こうしていつもブログを書いている訳ですが...正直こんなに続けられるとも、こんなに沢山の記事を書けるとも思っていませんでした。
「あなたは文章を書くことが得意なんですね」と何人かの人から言われたこともありましたが、得意なのか、巧拙はともかく好きなのは確かなことです。だから書いてる訳です。
しかし...昔のことを思い出すと、今こうして書いている自分のことが信じられなくなります。
私はホントに、ホントにものを書ける人間じゃなかったのです。
それどころか人と話すことも、フツーのコミュニケーションもままならなかったのです。
高校までの読書感想文とか、卒業文などを除き、人目につくような文章を初めて書いたのは、それは極めてマイナーな神サマ関係の雑誌に、人から執拗に促されて書いたものでしたが、大学4年の頃でした。
自分でも思いの外、スラスラと書けた記憶があります。こちらに書こう、表現しようという気があればそうなるのかなと思います。
それ以前となると...まあ、高校までですが、授業での感想文、詩などを書く時間はもう地獄のようでした。
一行すら書けない時もありました。大体私は国語での文章の読解力などもサッパリなので、書く方もままならぬのも当然です。
主語と述語とか対象語だとか言う...「風が心地よい」「日が眩しい」..."え...私は?"
「私は風に当たっている」「私は眩しいので、手で目を覆った」..."風やお日さんが無けりゃ、私がどうする、こうするもないだろi 何が主語だか述語だか分かりゃしないi"
要するに..."私は居るのかどうか分からない、風と日と私は分離してるのかどうかも分からない...そこには主体や客体というものがある訳ではなく、起こることが起きているだけではないのか?"
こういう訳の分からんような事態に陥っていたのは確かなことです。"私は"ですが...
こういうことを進んで分かろうとする人間の気が知れません。どこにも落ち着くところも、得心も、平安も無いのですよ。
思い返してみると、自分が居るのか、居ないのか分からない事態というのは、何かとても重い思念に囚われてしまう状態のような気がします。
で...高一の頃、確か学力試験か何かで、惨憺たる有り様で文章を書かされた後、担任の先生と面談がありました。
中一の時面と向かって「アンタはハッキリ言ってバカなのよi」と言われたことが過りましたが...「君はねえ...何て言うのか...頭がわる...くはないi...一概にそう言えないね。いや、むしろ...君は考えが先走り過ぎている、頭が良すぎるとこがある。もっと自分の気持ちに素直になったらいいんじゃないかなあ...」
その時はこのH先生が救世主のように感じました。僅か一年だけのお付き合いでしたが、小学校からを通じても"私のことを理解してくれそうな先生"として記憶に残っています。
「僕は案外バカではないのかも知れない」ともかく、それで劣等感から救われたようでした。
しかし、極度の考えすぎ、自意識過剰は依然として続いていました。
というか、それらは物心付いた頃からずっと私には、言うに言われない周囲とシックリ行かないという問題を抱え込んでいて、どうもそこに淵源があるようなのでした。
このガンジガラメ状態に風穴が開けられ始めたのは、先の大学4年の頃の一年くらい前から宗教、精神的なことに関心を持つようになってからです。そして堰を切ったようにその関連の本を読むようになりました。
好きなことに意識が向かう、それを表したものに目が向かう...これは実に私の人生で大きいことだったと言わざるを得ません。
それは、元々私の内にあったものが表に出されたこと、又自分を超えたものに意識が向かう緒口だったと思います。
"何かを書こうとするんじゃなくて、自ずと書きたいようなことが出てくるではないかi" こういうことは読書経験を通じて導かれたのは確かなことです。
それは全くちっぽけな自分を超えて、元からある自分に目覚めるという宗教的な道に通じたものと言ってもいいでしょう。
先のH先生も「何でも好きなことを見つけるんだ、本でも読んでみたらいいよ...」と言っていたのでした。
「あなたは文章を書くことが得意なんですね」と何人かの人から言われたこともありましたが、得意なのか、巧拙はともかく好きなのは確かなことです。だから書いてる訳です。
しかし...昔のことを思い出すと、今こうして書いている自分のことが信じられなくなります。
私はホントに、ホントにものを書ける人間じゃなかったのです。
それどころか人と話すことも、フツーのコミュニケーションもままならなかったのです。
高校までの読書感想文とか、卒業文などを除き、人目につくような文章を初めて書いたのは、それは極めてマイナーな神サマ関係の雑誌に、人から執拗に促されて書いたものでしたが、大学4年の頃でした。
自分でも思いの外、スラスラと書けた記憶があります。こちらに書こう、表現しようという気があればそうなるのかなと思います。
それ以前となると...まあ、高校までですが、授業での感想文、詩などを書く時間はもう地獄のようでした。
一行すら書けない時もありました。大体私は国語での文章の読解力などもサッパリなので、書く方もままならぬのも当然です。
主語と述語とか対象語だとか言う...「風が心地よい」「日が眩しい」..."え...私は?"
「私は風に当たっている」「私は眩しいので、手で目を覆った」..."風やお日さんが無けりゃ、私がどうする、こうするもないだろi 何が主語だか述語だか分かりゃしないi"
要するに..."私は居るのかどうか分からない、風と日と私は分離してるのかどうかも分からない...そこには主体や客体というものがある訳ではなく、起こることが起きているだけではないのか?"
こういう訳の分からんような事態に陥っていたのは確かなことです。"私は"ですが...
こういうことを進んで分かろうとする人間の気が知れません。どこにも落ち着くところも、得心も、平安も無いのですよ。
思い返してみると、自分が居るのか、居ないのか分からない事態というのは、何かとても重い思念に囚われてしまう状態のような気がします。
で...高一の頃、確か学力試験か何かで、惨憺たる有り様で文章を書かされた後、担任の先生と面談がありました。
中一の時面と向かって「アンタはハッキリ言ってバカなのよi」と言われたことが過りましたが...「君はねえ...何て言うのか...頭がわる...くはないi...一概にそう言えないね。いや、むしろ...君は考えが先走り過ぎている、頭が良すぎるとこがある。もっと自分の気持ちに素直になったらいいんじゃないかなあ...」
その時はこのH先生が救世主のように感じました。僅か一年だけのお付き合いでしたが、小学校からを通じても"私のことを理解してくれそうな先生"として記憶に残っています。
「僕は案外バカではないのかも知れない」ともかく、それで劣等感から救われたようでした。
しかし、極度の考えすぎ、自意識過剰は依然として続いていました。
というか、それらは物心付いた頃からずっと私には、言うに言われない周囲とシックリ行かないという問題を抱え込んでいて、どうもそこに淵源があるようなのでした。
このガンジガラメ状態に風穴が開けられ始めたのは、先の大学4年の頃の一年くらい前から宗教、精神的なことに関心を持つようになってからです。そして堰を切ったようにその関連の本を読むようになりました。
好きなことに意識が向かう、それを表したものに目が向かう...これは実に私の人生で大きいことだったと言わざるを得ません。
それは、元々私の内にあったものが表に出されたこと、又自分を超えたものに意識が向かう緒口だったと思います。
"何かを書こうとするんじゃなくて、自ずと書きたいようなことが出てくるではないかi" こういうことは読書経験を通じて導かれたのは確かなことです。
それは全くちっぽけな自分を超えて、元からある自分に目覚めるという宗教的な道に通じたものと言ってもいいでしょう。
先のH先生も「何でも好きなことを見つけるんだ、本でも読んでみたらいいよ...」と言っていたのでした。