私がスブドとの関わりの中で受けた学び、気付きというのは、そりゃもう、実に計り知れないものが有ります。
皮肉に聞こえる?…そうですね…皮肉かも知れない…逆説的です。
ただ、見たまま、思われたままの中にも、見えない導きというものを感じずに居れないものが有るのは確かな事なのです。
私はこのブログで、何度となく触れている幾つかのテーマ、それらはずっと私の内部に息づいているものなのですが、実はスブドとの関わりに依っているものも少なくないのです。
このことは改めてスブドに向き合うまでは、今まであまり気付かされなかった事です。
ただし、それらの多くはスブドから直接来ているのではなく、スブドに纏わるものへのある意味の反感、私にもたげてきた内的闘争(!)から浮き彫りにされたものだったのです。闘争という言葉は適切でないかも知れませんが…
例えば私はある時から人間の真実の有り様、人間の本質的なものを明らかにしたい、という思いに駆り立てられました。これはもうお気づきかと思いますが、”人間的な、あまりにも人間的な”霊的進化論、それに感染して同様な事態に陥っているのを目の当たりにしたところから私の内部に起こってきたものです。私はこの問題を主としてベルジャーエフ(私は彼ほどこの問題を追及し、そこに取り巻く諸々の障壁の超克を示した人間を他に知りません)に求めたのですが、これは昭和62年夏頃暫く念頭から離れていたものが突如浮上してきたものなのです。
しかし、私がハッキリ闘争的な事と結び付けて言葉にしていたのは、次のような事です。(これを知っているのは2,3の親しいスブド会員でしたが、それを聞いていた彼らの呆れたような表情が今も思い浮かびます)
スブドはその創始者バパ・スブーがそうであったように、イスラームというものがバックボーンにあるのは事実です。
だからと言って会員がそれに倣う理由など全く無いのであって、各人はその信仰も思想もそのまま、又特定のそうした依りどころが無くとも、自由にラティハンを受けられるのです。これはどの入門書でもそういう事を謳っている訳です。
ところが私の周りにお節介なイスラーム教=バパ教?のプロバガンダが表れ、(間接的とはいえ)改宗を迫るような言辞をするようになり、とてもうっとうしく感じ初めたのでした。(誤解して欲しくないですが、私は別にイスラームがキライという訳でなく、押しつけがましい言辞が大キライなだけです)これが私に直接向けられていたら、ただでは済まなかった!…かもしれない…
そしてこのイスラーム軍団(霊団)?に対抗すべく私に呼びさまされたものが、忘れかけていた神道を中心とした日本的霊性の復活なのでした。
それからずっと私の内に根付くことになるこの精神も当初は、本来のそれとは似ても似つかない、実に内的武装?を伴ったキナ臭いトーンで彩られていたものだったのです。
これを読んで、何とも私が”面白いゲームだかに首を突っ込んでいたのだなあ…”と思われる方も居られるでしょうが、ハイ、全くその通りです(笑)
本来的でないものに本来的でないもので対抗していたのです。
私の中の名伏(なふす)国防長官はこう息まいていました…
”わが軍は真珠湾のテツは踏むまい…先制攻撃は絶対にしまい…しかし、敵のアラブ軍が不可侵条約を犯そうものなら、容赦はしないつもりだ!”
そこで私は字和(じわ)陛下の次の”おことば”を彼に伝えました。
”朕は如何なることに直面しようとも、平和裡に事を進めることを希望する”
すると国防長官はこんな不気味な事を言い放ったのです!
”では、とっておきの”原始”爆弾をお見舞いして、無益な闘争を終結しましょうか!”
彼はおそらく、我々を超えた、とてつもないシロモノにゆだねようとしていたのかもしれません…
このように”霊的国防”という側面があった、私の中の日本的な道でしたが、忘れもしない平成の幕開けの時、”私が生まれ育った持前に息づいている霊性にもっと深く接木されねばならない”と突如、より精神を深化させる意識が芽生えたのです。
日本的な道、霊性とは神道とか特定の伝統的な道というよりは、普遍性、寛容性に根差したもののことです。
これは勿論、スブドから離れて”武装解除”した後でも、ずっと息づいているものです。
お気づきのように、私はこの4年もの関わりの中で、スブドにもバパ・スブーにも信頼を失ってしまいました。
だが、私は何とこの内的闘争から気付きを受けてきたことでしょう…
私がここで書いているのはあくまで私の観方、感じ方が反映されたものに過ぎないのは言うまでも無く、何が善で何が悪であるか、何が真で何が偽であるかは、あの全てを見通す目にゆだねばならないことでしょう…。
だが人が相対的にせよ、闇と感じているもの、悪、偽り、苦しみ…私はこのネガティブと思しきものの意味というもの、それと向き合う事で見えてくるもの…その闘争のプロセスは、その人に隠れされたあるものを呼び覚ませずに居れないことを痛切に感じています。
皮肉に聞こえる?…そうですね…皮肉かも知れない…逆説的です。
ただ、見たまま、思われたままの中にも、見えない導きというものを感じずに居れないものが有るのは確かな事なのです。
私はこのブログで、何度となく触れている幾つかのテーマ、それらはずっと私の内部に息づいているものなのですが、実はスブドとの関わりに依っているものも少なくないのです。
このことは改めてスブドに向き合うまでは、今まであまり気付かされなかった事です。
ただし、それらの多くはスブドから直接来ているのではなく、スブドに纏わるものへのある意味の反感、私にもたげてきた内的闘争(!)から浮き彫りにされたものだったのです。闘争という言葉は適切でないかも知れませんが…
例えば私はある時から人間の真実の有り様、人間の本質的なものを明らかにしたい、という思いに駆り立てられました。これはもうお気づきかと思いますが、”人間的な、あまりにも人間的な”霊的進化論、それに感染して同様な事態に陥っているのを目の当たりにしたところから私の内部に起こってきたものです。私はこの問題を主としてベルジャーエフ(私は彼ほどこの問題を追及し、そこに取り巻く諸々の障壁の超克を示した人間を他に知りません)に求めたのですが、これは昭和62年夏頃暫く念頭から離れていたものが突如浮上してきたものなのです。
しかし、私がハッキリ闘争的な事と結び付けて言葉にしていたのは、次のような事です。(これを知っているのは2,3の親しいスブド会員でしたが、それを聞いていた彼らの呆れたような表情が今も思い浮かびます)
スブドはその創始者バパ・スブーがそうであったように、イスラームというものがバックボーンにあるのは事実です。
だからと言って会員がそれに倣う理由など全く無いのであって、各人はその信仰も思想もそのまま、又特定のそうした依りどころが無くとも、自由にラティハンを受けられるのです。これはどの入門書でもそういう事を謳っている訳です。
ところが私の周りにお節介なイスラーム教=バパ教?のプロバガンダが表れ、(間接的とはいえ)改宗を迫るような言辞をするようになり、とてもうっとうしく感じ初めたのでした。(誤解して欲しくないですが、私は別にイスラームがキライという訳でなく、押しつけがましい言辞が大キライなだけです)これが私に直接向けられていたら、ただでは済まなかった!…かもしれない…
そしてこのイスラーム軍団(霊団)?に対抗すべく私に呼びさまされたものが、忘れかけていた神道を中心とした日本的霊性の復活なのでした。
それからずっと私の内に根付くことになるこの精神も当初は、本来のそれとは似ても似つかない、実に内的武装?を伴ったキナ臭いトーンで彩られていたものだったのです。
これを読んで、何とも私が”面白いゲームだかに首を突っ込んでいたのだなあ…”と思われる方も居られるでしょうが、ハイ、全くその通りです(笑)
本来的でないものに本来的でないもので対抗していたのです。
私の中の名伏(なふす)国防長官はこう息まいていました…
”わが軍は真珠湾のテツは踏むまい…先制攻撃は絶対にしまい…しかし、敵のアラブ軍が不可侵条約を犯そうものなら、容赦はしないつもりだ!”
そこで私は字和(じわ)陛下の次の”おことば”を彼に伝えました。
”朕は如何なることに直面しようとも、平和裡に事を進めることを希望する”
すると国防長官はこんな不気味な事を言い放ったのです!
”では、とっておきの”原始”爆弾をお見舞いして、無益な闘争を終結しましょうか!”
彼はおそらく、我々を超えた、とてつもないシロモノにゆだねようとしていたのかもしれません…
このように”霊的国防”という側面があった、私の中の日本的な道でしたが、忘れもしない平成の幕開けの時、”私が生まれ育った持前に息づいている霊性にもっと深く接木されねばならない”と突如、より精神を深化させる意識が芽生えたのです。
日本的な道、霊性とは神道とか特定の伝統的な道というよりは、普遍性、寛容性に根差したもののことです。
これは勿論、スブドから離れて”武装解除”した後でも、ずっと息づいているものです。
お気づきのように、私はこの4年もの関わりの中で、スブドにもバパ・スブーにも信頼を失ってしまいました。
だが、私は何とこの内的闘争から気付きを受けてきたことでしょう…
私がここで書いているのはあくまで私の観方、感じ方が反映されたものに過ぎないのは言うまでも無く、何が善で何が悪であるか、何が真で何が偽であるかは、あの全てを見通す目にゆだねばならないことでしょう…。
だが人が相対的にせよ、闇と感じているもの、悪、偽り、苦しみ…私はこのネガティブと思しきものの意味というもの、それと向き合う事で見えてくるもの…その闘争のプロセスは、その人に隠れされたあるものを呼び覚ませずに居れないことを痛切に感じています。