人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

見えないものが見えてきた

2017-09-14 16:44:22 | 現臨、ハタラキ
ブログを開始して丸三年が経ちました。
よくもまあ、テキトーなことを書き連ねてきたものだと思います(笑)
ある記事だけしか読まなかったら、これは一体何のブログだか分からないでしょう。
エ? ずっと読んでても分からない? ウン...私にも分からない(笑)
ただ、当初から何かに促されているのを感じていたのですが、より精神的なことについて触れる場合、それが書き続けていくことでより明らかに、有りやかになってきたということはハッキリ言えることです。
では ...それは一体、何なのか、明らかにハッキリ言おうではないかi...それは ...
言えないi ...それは自分にそういう感じになってきたということで、形に、言葉に表せられるということではないのです。
とにかく、ハタラキ、現臨 ...そういう風にしか言い表せないものです。
これがここでの見えざる焦点...というかこのものあってのもの、私なのですi
多くのスピでは、"宇宙とつながる"とか言うのですが...ウーン...ユニバーサルなもの(普遍)とつながっているとはいえ、いきなりバーンと宇宙的、全体的なものになる感じは私にはあまりないです(感じ方はそれぞれですが)。
じゃ、それは私も一時そう思っていたことがありますが、守護霊みたいなものか?
それは何らかのガイダンスには違いありません。といって、何かをしてくれる訳でもないですが、それが顕現してくるだけで"大丈夫"な感じになります。そしてそれ自体が導きとなります。あることが意識付けられたりするからです。
何にせよ、このものを一つの属性で言い表すことは困難なのです。
超越的であり、内在的であり、普遍的であり、個的であり、絶対他者であり、自分以上に自己そのものでもあり...ま、面倒くさかったらカミサマでもいいでしょう。神とはいわく言いがたいものなのです。(それが末節なところを取り去って、普遍的人類の共通認識になったら、あっというまに世界平和は実現されるでしょう...)
以上述べてきたことを踏まえれば、何度も言うように、"神、真我、導師は同義である"というラマナ.マハルシの言葉がいよいよと身に染み透ってくるのを覚えます。
このブログは、"こうすれば幸福になる...欲しいものが手に入る..."といった多くのスピでは、おなじみの願望実現系とはまったく無縁です。
何しろ私自身がリア充とはほど遠い人生を送っている次第なので、そのようなことフレ廻ってみたところで、説得力ゼロというものでしょう。
だけどねえ ...負け惜しみで言うんじゃないですが(半分くらいはそうかもしれない)、誰が何と言おうと、このものにある時幸福で居られるのですi
"それが臨んだとして、どうして幸福とつながるんですか、得られるんですか?"とは、多くの人が思うことかもしれません。いいや、それが臨むこと自体が幸福なのですi
"それはあまりに現実的でない、あなたの幻想なのでは?"という向きもおられるでしょう。
しかしですねえ ...人生で心の底に息づいているのは、細胞レベルのように身に覚えられているのは、自覚の有る無しに関わらず、これと共にあることなのです。
今、それを感じていることで、過去にも今にも時間を越えて息づいているということが分かります。これ以上現存するものはないと言ってもいいでしょう。それが私が、"現臨"と呼んでいる由縁です。
とにかく、私は自分自身の備忘録的なものとしても、何らかの伝達としても書いているのか、書かされているのかしている次第なのです。
いよいよ見えないものが現実化してくる、見えてくる、という感覚と共に...。
コメント
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