらいいでしょうか(笑)
又、全国大会か何かで、ある会員はすぐ怒声を発するなど混乱に陥っているようでした。ラティハンの修練にはこういう事は付き物ですが、彼はこの教説に捉われる事でその問題が広がっているように見受けられました。
私はこの教説がその空気を支配しているのか、多くの人が本当の平安に導かれることなく、どこか戦々恐々としていて、落ち着かない状態になっているのを感知しました。(これは私自身もそうなっていたという事です)
多くの人は真の自分の依って立つところ、自己の帰趨点がどこにあるのか示されず、何処へ行くとも知れない魂の進化を目指しているようでした。
キリストやブッダに、神になろうとしているのか…だが、ホントは石ころか植物、動物だったとしたら…暗黒思想が周囲に漂う…
しかし…おそらくそういう人間には誰一人お目にはかかれないでしょう。私は人間にしかお目にかかれないハズなんです! そして自分自身にしかなれない…そうでしょ?
人間以下になるのと同じように、神とか人間以上のものになるというのも私はオカシイ事だと思います。
私は全く疑念の無い、至福そのもの、普遍性、魂の故郷といったものを目の当たりにしたことがあります。(スブド外のことだったので、会員にはあまり参考にならないかも知れません。又感じ方は人それぞれなのは言うまでもありません)
だけど、それはこの個我そのままの私がそうなった、という事ではないのです。つながっているという言い方は出来るでしょうが、そういうものに乗っかっている、それに包まれている、という感じなのです。これは正しく個我を超えているという事を言い表している訳ですが、もし個我の私のままがそうなるのであれば、その内実性は失ってしまうことになるのです。これは体験は無くともよく考えれば分かることです。
もっとも、このような事は今の私が言っているのであって、あの渦中にあった私には閉ざされていて、言い表せなかったのです。
そうなのです! 私がどうしてあの感覚を失ったようになったのか?…どうやらこの辺に理由が隠されていたようです。
私も周りの人々も個我の呪縛に捉われていたのです!
バパが説いていた霊的進化論には、おそらく低次の諸力から自由になって真の人間性に目覚める、という道標が据えられてあったのでしょう。
だが、私には容易くその教説に確固たる信仰のように捉われてしまう事自体が、内なる真我から外なるものに隷従させてしまう事を意味しているように思えました。
しかし…そのように見えたのは、覆いが被さった私自身の目からではなかったか?
人々は自我に捉われ、そこから脱出しようともがいていた…あの混乱した人もその叫びを訴えていたのでしょう…
あの奇妙な世界は、この世の縮図のように思われました。
あんなにも人間らしさがムキ出しになった世界を私は知りません…。
そして…”この世が終わらないうちに、ここから抜け出さねば…”そんな思いが過り出したのでした…。
コメント
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