人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

本当の信仰

2020-04-03 12:01:00 | 宗教
神を信じているという人は多いが、本当に神に向き合い、受け入れようという人は果たしてどのくらい居るでしょうか?
神を信じる人、熱心な宗教信者ほど"実の神"を信じようとしないのではないでしょうか?
むしろそのリアルな神を恐れている、そういう話をしようものなら懸命にそれを逸らそうとしたり、否定しようとする人を私は何人も見てきています。
以外に思われるかもしれませんが、これはちっとも不思議なことではありません。
リアルな神を受け入れれば、バーチャルな信じる神、信仰を手放さなければならなくなるとか思うのでしょうか?
いや、そこにはもっと根本的な心理が横たわっているように感じられます。
その神によって自分の罪を暴かれ、裁かれるかもしれない...それは罪の意識。
こういうところからも、何人も表層では分からなくても、心の底では"神のことを知っている"、と言えるのではないでしょうか?
本当に観念的信仰を手放さなければならなくなったり、罪を裁かれることになるか、どうかはあなたの神に直接聞いてみたらいいでしょう。
あなたに本当にその気があるのであれば...本当の気持ちというのは、あなたの思いに隠された心の底に眠っているのでしょう...
そんな訳で、私はいつも自分の経験、私の神様が告げたことを参考までに書くしかないのです。
それは...実は何も告げらてやしませんi 世の中のウルサイ、おっかない教師のように、ああしろ、こうしろ、あれはダメだ、なんだ、ってことは何もありません。
それは声なき声で告げるのです。それはこの世のどんな言葉よりもインパクトがあります。おそらく心の底にダイレクトに響くからでしょう。
そしてそれは私の本心の座を揺さぶってやみません。もし、不可能ながらも私の神様の"お告げ"の強調されていることを無理に記せば...
"私はお前が本当に感じている通りのことをお前に示そうi"、ということになるでしょうか?...
神を恐れる人(裏側を垣間見る以前の私もそうでしたi)というのは、神が自分の意志に反して、その意志に服従させ、違うものは罰せられる、地獄に送られる、などと思い込んでいるのではありませんか?
そして、その神はあなたの本心と重ねられているのですi (何かを手放すのも、地獄に落ちるのもあなた次第ではないですか?)
このことが本当に理解出来る人は、おそらく修行も信仰も必要の無い人なのでしょう。
どうして多くの人は神を本当に信じ、受け入れられないのでしょう。それは取りも直さず自分自身を受け入れ、信頼していないということに他ならないのですが...
罪の故にでしょうか?...それは勝手に自分を罪人にしているアンタのセイだろう...いや誰のセイでもないでしょう。
おそらく、そこには人類全体に背負わされている、ある根本的な理由があるように感じられます。
いずれにしても、思いを超えるということの意味合いは、神と人間とを隔てる幕が割かれること、罪意識の突破であり、神を信じるよりも何よりも自らを信じることにつながるのです。
今日ほど本心からの、本当の信仰が求められる時は無いでしょう。
コメント
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