このブログは何かのためになるのかどうか分かりませんが、あまり波動の高いことは書いてないと思います。
私が書いているのですから...俗っ気が抜けきれない...俗な人間なもんで...悪いか?
昔から自分をどんどん高めよう、なーんてことは考えて生きてきませんでした。
自分が高きに達するとか、自分の波動が上がるとか下がるとか...一体どういうことなんでしょうか?
上がり下がりの激しい、ここ最近の気温の変動とか考えてたら、イチイチそんなこと気にしてられるかってんですi
世の中には波動に良いもの...音楽、映画、食べ物とかがあるらしい..."知らんわi"
(年のせいか血圧、血糖値の上がる食べ物は気を付けていますが...)
そういうものを選別しているだけで日が暮れる、人生が終わってしまうような話ではないかi
昔から私が好きなものと言えば...流血沙汰が付き物のプロレス(八百長が売り物)、ボクシング、スプラッターなどのグロ系とか、マジでコワイ(実話とか)のは苦手だけど、フランケンとかドラキュラとかが出てくるホラー映画、"くねくね"、"ウーッ、マンボi"とか非常に肉感をそそられるラテン音楽、勿論"あはん"の境地の"H"なのとか..."おお、趣味悪っi"...波動を下げたくない人、さっさと退場した方がいいですよi
私は要するに、好きなことに惹かれるままに生きてきたのですi あなたもそうなんじゃないの?
それとも、誰かが、世の中がそう言っている、あなたを高めるであろう、波動の上がること、モノを追い求めているのですか?
それがホントに自分がそうしたい、好きなことなのならともかく、そのために自分の感情を押し殺し、ホントは好きになれないのに無理にそっちに合わせようとして...ああ、ツカレる、ご苦労さんなことです。
いくら自分の波動が上がり、高きに達したとしても木石、生きている仏像のようになってしまっては意味がないではありませんか?
多分、それでは本当に自分の"最愛の人"、惹かれてやまないものに出会うことは出来ないでしょう。
私がそのようなものに出くわしたのは、多分好きなことが高じた、ということだと思います。
波動を高めよう、上げようとする人というのは、そうしないと自分が下がると思っているのでしょう。
だけど、あなたの頭の中の"より高いもの"は、あなたの足下であなたを支えている、あなたの土台、基礎よりも高きにあると言えるのでしょうか?
私にはずっと、見えざる私の最愛の人は、低きに降ってくるからこそ、あい見えることが出来るということが心象に焼き付いています。
この逆説の奥にあることは、"あの御方"はけっして上がったり、下がったり、増えたり、減ったり、弱まったり、強くなったりしないということです。
エレベーターのように上がったり、下がったりするのは我々の都合に過ぎないのです。
こっちがどうなったり、どうにかなろうとするのでなく、このものと共にあることが肝心なことなのではないでしょうか?
これは我々の本性のようなものであり、理屈抜きにそうならざるを得ないことなのです。
こう言ったからといって、私は、何でもかんでも自分の欲望の赴くままに自分の好きなことを追い求め、し続けたらいい、などと言うつもりはありません。
"自分にとっての適度"ということもあの御方がご存じなことなのです。
"愛、平安にある"という戒律ならぬ戒律により、無軌道に流れることは押さえられるのです。
私がいくら趣味が悪いと言っても、結構自分で言うのも可笑しいけど、哲学とか文学とか高踏そうな(?)こともかじっていて、貴族趣味なとこもあるのです。
それも好きでしていることなんですが...言えることは、こういう訳が分からん性向というのは、誰もマネが出来ないだろう、ということです。
あなたのことは誰もマネが出来ないように...。
私が書いているのですから...俗っ気が抜けきれない...俗な人間なもんで...悪いか?
昔から自分をどんどん高めよう、なーんてことは考えて生きてきませんでした。
自分が高きに達するとか、自分の波動が上がるとか下がるとか...一体どういうことなんでしょうか?
上がり下がりの激しい、ここ最近の気温の変動とか考えてたら、イチイチそんなこと気にしてられるかってんですi
世の中には波動に良いもの...音楽、映画、食べ物とかがあるらしい..."知らんわi"
(年のせいか血圧、血糖値の上がる食べ物は気を付けていますが...)
そういうものを選別しているだけで日が暮れる、人生が終わってしまうような話ではないかi
昔から私が好きなものと言えば...流血沙汰が付き物のプロレス(八百長が売り物)、ボクシング、スプラッターなどのグロ系とか、マジでコワイ(実話とか)のは苦手だけど、フランケンとかドラキュラとかが出てくるホラー映画、"くねくね"、"ウーッ、マンボi"とか非常に肉感をそそられるラテン音楽、勿論"あはん"の境地の"H"なのとか..."おお、趣味悪っi"...波動を下げたくない人、さっさと退場した方がいいですよi
私は要するに、好きなことに惹かれるままに生きてきたのですi あなたもそうなんじゃないの?
それとも、誰かが、世の中がそう言っている、あなたを高めるであろう、波動の上がること、モノを追い求めているのですか?
それがホントに自分がそうしたい、好きなことなのならともかく、そのために自分の感情を押し殺し、ホントは好きになれないのに無理にそっちに合わせようとして...ああ、ツカレる、ご苦労さんなことです。
いくら自分の波動が上がり、高きに達したとしても木石、生きている仏像のようになってしまっては意味がないではありませんか?
多分、それでは本当に自分の"最愛の人"、惹かれてやまないものに出会うことは出来ないでしょう。
私がそのようなものに出くわしたのは、多分好きなことが高じた、ということだと思います。
波動を高めよう、上げようとする人というのは、そうしないと自分が下がると思っているのでしょう。
だけど、あなたの頭の中の"より高いもの"は、あなたの足下であなたを支えている、あなたの土台、基礎よりも高きにあると言えるのでしょうか?
私にはずっと、見えざる私の最愛の人は、低きに降ってくるからこそ、あい見えることが出来るということが心象に焼き付いています。
この逆説の奥にあることは、"あの御方"はけっして上がったり、下がったり、増えたり、減ったり、弱まったり、強くなったりしないということです。
エレベーターのように上がったり、下がったりするのは我々の都合に過ぎないのです。
こっちがどうなったり、どうにかなろうとするのでなく、このものと共にあることが肝心なことなのではないでしょうか?
これは我々の本性のようなものであり、理屈抜きにそうならざるを得ないことなのです。
こう言ったからといって、私は、何でもかんでも自分の欲望の赴くままに自分の好きなことを追い求め、し続けたらいい、などと言うつもりはありません。
"自分にとっての適度"ということもあの御方がご存じなことなのです。
"愛、平安にある"という戒律ならぬ戒律により、無軌道に流れることは押さえられるのです。
私がいくら趣味が悪いと言っても、結構自分で言うのも可笑しいけど、哲学とか文学とか高踏そうな(?)こともかじっていて、貴族趣味なとこもあるのです。
それも好きでしていることなんですが...言えることは、こういう訳が分からん性向というのは、誰もマネが出来ないだろう、ということです。
あなたのことは誰もマネが出来ないように...。