人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

二重の二重人格

2020-05-28 12:24:18 | 雑感
私は昔から一見大人しく、真面目そうなのですが、一皮剥けばヤバイことをやらかしそうなアブナイ人間なのです。つまり二重人格なのです。
根がそうなってるので、現実にヤバイことをやらかす前に、仮想現実でワンクッション置いてみるという智恵が身に付きました。
これは多くテレビ、映画の悪役とかコワイ人とかそういうプロレスラーなどをヒントにして、ワルく、イカれたキャラを演じたりするのです。(ああ、俳優になれば良かったと思ったりします。←ただのウヌボレ)
"アンタは芝居と分かっていても、ホントに憎ったらしい"、"ホントに狂っているようで、マジでコワい"、とはよく言われたものです。
"何でそんなに真に迫っているのか?"と訊かれた時は、待ってましたとばかりにこう答えるのです。
"う~ん、それはねえ...何かが乗り移ったりするからじゃないかなあ?...全部が全部演技でやってるとは限らないんだよi、うん"...と、これが更にそうした印象に追い打ちをかけて、相手はフリーズ状態に...コワイですねえ...こっちは楽しくてしょうがないが...
マジでコワイ話、若い頃は何が現実で、何が仮想現実だか分からなくなることもありました。
そして、何が善で、悪で、正しいのか、間違っているのか...やって悪いことをしたら、罰せられる...悪いヤツ、ヘンなヤツというレッテルを張られる...それがイヤだから世の中が決めたルールとやらに従っているだけじゃないのか?
そんな世界のどこに現実性、リアリティなど感じられるだろうか?(んじゃあ、夢みたいな世界で合法的に悪いヤツ、イカれたヤツになりきろうi)
こういうことを抽象的に考えていても、今でも何が善だか悪だか分かりゃしませんよ。
しかし、いつの間にか私にある感覚が芽生えたのです。感覚というものは具体的なものです。
それは愛、平安、リアリティが伴うものです。それが世の中が決める善か悪かは分かりませんが、私にとっては善いものに決まっています。分かりきった話です。愛、平安...理屈じゃありませんi
そして、公衆の道徳、社会のルールといったものじゃなく、この見えない範によって、自他の愛、平安を脅かす、そこから踏み外すような行いは抑制されるのです。
人の行動を根本的に律するものとは、こういうものではないでしょうか?
このことが抜け落ちるなら、時として正義が暴走するでしょう。
抽象的な善悪の観念は、具体的な生に根差した現実感覚を知らないのです。観念が強固になれば、正義のためなら暴力をも厭わなくなります。
どんなに人間を外側から規制する法を設えても、踏み外そうとする心は落ち着くことは無いでしょう。
内側から落ち着くことが出来ないのだから...

私はある時から、その"見えない法"感覚が芽生えたと思ったりしましたが、それは意識的になることで分かったことで、生来から知らずに身に覚えていたところもあります。
それが暴走し勝ちの私の心性に、もう一人の自分が映ってくる感じで抑えられていたようなのです。
"いつもコイツに私は見られているんだ、コイツは影で私を操っているんだ...コイツは果たして善か悪か?..."
そして、"じゃあ、私も別の自分になっちゃおう"、という訳でか、"二重写し"の二重人格になったのかもしれません...?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする