人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

弱さを強みに

2020-04-13 11:07:14 | 求道、探究
今日の東京は朝から冷たい雨が降り続いています。
私が書いていることは必ずしも、現実に即しているとは限らず、時にはそうですね、色気出して誇張気味のこと書いちゃったりもするのです。
こないだは、"耳鳴りのことについて、そこから現臨に導かれる..."なんてこと書いたりして...フハハ、そんなこと日常茶飯事だったら、今頃アタシャ、"現代日本に現れた第二のラマナ.マハルシ"でしょうよi
し、しかし、昨夜なんかは、もう耳鳴りなんてどころでなく、耳鳴りシャワーという感じになってしまい、それがいつの間にか、光のシャワーみたいなことになったりして大変なことにi...いや、こうして書いている、書かされていることは何ともオソロシく、有難いものだと痛感させられている次第なのです。
そうなってみて改めて気付かされました。こうして他に向けて発信する場合(ほとんど個人的な覚書みたいなものですが)でも、実際の自分よりも大きく、"進んだ人間"であるように見せかける必要はないのだ、と。
こういう一見自分の強さを誇示しているようなポーズは、その実弱さの現れ以外の何ものでもないのです。ホントは自分は弱く、ダメで、ミジメで、何も持っていないと感じているから、強く、持ってる風に表そうとするんじゃないですか?
これが何十年も信仰なり、修行なり、探求なりをし続けていると、"実は私は何も確信も平安も得ていないのです。人にはこの教えが素晴らしい、このやり方が最高だ、とか言ってても私自身は本当のところは...こうしてやり続けていることに意味が無いようにも内心は感じているのですが...しかし、こんなことは長年やっているというプライドがあって、今更口が割けても人には言えないのですi"...というような人もどっかに居るような...
あなたが"そんなのみっともないi"、と感じるのなら他に向けて発信する必要はありません。
けれど、それをあなた自身に向けられるだろうか? 一切の誤魔化しなしに...これはあなた自身の問題であるのは言うまでも無いですが...
私は何らかの信仰もメソッドも否定するつもりはありませんが、いつも書いていることは本当に、"本当のものに出会いたいi"という気がある人にはそういうものは必要無いであろう、その気が、本当の願いがあなたを確信に導くだろう、意識が向くとかいうのはそういうこと、というようなことです。
そして、あなたが自分の弱さをさらけ出して、"どうかお願いです。私に真実を、愛、平安を示して下さいi"、と心底からの叫びを聞いてくれるのは、あなたが自分の諸々の思念で押し込めていた、あなた自身の神しか居ないでしょう。これはあなたとあなたの神だけの秘密でいいのです。
最愛の御方に出会うにはまず、あなたの弱さを認め、受け入れないとなりません。
そうでない人は、例えば"やがて世界の人工は半分になる"とか自分自身に向き合おうとしないで、どうでもいいその他大勢の、"外向き"のことに囚われ続けるのです。
自分自身に向き合えることほど強いものはないでしょう。これに反して本当の弱さというのは、あなたのプライド、強がりにあるのですi
"私は知っている、出来る、なんとかして見せる"...何とかなるんなら、このコロナ禍を何とかして欲しいものです。
それでもなお、"私は神と一つ"、だの"神は私の中にある"だの、頭の中にしかない真理にしがみついているつもりですか?
"自分以外の神に頼る必要が無い"ですか? 崖っぷちに追いやられても...
思われた世界はもう、どうにもならない...しかし、そこから思いを超えた世界が開かれるでしょう。
どうにもならない時こそ、弱さを強みに変えられるのではないでしょうか?
コメント
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