人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

スブド❶ー秘教か魔境か?ー

2017-03-13 10:58:54 | 秘教、その他団体
私はこれまで書いてきたように、様々な宗教的、精神的グループと接してきました。
何度かこのグループについて書こうと思い立った事が有ったのですが、躊躇するものが有り、中々踏み込めずにいたのです。
(二年前の五月に「全託か進化か」という記事でシンラツに?触れたことはあります)
その理由はそのことを書き表すことで、私がマトモな精神状態ではいられなくなるからです。
私があの団体に居た4年ばかしの間、それを天国と観るか地獄と観るかは人それぞれだし、その時々の思い入れにもよりますが、その団体の核ともいえるその修法、それを構成し、取り巻く”あまりにも人間的な人々”ともどもマトモでない訳が無い!のです。私はその渦中に居たのですから、常人で居られるはずが無いというもの…
という訳でこれを書くに当たっては、ある種の意志力、自制心?というものが必要です。
そして祈り心も…30年前の春、その団体の入門(オープンという)に際して”どうか主よ、試みに合わせないでください…”と祈ったように…

スブドなる団体のことを初めて知ったのは、意外に古く昭和54年の夏頃だったと思います。意外に…というのはその時分は、まだ探究心が旺盛だった頃で、目敏く、冒険心にも富んでいた私が直ちにそこに足が向いたとしてもおかしくはなかったからです。
図書館でその団体から刊行されていた本を見つけたのですが、この頃はその少し前、小池辰雄先生の福音集会に接した時のカルチャー・ショックから抜けきっておらず、神、聖霊の恩寵による魂の目覚め、救いについて何とも頷いていいものやら、念頭から離れていいものやら、アレコレと求め心、疑問などが頭の中で交錯している真っ最中なのでした。
そこへ、キリスト教的なもの以外にも、似たようなことを主張している団体が有ったではありませんか!…”確かに神の恩寵とか魂の覚醒の道とか書いてある。しかも、それはどうも一宗派に偏したものでなく、超宗派を謳っているらしい…これは私の内面に根差していたものを呼び覚さまさずに居れないではないか…”と当時の私は感じたものです。もしその本しか読んでいなかったら、私はそのまま予定調和の如くそのスブドに引き合わされていたことでしょう。
だが抜け目のない私は、その後、それ以外の情報をもいくつかキャッチしていたのです。
して、そのほとんどはスブドについて好ましくない事が書かれていました。曰く”スブドに入って精神がオカシクなった人が続出した…”、”スブドでは魔境に魅入られる…”、”スブドは邪霊の巣窟!” 又、紅卍字会きっての精神世界の博学?(二股だった)Kさんからも直接”どうもそうらしいこと”を聞いた事が有ります。
こうなると”触らぬ神に祟りなし”、迷わず却下とせざるを得ません。
そんな訳でこの団体の存在は長いこと私の念頭から離れていたのです。

で、スブドとはいかなる団体か?
インドネシア人のムハマッド・スブー(同会では”バパ”の愛称で親しまれている)にある日起きた、光の玉が彼の全てに照射し、内部まで深く浸透したという神秘体験を契機に始まったもので、意外に歴史は古く1930年代のことです。スブドで行われている修法はラティハンと呼ばれる、気功にも似た自動運動(自分の意志を超えた力により、ひとりでに体が動き出す)ですが、この体験がその元になっているそうです。
意外に…というのは(又出た!)この世界的に伝播している団体の存在が、インドネシア国外に知られるようになったのは、戦後50年代になってから、だからです。これには英国に伝わったことが大きな要因でしょう。英国における中心人物となったJ.G.ベネットはグルジェフの高弟だった人で、何をどう理解したのか、いつしか”スブドこそはグルジェフが残した道を継承、発展させる道に他ならない”という見解を持つに至ったのです。そしてベネットの多くの弟子たちは彼に従ってスブドに鞍替えして行ったのです。(その中には”あんな誇大妄想なんか信じるんじゃなかった…という人も居たはずです)
日本にはその数年後に伝えられたのですが、すぐ空中分解したそうです(勿論よからぬ事態に見舞われたから)
やがて再発足して今日に至っている訳ですが、どうもマトモに済む訳が無いと言えそうです。
私にはさして関心の無い、グルジェフの何を継承しているのかは定かでないですが、これだけは言えます。
”暗黒思想は確かに受け継がれている…”。その事を知るのはずっと後のことでしたが…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする