人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

癒される心霊の話

2020-04-17 11:11:08 | スピリチュアル?
私はここでちょいちょい真のスピリチュアルは、通俗的な心霊モノとは区別されるべき、とか書いてきました。
まあ、"真の"とか、"通俗的な"といった言い回しは、如何にもエラそうであり、"知った風なこと言いやがって"!、という印象を抱くでしょうが、これはそういうものに接した私の経験で、とても対称的な感じに導かれるので、その二つのことは、混同されるべきでない、ということを言いたいのです。
その感覚的なことを端的に言えば..."じんじん"と"ざわざわ"の違いです。
これだけだと何のことだか分からないでしょうが、それらに接して何か意識が自ずとある中心に集められてくるか、逆に"心ここにあらず"という風に焦点が合わなくなってくることを言っているのです。
総じて後者は思念が超えられる方向でなく、囚われる方向に傾きやすい、と言えるでしょう。
とにかく、"じんじん"、"ざわざわ"のどっちを選ぶか、なんてこた、分かりきった話じゃありませんか? 好き好んで、愛と平安でなく、自分がどこへ行くのか知れない方に行きたがる人間の心理がアタシャ分かりませぬ。
とはいえ...実は私は昔からあの"ざわざわ"感を醸し出す、その通俗心霊モノが大好きだった、と言うんだから何が何だか分からなくなるでしょ? 
小説を読んだことと言ったら、大人になるまでE.A.ポーとかラブクラフトとかホラー小説しかまともに読んだこと無いくらいで、ホラー映画がとにかく大好きだったのです。
今でも好きなんですが、それはあくまでも小説とか映画など創作、エンタメに限ってのことです。
これが現実のことになれば..."ああ、やめてくれえi、ざわざわしてきたあi"、となる訳で、こうなる理由は、私自身が人気心霊モノの定番i、悪霊、邪霊が取りつくという恐怖に見舞われたことがあるからです。
これは主として私が学生時代に入信していた新興宗教で、いつもそういう類の実話(?)を聞かされ続けられたことに起因しているのです。"ただのお話じゃすまなくなるじゃねーかよおi"と。
だけど、世に伝えられる心霊話の中には、こういう感じが伴わない、そうですね、多くは"じんじん"感に近いものを醸し出すものもあります。
例えば、昨日もネットで読んだのですが、難産で苦しんでいた妊婦の方が、霊のように現れたある老婆に見守られているように感じて、安心に導かれたとのことで、後日そのことを肉親に告げると、そういうことがあった同じ頃可愛がってもらっていた老婆が亡くなっていた、というよくある守護霊的な話などがそうです。
こういう話はヒンヤリとさせられますが、コワさはなく、涼風を運ぶようで確かに癒されるものがあります。
私はこのような善霊、悪霊共々心霊の話に囚われることは無いですが、否定しません。
しかし、同じ霊にまつわる話でも、受ける感じは全く違うというのは何故でしょう?
全部いっしょくたに心霊話で括られてしまうようですが、所謂守護霊的なものと邪霊的なものとは、よく分かりませんが、霊の有り様(ヘンな表現ですが)が我々の意識の有り様と関わっているのか、根本的に違うんじゃないかとも思えてくるのです。
やはり"じんじん"と"ざわざわ"は区別されるべきで、真のスピリチュアルは思いを超えた世界に導くものなのではないでしょうか?
コメント
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