宗教やスピと関わることにおいては、当然のことながらその目的、思惑は人それぞれでしょう。
今現在何らかの悩み、苦しみを抱えていて、その解決のためにそれらを求めるという人も多いことでしょう。
そういう人たちの中には、苦しみの問題が何とかなれば、その先の深いことなどどうでもいいと感じている人も居るのでしょう。
又中には、ただ、見えない世界や予言、超能力など超常的なことへの興味から求めている者も居ることでしょう。
他にも、ただある特定の宗教、教師のことを強く信奉していて、それ以外に眼中になく、その周辺に関することばかり熱中している人も居るかもしれません。
思惑は人それぞれですので、その各々のあり方自体に本来は正しい、間違いというのは無いです。
しかし、何人にあっても、心根にあるものは共通していると思います。
それは、"今より良くなりたい、幸福になりたい"、ということではないでしょうか?
不幸な事態が解消されれば、今より幸福になるかもしれませんが、大体別の不幸の種が舞い込んだりするのが人生の常で、そういう経験を重ねて、本当の幸福ということを求め始めるのでしょう。
そして、いずれの道においても、あなたが今やっていることは、自分で"正しいと思っている"からやっているのでしょう?
そうやって、幸福になったか、不幸になったかは結果なのです。
もし、あなたが今やっていることで、どうも心に滞るもの、引っかかるものが感じたり、迷いを感じたら、間違った道を歩いているのかもしれません。
そこは正直に自分の本心に聞いてみたらいいでしょう。しかし、雑音も又多いでしょうけど...世の中の声、損得勘定、そして一番のガンは、本心からでない、自分の生き方の正しさ、正当性といったものではないでしょうか?
自分が正しいと思っていることでなく、心の奥から具体的に愛、平安、幸福なことが感じられるかどうか...これが実に大きいことなのです。
これは言うまでもないことで、今更という感じですが、私はここで、精神的な道については当初から、"意識を神的なものに向ける"だの、訳の分からんこと言いながら、神とつながること、本心を開くことが幸福につながるようなことを書いているのです。
私は他に対して批判的なことを書いたりもするのですが、それはあくまでもこうした見地から、例えば前記したような超常的なことなどに囚われたり、外なる教えや教師に依存するようなあり方は、本心とつながることとはズレているので、"それ、間違ってますよi"、と言ったりしちゃうのです。
そして、得てして、こういう道にありがちなこととして、一つの見解に固執し、絶対視することから、不調和という、不快、不幸な事態にも招きかねないので、つい口を鋏みたくなってしまうのです。
そうでない限り、人それぞれの生き方に対し悪し様に言う必要はホントは無いのでしょう。
皆迷いの世界で、良かれと思って生きているのでしょうから...
そう言いたくなる私も迷いは感じています。そうしてる時、幸福には感じられないのですから...
迷っているのなら...そう感じていたらいい...そのすぐそこに迷いのない世界が感じられる...
迷っていないフリをしていても、感じられない...
今現在何らかの悩み、苦しみを抱えていて、その解決のためにそれらを求めるという人も多いことでしょう。
そういう人たちの中には、苦しみの問題が何とかなれば、その先の深いことなどどうでもいいと感じている人も居るのでしょう。
又中には、ただ、見えない世界や予言、超能力など超常的なことへの興味から求めている者も居ることでしょう。
他にも、ただある特定の宗教、教師のことを強く信奉していて、それ以外に眼中になく、その周辺に関することばかり熱中している人も居るかもしれません。
思惑は人それぞれですので、その各々のあり方自体に本来は正しい、間違いというのは無いです。
しかし、何人にあっても、心根にあるものは共通していると思います。
それは、"今より良くなりたい、幸福になりたい"、ということではないでしょうか?
不幸な事態が解消されれば、今より幸福になるかもしれませんが、大体別の不幸の種が舞い込んだりするのが人生の常で、そういう経験を重ねて、本当の幸福ということを求め始めるのでしょう。
そして、いずれの道においても、あなたが今やっていることは、自分で"正しいと思っている"からやっているのでしょう?
そうやって、幸福になったか、不幸になったかは結果なのです。
もし、あなたが今やっていることで、どうも心に滞るもの、引っかかるものが感じたり、迷いを感じたら、間違った道を歩いているのかもしれません。
そこは正直に自分の本心に聞いてみたらいいでしょう。しかし、雑音も又多いでしょうけど...世の中の声、損得勘定、そして一番のガンは、本心からでない、自分の生き方の正しさ、正当性といったものではないでしょうか?
自分が正しいと思っていることでなく、心の奥から具体的に愛、平安、幸福なことが感じられるかどうか...これが実に大きいことなのです。
これは言うまでもないことで、今更という感じですが、私はここで、精神的な道については当初から、"意識を神的なものに向ける"だの、訳の分からんこと言いながら、神とつながること、本心を開くことが幸福につながるようなことを書いているのです。
私は他に対して批判的なことを書いたりもするのですが、それはあくまでもこうした見地から、例えば前記したような超常的なことなどに囚われたり、外なる教えや教師に依存するようなあり方は、本心とつながることとはズレているので、"それ、間違ってますよi"、と言ったりしちゃうのです。
そして、得てして、こういう道にありがちなこととして、一つの見解に固執し、絶対視することから、不調和という、不快、不幸な事態にも招きかねないので、つい口を鋏みたくなってしまうのです。
そうでない限り、人それぞれの生き方に対し悪し様に言う必要はホントは無いのでしょう。
皆迷いの世界で、良かれと思って生きているのでしょうから...
そう言いたくなる私も迷いは感じています。そうしてる時、幸福には感じられないのですから...
迷っているのなら...そう感じていたらいい...そのすぐそこに迷いのない世界が感じられる...
迷っていないフリをしていても、感じられない...