人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

あなたと私の世界平和

2018-05-01 11:34:17 | 雑感
この世には数多の宗教、思想というものがあります。
私自身も全く節操無いくらい、多くのそうしたものを知っているし、関わりもありました。
世間で宗教、思想遍歴と言われていることもしてきたのかもしれません。
しかし、ある時から、そういうものはもう、"これっきゃないi"という実感を抱くようになりました。
これがすべてなんであるi ここから始まり、ここを経巡り、ここに帰着せざるを得ないのです。
そうです。それは我が"見えざる師"よりもたらされた教えの他は無いのですi
救いも悟りもこれを置いてはあり得ないのですi
それ以外の教えはすべて間違っている...んな訳ないだろーっi
そうした思いこそがもっとも救いから遠い、度し難いザマと言えるでしょう。
この道は一つのものであり、すべてのものなのです。すべてというのは普遍に開かれているということで、この教え"のみ"が正しいということはあり得ようハズは無いのです。
いつも正しいこちら側があり、悪、間違いと見えるものは、こちらの都合よく消え去ってしまうというものでなく、それらは真なる、普ねきものとしてあるものをもたらす種としてあり、自他の調和のうちに化されてゆくようになるものでしょう。
それらはどこにも消えたりはしない...すべての不調和、悪と見えるものは、ものの本来性へと帰らざるを得ないでしょう。
それらに纏わる思いの方が消えてゆくのです。
見える師、見える教えでないので、他を隔てる何ものもありません。
"一つである"とは、あなたや私がこの世に一つとして同じ存在は居ないということでしょう。
ということは、あなたにとって一にしてすべてなる絶対的な教えとは、巷に数多ある教えからでなく、あなた自身の神から示されるということです。
それは元の神が世に出る、ということであり、キリストの再臨であり、ミロク下生であり、真我の実現であろう...
真の神、大本の神は、あなたの深部から表に顕れるのです。
「世界平和は、すべての宗教、思想界が名称は神だろうが、仏だろうが、キリストだろうが宇宙根源の神の意志どおりになったら実現するのだ」(出口王仁三郎)
"一にしてすべてである"ことは、あなたや私に真の神が顕れて、そのものとつながることは、一即一切...すべての世界にそれが及ぶということです。
五月の陽光を浴びつつ、もう、このジンジンと私のすべてを照らす光に預かり、"ああ、このまんま私のすべての世界が平和ならんことを"という祈り心が込み上げてきてなりません。

日本海の向こうでは歴史的なことが行われたようですが、ヴァーチャルなものを観ているようで、どうしても素直に喜ぶことは出来ません。
しかし、昨日ありし日の昭和天皇の映像を観ていて、私の中に連面と流れている見えない大統なるものが揺さぶられたのか、思わず涙がこぼれたことは確かな実感がありました。

コメント
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