失恋、別離、死別...大切な人との別れ...
紛失、盗難...大切なものの喪失...
大切なものを失うことは、苦しく、悲しく、つらいことですね。
こんな時、周囲の人はよく、こう言います。
「忘れなさい、忘れることだよi」
こういう言葉が、どれだけ私に重ーくのしかかってきたことか...
"忘れられないi...忘れようとすると、どんどん思いがずるずると、深く引き摺られてゆく...あんたの頭と僕の頭を取り替えられないものだろうか?"
つらい、忘れたい...しかし、私の奥では、"忘れたくない!"と言っている声があるようだ...
宗教的な世界では、何時までも失った大切な人、ものを忘れず、思い続けていることを執着と捉えるものです。
確かに、こういう思いは"重し"となって心を苛みます。愛着を持った人に対しては、時に極端な例で、ストーカーのように歪んだ心情となって、負担をかけてしまうことにもなります。
自他の心を苛むことは、忘れるに越したことはありません。分かっちゃいるんだが...忘れられないことだってある...
"失くしてみて、初めてその大切さが分かる"とよく言います。
このことをじーっと、じーんと噛みしめてみて下さい。
今、あなたはその愛すべき人、ものと直接接してはいません。でも、そこで直接関わっていた時とは、その時には感じられなかった、異なる思いに浸らされているのを感じたことはありませんか?
それはその愛する対象のみから来るのではない...対象から切り離してみても、尚そこに感じられるはずのものです。
あなたのハートに尋ねてみて下さい。
そして、そこにはある意味、ある感じでの悲しみというものはあるけれど(この愛にある悲しみは、必ずしも思いを苛むものではありません)...苦しみは感じられない...執着というたぎるような思いからも解放されているのではないでしょうか? それはあの無限定の、神的な愛にも通うものがありはしないだろうか?
もし、この感じが分かるならば、執着的な思いも、この愛に化されることもあるということが知られるはずです。
このことを私の心を苛む、"忘れなさいi"という声に向けてみて...忘れようとする必要があるでしょうか?
否、忘れること、手放すことは出来ないのではありませんか? 元々あるもの、与えられているものは、無くす必要など無いのです。
そして、苦しみが離れてゆく、化してゆく...
私はこのことを、野良ネコの"ペロちゃん"を失ったことで示されたのです。
俗っぽい例では、好きなタレントに夢中になってて、ある時スキャンダルや結婚報道などを知って、"ずきゅーん...ああ、世界は終わったi"ということもあるかもしれません。
"ははは...居るんだなあ、妄想世界の住人てのがi...バカめi"
何を隠そう...私がそうなのだi(笑)
しかし、愛にあることに卑俗なことも、崇高なことも関係無いのです。"じーん、ああ..."これが肝心なのです。
ああ...純アリスさん逝くi あんまり有名じゃなかったけど、高1の時、私が初めて熱を上げたタレントさんでした...忘れていた?、一寸待って下さい、"忘れてませんi"
紛失、盗難...大切なものの喪失...
大切なものを失うことは、苦しく、悲しく、つらいことですね。
こんな時、周囲の人はよく、こう言います。
「忘れなさい、忘れることだよi」
こういう言葉が、どれだけ私に重ーくのしかかってきたことか...
"忘れられないi...忘れようとすると、どんどん思いがずるずると、深く引き摺られてゆく...あんたの頭と僕の頭を取り替えられないものだろうか?"
つらい、忘れたい...しかし、私の奥では、"忘れたくない!"と言っている声があるようだ...
宗教的な世界では、何時までも失った大切な人、ものを忘れず、思い続けていることを執着と捉えるものです。
確かに、こういう思いは"重し"となって心を苛みます。愛着を持った人に対しては、時に極端な例で、ストーカーのように歪んだ心情となって、負担をかけてしまうことにもなります。
自他の心を苛むことは、忘れるに越したことはありません。分かっちゃいるんだが...忘れられないことだってある...
"失くしてみて、初めてその大切さが分かる"とよく言います。
このことをじーっと、じーんと噛みしめてみて下さい。
今、あなたはその愛すべき人、ものと直接接してはいません。でも、そこで直接関わっていた時とは、その時には感じられなかった、異なる思いに浸らされているのを感じたことはありませんか?
それはその愛する対象のみから来るのではない...対象から切り離してみても、尚そこに感じられるはずのものです。
あなたのハートに尋ねてみて下さい。
そして、そこにはある意味、ある感じでの悲しみというものはあるけれど(この愛にある悲しみは、必ずしも思いを苛むものではありません)...苦しみは感じられない...執着というたぎるような思いからも解放されているのではないでしょうか? それはあの無限定の、神的な愛にも通うものがありはしないだろうか?
もし、この感じが分かるならば、執着的な思いも、この愛に化されることもあるということが知られるはずです。
このことを私の心を苛む、"忘れなさいi"という声に向けてみて...忘れようとする必要があるでしょうか?
否、忘れること、手放すことは出来ないのではありませんか? 元々あるもの、与えられているものは、無くす必要など無いのです。
そして、苦しみが離れてゆく、化してゆく...
私はこのことを、野良ネコの"ペロちゃん"を失ったことで示されたのです。
俗っぽい例では、好きなタレントに夢中になってて、ある時スキャンダルや結婚報道などを知って、"ずきゅーん...ああ、世界は終わったi"ということもあるかもしれません。
"ははは...居るんだなあ、妄想世界の住人てのがi...バカめi"
何を隠そう...私がそうなのだi(笑)
しかし、愛にあることに卑俗なことも、崇高なことも関係無いのです。"じーん、ああ..."これが肝心なのです。
ああ...純アリスさん逝くi あんまり有名じゃなかったけど、高1の時、私が初めて熱を上げたタレントさんでした...忘れていた?、一寸待って下さい、"忘れてませんi"