私は、自分の中に相反する性格が同居しているネコ人間。
とても目敏く、進取的になってるかと思えば、昔から愛好しているものをいつまでも忘れずに大切にしていたりしています。
休みの日とかは、ついつい原チャリ跳ばして、東武東上線、西武池袋線沿線とか、レトロな昭和の薫り漂う商店街に足を伸ばしてしまいます。
かつてその界隈で私は、純喫茶(死語i 不純な喫茶店てのがあったのか?)、古書店、中古レコード屋さん、というお気に入りの三社巡り?をしていたものですが、もうこの十数年のうちにそのいずれも廃れる一方になってしまったのは寂しいかぎりです。
私の中のレトロな昭和とは、こうしたものの思い出と共にあるのです。
しかしながら、いまだに頑なに昭和の"シキタリ"を守り通しているものがあります。
これを"旧態依然、進歩が無い"という向きもあるでしょうが、何であっても楽しけりゃいいのです。
形式というものはあっても、その中身、楽しいことには形がありません。
媒体は古くとも楽しいのは今i これが肝心...
ー円盤に"シュッ、シュッ"、ベルベット様(何かのスタンプではない)のものでそれを拭き取り、"さあ、ワクワク"、針を落としてプツン...
こういう儀式のあらましを言っても、若い人には、私がipadなどについてそう感じるように、異次元のことみたいに感じてしまうでしょうが、私は今でもアナログレコードを聴いているのです。
以前使っていたプレーヤーがイカれて数年ブランクがあったのですが、7年前のある日、むしょうにいくつかのLPレコードを聴きたくなったところ、たまたま安くプレーヤーが手に入り復活させることが出来たのです。
勿論CDを聴く時もあり、ブランクの期間は、致し方無く聴く音楽の傾向もそれに合わせたものになっていましたが、それ以来主流の傾向は元帰りするようになりました。
世にはアナログでしか聴けない音源というのも沢山あるのです。(しかし、それらのいくつかはyoutubeでフツーに聴ける。隠された、埋もれたものが表に顕れるオソロシイ時代になったものです)
CDが登場したのは、80年代の後半ぐらいでしたが、私が巷の在り方に便乗したのは、ようやく94年頃でした。それまで"誰があんなもの聴くかi"と意地になっていたのです。
"CDだとお...ヘンなものが、出てきやがったなあ...何、CDアルバムだとお...シングル盤より小さいクセに何がアルバムだよっi...何、裏が無いだとお...物事には表と裏があって成り立ってんだよ、そうでないと肝心なところがボカされたままじゃあないかi...収録20曲超i いつ裏返るんだ...まるで出口の無いトンネルだ、長いなあ..."
かように私は、CDについてはほとんどその有り難みを感じたことはありません。
といってもやはり聴く時もある訳ですが、ちゃんとA面、B面とに分けられているのです。(それがフツーなのでは?私だけか)
20曲入りでしたら10曲までがA面で、B面はその半分てな訳で、要するにアナログに則っているまでです。
そして原則一日に片面しか聴きません。これはやはり私の昭和の名物ジャズ喫茶(不純か?)に倣っているのです。(リクエストする時は、A、Bどちらかを指定する)
一日にイロイロなレコードを聴きたいですからね。20分ばかししたら、"プツン、ジジジジッ"てなって終わるのです。
それがCDときたら、中々終わらんi "途中で聴くのやめりゃいいだろ"って...
一度針を落としたら"プツン..."となるまでやめる訳にゃいかないでしょi
再生というのが始まったらどうしても...それは再生装置によってそうされるのではありません。
私の感性というもの無しにそういうことは起こらないのですi
雑音は多いが、クリアーに部屋中に広がる私のアナログ感性...
とても目敏く、進取的になってるかと思えば、昔から愛好しているものをいつまでも忘れずに大切にしていたりしています。
休みの日とかは、ついつい原チャリ跳ばして、東武東上線、西武池袋線沿線とか、レトロな昭和の薫り漂う商店街に足を伸ばしてしまいます。
かつてその界隈で私は、純喫茶(死語i 不純な喫茶店てのがあったのか?)、古書店、中古レコード屋さん、というお気に入りの三社巡り?をしていたものですが、もうこの十数年のうちにそのいずれも廃れる一方になってしまったのは寂しいかぎりです。
私の中のレトロな昭和とは、こうしたものの思い出と共にあるのです。
しかしながら、いまだに頑なに昭和の"シキタリ"を守り通しているものがあります。
これを"旧態依然、進歩が無い"という向きもあるでしょうが、何であっても楽しけりゃいいのです。
形式というものはあっても、その中身、楽しいことには形がありません。
媒体は古くとも楽しいのは今i これが肝心...
ー円盤に"シュッ、シュッ"、ベルベット様(何かのスタンプではない)のものでそれを拭き取り、"さあ、ワクワク"、針を落としてプツン...
こういう儀式のあらましを言っても、若い人には、私がipadなどについてそう感じるように、異次元のことみたいに感じてしまうでしょうが、私は今でもアナログレコードを聴いているのです。
以前使っていたプレーヤーがイカれて数年ブランクがあったのですが、7年前のある日、むしょうにいくつかのLPレコードを聴きたくなったところ、たまたま安くプレーヤーが手に入り復活させることが出来たのです。
勿論CDを聴く時もあり、ブランクの期間は、致し方無く聴く音楽の傾向もそれに合わせたものになっていましたが、それ以来主流の傾向は元帰りするようになりました。
世にはアナログでしか聴けない音源というのも沢山あるのです。(しかし、それらのいくつかはyoutubeでフツーに聴ける。隠された、埋もれたものが表に顕れるオソロシイ時代になったものです)
CDが登場したのは、80年代の後半ぐらいでしたが、私が巷の在り方に便乗したのは、ようやく94年頃でした。それまで"誰があんなもの聴くかi"と意地になっていたのです。
"CDだとお...ヘンなものが、出てきやがったなあ...何、CDアルバムだとお...シングル盤より小さいクセに何がアルバムだよっi...何、裏が無いだとお...物事には表と裏があって成り立ってんだよ、そうでないと肝心なところがボカされたままじゃあないかi...収録20曲超i いつ裏返るんだ...まるで出口の無いトンネルだ、長いなあ..."
かように私は、CDについてはほとんどその有り難みを感じたことはありません。
といってもやはり聴く時もある訳ですが、ちゃんとA面、B面とに分けられているのです。(それがフツーなのでは?私だけか)
20曲入りでしたら10曲までがA面で、B面はその半分てな訳で、要するにアナログに則っているまでです。
そして原則一日に片面しか聴きません。これはやはり私の昭和の名物ジャズ喫茶(不純か?)に倣っているのです。(リクエストする時は、A、Bどちらかを指定する)
一日にイロイロなレコードを聴きたいですからね。20分ばかししたら、"プツン、ジジジジッ"てなって終わるのです。
それがCDときたら、中々終わらんi "途中で聴くのやめりゃいいだろ"って...
一度針を落としたら"プツン..."となるまでやめる訳にゃいかないでしょi
再生というのが始まったらどうしても...それは再生装置によってそうされるのではありません。
私の感性というもの無しにそういうことは起こらないのですi
雑音は多いが、クリアーに部屋中に広がる私のアナログ感性...