人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

これが定言i?

2020-05-06 10:29:24 | 求道、探究
ずっとこのブログを読まれている方ならお分かりかと思いますが、私は読者にある定見を持たしてしまうようなことはほとんど書いていません。
例えば、"人間には生まれ変わり、前世というものがあるのですi"、とか"20年後地球の人口は半分になる、と決まっているのですi"とか...そういうこと、ものが有るかもしれないし、無いかもしれない...どっちか分からないことを決まったことのように言うのは、ただの思考停止の押し付けでしょう。
これだけで如何にそう宣っている人間が"ガ"が強く、知性を欠いているということが分かりますが、こういうことが本来のスピリチュアルな道を下落させ、歪めているかが思い知らされます。
真のスピリチュアリティは、思いを超えた次元を指し示し、開くものでしょう。
こういう消息のものに触れたことがある人なら、自ずとどうでもいいような教説などには囚われなくなるのが普通なのです。
そこに現存するものを通して何がリアルなもので、何がそうでないか、ということが示されるからです。
この違いというのは、もう天と地ほどの開きがあると言っても過言ではないでしょう。(それで同じスピリチュアルで括られてしまうのだからやりきれない...)
しかし、一度そのリアルな消息を味わったことがある者でも、フラフラと迷い出すということが無いとも限りません。
ご存知のように人間の思考マインドというのは絶えず、縁に触れて色んな方向に、テンデバラバラにさ迷っているものだからです。
例えば、宗教、スピ界にはところ、品を変えて色んな教えがある...そして、"人類の危機を救う道は、あるいは究極の悟りを得る道は、これっきゃない..."と自分の色に応じた売り文句につい飛び付いてしまう...
これは、本当にはそのリアルな感覚が意識の底に根付いていないということで、言い換えれば、どっかで自分の思いで思いを超えたものを捉えようとしていて、それに捉えられていないということなのでしょう。
こういうことはですね...多少なりとも私にも思い当たるフシがあるからこそ書けるのでして...ただ、私には短期間のうちに次々と私の内なるものを揺さぶらずにおれないような幾つかの教え(これは実は後述するように幾つかは無いのかも?)に触れてゆくことで、ある素養が出来たようなのです。
そうして段々と捉えられることに導かれるようになるのです。惹かれてやまないという感じになる...これは理屈じゃありません。
そうなって初めて自分の思いで任意で選び取り、決められる道など無く、唯一つの道しか無いということが...この世に数多の宗教、教えというものがある訳でなく、自分の道というのは"真の自己になる道しか無い"ということが分かるのですi
だから...あなたがあなたの真実を知りたければ、アカの他人が言っている、どこに根があり、どこにゆくのか分からない定見などに惑わされないで、どこまでも、あなたの本心に尋ねなければならないのですi
"あなたの外に何も定まったものなどない"...これが定言i?
コメント
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