人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

苦しみなき悲しみ

2017-09-16 11:59:24 | 雑感
私は自分で思っている以上に多感な人間なのかもしれません。
周りの同年代の化石(見た目です)のような人たちを見るにつけ、そう感じてきます。
(ああ...私もいずれああなってしまうのだろうか ...悲しいことです。しかし、そうなった時おそらく悲しいと感じなくなることでしょう。これは幸福なことなのだろうか、それとも...)
ものすごーくクールなところもあるんですが...ロックコンサートとか皆が熱狂的になっている場に溶け込んだということがありません。
キリスト教の聖霊のリバイバル集会のような場でも、ハイ状態になったことがありません。
大体、躁状的なものにはほとんど反応しないようです。
ただ、一人鬱状態になったように、物悲しく一点を見つめていたりすることがあります。
こんな時、すごーく多感な状態になっていて、数日間続くことがあるのです。
これはどう言ったらいいのか、悲哀がともなっているのは確かなのですが、とても甘美なものも感じられ、苦しみは感じられません。
気分は沈鬱なものでは全くないのです。といって憂愁な気分なので、幸福感というものは当たらないですが、知らず知らずに愛に包まれているのは確かなことです。
これはあの"現臨に捉えられてしまうこと"に通じているのでしょう。
こういう時自分自身を取り戻したように感じられてきます。それは癒しなのです。
覚えている限り、最初にそういう状態になったのは、中学卒業時、片想いのコに思いを打ち明けられないまま、別れてしまったことが切っ掛けでした。
そのコのことが頭から離れられない ... というより、すべての悲しみ、哀れみ、愛おしさがそのコに結びつけられてしまう...ラジオから聞こえてくるニルソンの「ウイズアウト.ユー」が胸を締め付ける ...
(化石のような人にも誰でも経験あるでしょ?)こういう事というのは、絶対にその切っ掛けとなった相手のことのみからは生まれてきません。
ハートから呼び覚まされるものなのです。私はその時初めて知ったのです。
"僕には僕を超えた何かがある"と...愛については誰からも教わった事が無い...それは教わって分かるものでもなし...ふと胸の辺りが開かれて分かるもの...
同様の事が、それから一年の間に2、3度ありました。切っ掛けはある映画を観たことだったり、女性タレントに夢中になったことだったり、実に他愛の無いものです。
しかし...私には、人にはどんなに他愛の無いものでも、一大事になってしまうことがいくらでもあります。
ずーっと心の底に息づいていて、忘れることが出来ない ...実に大きな事ではありませんかi
そこには、恋愛感情とか映画を観た感動など、表層には様々な感情が入り雑じっているものですが、底の方ではあの現臨とともにある愛が染み出しているのを感じざるを得ません。それは時を越えて感じられるものです。
それは、それを得ようとしても、得られず、そうなろうとしてもなれないものです。そうして得た、そうなったと思った時、そこには無く、別のものに化けてしまうものです。
片想いしている時には感じられても、付き合っている時には...何かが違う...(そういうものなのでは?)
そこに苦しみというものは無くても、哀感というものがあるのは、得ようとしても得られない悲しみ、内にあるものが、外に表れることで何かが失われるという、悲しみが映し出されているのでしょうか?
それでも人は愛を求めずにはおれないものですね。
知らずに最愛のものに呼び覚まされるのでしょう。内なるものと外なるものが結ばれるまで ...いく世を通じても...
コメント
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