先日の仕事仲間との会話
「あなたは何でもブログを書いているようですが、一体どういうことを書いているのですか?」
「それは、一口には言えませんが...人生は思われたままではないi 見えたままがそうなのではない、その裏には見えないものがイッパイ隠されていて...それが表に現れる...というようなことを色々な意味合いで書いているのです。この私という謎めいた人間を通してね...ふふふっ」
と、言ったら、普段からその人は私をそのように見ていたようですが、余計ミステリアスな人間の印象を与えてしまったようです。
そして「も少し詳しく教えてほしい、それは何かヤバイことに足を突っ込むことようなことなのか?」との問いに「ヤバイと感じるか、無上のヨロコビと感じるかどうかはその人次第でしょう。まあ、裏が表になるってーのは、夢と思っていたものが現実となり、現実と思っていたものが夢みたいになるようなことかな...ははは」と答えたら、何だか顔が引きつってしまったようなので、話はそれきりとなりました。
ずっと、読まれている方ならお分かりのように、ここでスピリチュアルに関することを取り上げる際、この界隈のある面で頻繁に見られるような、読み手に例えば、"死後の世界や霊界はどうなっているとか、誰それの前世はどうだったとか"など予見に基づいた先入観を与えてしまうような表現は、しないようにしています。
それでも、私自身が直接そこで実感したことは、なるべくありのままを表現出来る限り表させてもらっています。
勿論、それを信じる、信じない、受け入れる、入れないは読者の自由です。
私は何よりも、このスピリチュアルなものの"現実性"を重視しているのです。
この現実性について、予見に基づいた空想、妄想の出る幕などありません。
宗教やスピに、いつも様々な思いを巡らしているある人などは、自分の思いを、感情を無くせば、高次元の叡智みたいなものを得ることが出来る、などと妄想しています。
"じゃあ、やってみろi"
現実問題として、よほど強靭な意志の持ち主でない限り不可能なことなのです。何でこういう非現実的なことを言ってのけられるかと言うと、まさにそう思い描いているだけからです。
で、日頃習慣的にやってる行法に取り組んでいるうち、そのうち、そういう境地に達するだろう、と思い描き続けて、ン十年...もう還暦なのです。
現実は出来ないのです。そして、高次元の様相とかは、人伝に見聞きしているだけであって、自分は直接的には何も知らないのです。無知なんです。いや、自分は本当は何も出来ない、知らないという現実に気付こうとしないことが、本当に無知なことなのです。
この現実に気付かされるところから、スピリチュアルの現実が開かれるのです。
エラそうなこと言ってますが、出来ない、無知なのはこの私も同じなんです。この現実世界に生きているってことはそういうことでしょう?
こうなれば、ああなればったって、どうともならんではないかi そうだろ、人類の諸君i
ただ、私はその現実を思い知らされたから、人生の裏側の隠されたものが顕わになるという現実が開かれたまでなのです。
それは、どこまでもチッポケな私を超えたところからくる...超現実的なものです。
要するに...何にせよ、現実は受け入れなければならないのです。受け入れたら何かが始まる...
とかくスピには夢見のような、非現実的な色合いのものが付いて回るようですね。
しかし、本当に霊的な現実ほど、リアルなものは無いのです。
それは、多くの人間には自分の彼方にある、夢のようなお話のように思われているようです。
それが、この私に開かれるなんぞ、あんなことがこんなことになるとは...思ってもみなかったi
スピリチュアルの現実とは誰のことでもない、私の現実なのですi
「あなたは何でもブログを書いているようですが、一体どういうことを書いているのですか?」
「それは、一口には言えませんが...人生は思われたままではないi 見えたままがそうなのではない、その裏には見えないものがイッパイ隠されていて...それが表に現れる...というようなことを色々な意味合いで書いているのです。この私という謎めいた人間を通してね...ふふふっ」
と、言ったら、普段からその人は私をそのように見ていたようですが、余計ミステリアスな人間の印象を与えてしまったようです。
そして「も少し詳しく教えてほしい、それは何かヤバイことに足を突っ込むことようなことなのか?」との問いに「ヤバイと感じるか、無上のヨロコビと感じるかどうかはその人次第でしょう。まあ、裏が表になるってーのは、夢と思っていたものが現実となり、現実と思っていたものが夢みたいになるようなことかな...ははは」と答えたら、何だか顔が引きつってしまったようなので、話はそれきりとなりました。
ずっと、読まれている方ならお分かりのように、ここでスピリチュアルに関することを取り上げる際、この界隈のある面で頻繁に見られるような、読み手に例えば、"死後の世界や霊界はどうなっているとか、誰それの前世はどうだったとか"など予見に基づいた先入観を与えてしまうような表現は、しないようにしています。
それでも、私自身が直接そこで実感したことは、なるべくありのままを表現出来る限り表させてもらっています。
勿論、それを信じる、信じない、受け入れる、入れないは読者の自由です。
私は何よりも、このスピリチュアルなものの"現実性"を重視しているのです。
この現実性について、予見に基づいた空想、妄想の出る幕などありません。
宗教やスピに、いつも様々な思いを巡らしているある人などは、自分の思いを、感情を無くせば、高次元の叡智みたいなものを得ることが出来る、などと妄想しています。
"じゃあ、やってみろi"
現実問題として、よほど強靭な意志の持ち主でない限り不可能なことなのです。何でこういう非現実的なことを言ってのけられるかと言うと、まさにそう思い描いているだけからです。
で、日頃習慣的にやってる行法に取り組んでいるうち、そのうち、そういう境地に達するだろう、と思い描き続けて、ン十年...もう還暦なのです。
現実は出来ないのです。そして、高次元の様相とかは、人伝に見聞きしているだけであって、自分は直接的には何も知らないのです。無知なんです。いや、自分は本当は何も出来ない、知らないという現実に気付こうとしないことが、本当に無知なことなのです。
この現実に気付かされるところから、スピリチュアルの現実が開かれるのです。
エラそうなこと言ってますが、出来ない、無知なのはこの私も同じなんです。この現実世界に生きているってことはそういうことでしょう?
こうなれば、ああなればったって、どうともならんではないかi そうだろ、人類の諸君i
ただ、私はその現実を思い知らされたから、人生の裏側の隠されたものが顕わになるという現実が開かれたまでなのです。
それは、どこまでもチッポケな私を超えたところからくる...超現実的なものです。
要するに...何にせよ、現実は受け入れなければならないのです。受け入れたら何かが始まる...
とかくスピには夢見のような、非現実的な色合いのものが付いて回るようですね。
しかし、本当に霊的な現実ほど、リアルなものは無いのです。
それは、多くの人間には自分の彼方にある、夢のようなお話のように思われているようです。
それが、この私に開かれるなんぞ、あんなことがこんなことになるとは...思ってもみなかったi
スピリチュアルの現実とは誰のことでもない、私の現実なのですi