昨日、神田神保町へ行ってきました。
最後に行った日から一月も経っていないのですが、様相はすっかり変わっていました。人も車もなんという少なさだろう。
数日前、ある下町の繁華街へ行った時の、見た目あまりにも普段通りの印象とは違い、行政の要請の影響がはっきり伺えました。
当たり前のことですが、これって現実に起きているんですね。
コロナに感染して生死に関わることより先に、仕事を失い、別の死活問題を抱えている人も沢山おられるのでしょう。
あちらを立てれば、こちらが立たず...もう、私は正直何が正しくて、何が間違っているのか、何が善で、何が悪なのかてんで分からなくなってしまいました。そうやってどっちか決めようとすることが間違っているのでしょうか?
太陽のお照らしは、どこへ行っても、いつであっても同じなのに...
その太陽に対してさえ、私なんかはあと数ヵ月もすれば、"チクショー! 暑いじゃねえかi ...太陽め、"コロナ"に隠れちまえばいいのに..."、なんてほざいているかもしれません。
しかし、この見える太陽、その日照でシンボライズされる、見えない太陽、すべてを照らす光の前にはいつ、どこで、どうなっていようと、表向き幸福だろうと、不幸だろうと、良かろうと、悪かろうと、ただ照らされるままに、在らしめられるだけです。
これが私の肉体も、精神も、意識もすべてを貫き浸透することになったら...もう感謝しかありません。誰に言われなくとも...
そこには一切の恐怖というものは無く、獲得出来ることで幸福になるものもありません。
絶対的な幸福はすでに与えられているのです。
これは、ニヒリスティックな、死をも受け入れられるような達観とか安息ということと、ある面通じるかもしれませんが、違うことを言っています。言わば、思われたものでない"生"が開示されるのです。
生かされていることそのもので、幸福でない訳が無いのです。
この世で生きる上では、そりゃ、問題は問題としてあるでしょうし、問題は新たな問題を呼ぶかもしれません。
だけどそれだけで人生は埋め尽くされ、それにより圧してしまう訳ではありません。
順風だった頃、美しい夕日を見て幸福だったけど、今は?...今だって美しいと感じちゃおかしいでしょうか?...同じ夕日なのに...
私は何もここで何かの教えを垂れるつもりなどありません。あのお照らしにあって感じたままを書いているだけなのです。
"この教えに勝るものはない"、などというのは、"うちの日照りは、隣のものよりも光の増量が強いi"、と言っているようでバカみたいですが、伝えたいことはこれっきゃないですi...だって、誰にとってもそうなんじゃありませんか?
最後に行った日から一月も経っていないのですが、様相はすっかり変わっていました。人も車もなんという少なさだろう。
数日前、ある下町の繁華街へ行った時の、見た目あまりにも普段通りの印象とは違い、行政の要請の影響がはっきり伺えました。
当たり前のことですが、これって現実に起きているんですね。
コロナに感染して生死に関わることより先に、仕事を失い、別の死活問題を抱えている人も沢山おられるのでしょう。
あちらを立てれば、こちらが立たず...もう、私は正直何が正しくて、何が間違っているのか、何が善で、何が悪なのかてんで分からなくなってしまいました。そうやってどっちか決めようとすることが間違っているのでしょうか?
太陽のお照らしは、どこへ行っても、いつであっても同じなのに...
その太陽に対してさえ、私なんかはあと数ヵ月もすれば、"チクショー! 暑いじゃねえかi ...太陽め、"コロナ"に隠れちまえばいいのに..."、なんてほざいているかもしれません。
しかし、この見える太陽、その日照でシンボライズされる、見えない太陽、すべてを照らす光の前にはいつ、どこで、どうなっていようと、表向き幸福だろうと、不幸だろうと、良かろうと、悪かろうと、ただ照らされるままに、在らしめられるだけです。
これが私の肉体も、精神も、意識もすべてを貫き浸透することになったら...もう感謝しかありません。誰に言われなくとも...
そこには一切の恐怖というものは無く、獲得出来ることで幸福になるものもありません。
絶対的な幸福はすでに与えられているのです。
これは、ニヒリスティックな、死をも受け入れられるような達観とか安息ということと、ある面通じるかもしれませんが、違うことを言っています。言わば、思われたものでない"生"が開示されるのです。
生かされていることそのもので、幸福でない訳が無いのです。
この世で生きる上では、そりゃ、問題は問題としてあるでしょうし、問題は新たな問題を呼ぶかもしれません。
だけどそれだけで人生は埋め尽くされ、それにより圧してしまう訳ではありません。
順風だった頃、美しい夕日を見て幸福だったけど、今は?...今だって美しいと感じちゃおかしいでしょうか?...同じ夕日なのに...
私は何もここで何かの教えを垂れるつもりなどありません。あのお照らしにあって感じたままを書いているだけなのです。
"この教えに勝るものはない"、などというのは、"うちの日照りは、隣のものよりも光の増量が強いi"、と言っているようでバカみたいですが、伝えたいことはこれっきゃないですi...だって、誰にとってもそうなんじゃありませんか?