人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

失われた日常

2020-05-26 12:04:40 | 独語
東京も緊急事態解除i
失われた日常も戻ってくるのか?
しかし...もう思われた日常は戻ってこないだろう...
昨夜、古い東京を舞台にした映画「愛情の都」(昭和33年東宝)を観ていたが、ただ昔の東京に思いを馳せてなどいられなかった...
遠い、遠い遥かに昔の...いや架空の都市空間のようにも思えた
東京は思われた町じゃなくなったよう...
おそらく、ニューヨークもパリもローマも同じなのではないか?
おお、あれはお茶の水辺り...ニコライ堂...聖橋か?...この辺は代わり映えしない
観てる景色は同じだ
泣いたり、笑ったり、ヤバかったり、助かったりとかの、人々の人生模様も見た目は一緒なのかも分からない
だけど...私の中では、つい二ヶ月ほど前、別の似たような映画を観た時とは、すっかり印象が変わってしまった...
同じ感覚では観れなくなってしまった...
出てくる俳優さんたちは演じているのだi 当たり前の話だが...
台本に乗っ取って、決められたセリフを言わされ、ストーリーを織り成しているのだ...
しかし、俳優さんたちは作品上のキャラクターとは別なのである...(分かりきってらあi)
こんな分かりきったことを再認識したことってあるだろうか?
ありきたりの日常を描いている作品だから余計そう感じるのかもしれない
ありきたりの日常...劇中でも、各々の実生活でも思い描かれ続けられている...
本当にそれは見たまま、思い描いたままなのだろうか?
見えない、どえらいヤツが隠れていて、人間はその上で踊らされているんじゃないか?
監督、脚本家だって、コマにすぎない
個人が生き方を選択し、決めることが出来ると思っていても、見えない、どえらいヤツにかかると何も為すことが出来ず、日常生活に突如ピリオドが打たれ、人生のエアポケットに入り込む...
そして、何でも出来ると思っていた自分の無力さを思い知らされる
やるせなさ、無念の涙...そしてそこを突き抜けた歓喜の瞬間...
それは演技?...分かっていても覚めてなどいられない...
見えない、どえらいヤツはこの現実に潜んでいるのだ
こういうことを、傍観者のように分かったつもりでいる人間ほど何も分からないのではないか?
人間が人間だけで織り成してゆくような、日常的都市空間はもう崩壊してしまったのだろうか?
この二ヶ月ばかしの間に何が通り過ぎ、何がもたらされたのだろう...

「東京物語」「ティファニーで朝食を」「ローマの休日」...こんな映画はもう二度と作られないのだろう...

コメント
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