いきなり読者に突飛なこと訊くようですが、"実在、実存、現存、リアリティ"といった一寸抽象的にも感じる言葉に接してどう感じられますか?
どう思う、考えるかじゃなくて、どう感じるかです。その意味は何だ、ということを問うているんじゃありません。
私は哲学書なんかも読んでますが、意味など分かったためしがありません。それがそのいわく言い難いことをそう表していることは何となく分かりますが、意味が分かったところで、私の"実存が開かれる"こととは関係がありません。
これはどこまでも自分自身が感じなければならないことなのです。自分で、頭で考えて、何かを学習して意味が分かったら分かったつもりになるでしょうけど、そのものを目の当たりにすることは無いでしょう。
意味の追求なんかしててもけっしてたどり着けません。だって、意味が分かる以前に自分自身であることなんですからね。
これは又これから学んだり、修行したりして獲得するようなことじゃありません。本来から"在る"ことなのです。
逆説的ながらこんな当たり前のことが何で分からないのでしょうか? 自分が自分で在ることだけなのに...
私は物心付いた時分に、この自己の真の拠り所が分からなくなってしまったのです。そしてそのまま大きくなり、ますますこのある種の分離感は強まるばかりなのでした。
しかし、ある時電撃のように全心身を光のようなものが貫き...すべて分かったなどとは言えませんが、それで少なくとも"私は思われたものでない"ということが分かったのです。
この貫き、照らし、臨んでくるものを仮に"現臨"と呼んでいるのです。
実存、現存、リアリティ在らしめるもの...このすべてがリアルなものなのです。意味がどうとかじゃなくて、そう感じてしまうんだからしょうがないi
現臨とは、既に真の自己と分離してしまった自己をそこに再び結びつけるために、他者として、救済者として示現するものと一応は理解されてもいいのでしょうけど、そんな他人行儀な説明もどうでもよくなりそうです。
そしてこのリアルなものは愛、平安と一つのものでもあります。そう感じてしまうから...
私は"実存、現存..."という言葉を思い浮かべただけで感じてしまいます。"じんじん"と。
今だからこそ、リアルに感じるのかもしれません。
こういうことを他に向けて説き伏せ、理解を求めること自体、それこそ意味が無いことなのでしょう。
あなた自身が感じることなのですから...(ただ、お互いに共鳴を呼び起こすようなサンプルは示すことは出来るでしょう)
この実存感、臨在感といったものは、世の中がどうなっていようと、自分の境遇がどうなっていようと変わらないものです。
そして、この混迷の世の最中にあって、自分がますます自分自身でなくなってしまうような真偽の分からない情報や、集合的思念に飲み込まれ、そして煽り立てるように我々をそれに引きずりこまんとする狂信者の言動((これはここで書いていることと真逆の精神の有り様と言っていいでしょう)など数多の迷いごとを見分け、吹き払う道標ともなるものでしょう。
どう思う、考えるかじゃなくて、どう感じるかです。その意味は何だ、ということを問うているんじゃありません。
私は哲学書なんかも読んでますが、意味など分かったためしがありません。それがそのいわく言い難いことをそう表していることは何となく分かりますが、意味が分かったところで、私の"実存が開かれる"こととは関係がありません。
これはどこまでも自分自身が感じなければならないことなのです。自分で、頭で考えて、何かを学習して意味が分かったら分かったつもりになるでしょうけど、そのものを目の当たりにすることは無いでしょう。
意味の追求なんかしててもけっしてたどり着けません。だって、意味が分かる以前に自分自身であることなんですからね。
これは又これから学んだり、修行したりして獲得するようなことじゃありません。本来から"在る"ことなのです。
逆説的ながらこんな当たり前のことが何で分からないのでしょうか? 自分が自分で在ることだけなのに...
私は物心付いた時分に、この自己の真の拠り所が分からなくなってしまったのです。そしてそのまま大きくなり、ますますこのある種の分離感は強まるばかりなのでした。
しかし、ある時電撃のように全心身を光のようなものが貫き...すべて分かったなどとは言えませんが、それで少なくとも"私は思われたものでない"ということが分かったのです。
この貫き、照らし、臨んでくるものを仮に"現臨"と呼んでいるのです。
実存、現存、リアリティ在らしめるもの...このすべてがリアルなものなのです。意味がどうとかじゃなくて、そう感じてしまうんだからしょうがないi
現臨とは、既に真の自己と分離してしまった自己をそこに再び結びつけるために、他者として、救済者として示現するものと一応は理解されてもいいのでしょうけど、そんな他人行儀な説明もどうでもよくなりそうです。
そしてこのリアルなものは愛、平安と一つのものでもあります。そう感じてしまうから...
私は"実存、現存..."という言葉を思い浮かべただけで感じてしまいます。"じんじん"と。
今だからこそ、リアルに感じるのかもしれません。
こういうことを他に向けて説き伏せ、理解を求めること自体、それこそ意味が無いことなのでしょう。
あなた自身が感じることなのですから...(ただ、お互いに共鳴を呼び起こすようなサンプルは示すことは出来るでしょう)
この実存感、臨在感といったものは、世の中がどうなっていようと、自分の境遇がどうなっていようと変わらないものです。
そして、この混迷の世の最中にあって、自分がますます自分自身でなくなってしまうような真偽の分からない情報や、集合的思念に飲み込まれ、そして煽り立てるように我々をそれに引きずりこまんとする狂信者の言動((これはここで書いていることと真逆の精神の有り様と言っていいでしょう)など数多の迷いごとを見分け、吹き払う道標ともなるものでしょう。