人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

五井先生の本筋

2020-05-02 09:56:01 | 人生の裏側の図書室
今、「神のみ実在するー五井先生かく説き給う」(白光出版)という、五井先生の長い間側近だった高橋英雄さんの本を読んでいるのですが、改めて五井先生は、人々に本心に目覚めることを主眼に教えを説かれていたことを思わされます。
その序文にも「宗教とは自己の本体、宇宙絶対者たる神を直接体験し、把握することから始まる」とある通りでしょう。
その祈りによる平和運動というものも「地上に神性人間を顕現する方法として、世界平和の祈りを提唱し、それに人間のあらゆる想念を統一、統合することによって、人間の神性、霊性は開発され、それによってのみ世界の平和は実現する...」という性質のものだったのです。
直接体験ということは、知識として分かることでないのは言うまでもなく、先達の言葉の受け売りからだけでは自己の本体につながることは出来ないでしょう。
そして、当然のことながら人間、一人一人機根も資質も異なるので、同じような道を辿らされる訳ではありません。
例えば、五井先生は、その霊性開発の過程で、守護の神霊から強制的に想念停止の修行をさせられ、それが非常な苦しみを伴うものだった、と言われていますが、私などは全く経験の無いことなので理解出来ないことなのです。(想念が自ずと停止させられたことはありましたが、そういう修行をさせられた覚えはありません)
誰も先生のマネなんか出来ないのです。
しかし、一人一人顔も考え方も感じ方も違うものであるけれど、本心の座という"至聖所"において一つになれる...かもしれません。そしてあなたの本心は、あなた自身が、あなたの神(それが唯一無二の神i)がご存じなのでしょう。
こういうことは、不特定多数のどこの誰だか分からない一般に向けたって伝わる訳がありません。心から心に、内なるものから内なるものに共振し、伝わるものなのです。
"今が大変な時だから、一人でも多くの人に宇宙善史の教えを拡散しなければ..."と、上からの指令らしきものに踊らされて何かを"やっちまった"ような御仁は、自分の本心が何だか分からず、共振ならず狂信して集合的思念に飲まれて、人々をそれに引き込もうとしているのです。
これが実に40年以上も五井先生の教えを信奉してきた人間が発信していることなのです。
一体何で、どっから五井先生が主眼とされた道からかくも脱線してしまうのでしょうか?
こういう世迷いごとについて、批判がましいことを言うのも迷いからであるのは私も自覚していますが、言わずにおれなくなるのですi...それは多分、この御仁のことを少なからず知っているという因縁と、やはり五井先生の本筋と同調したいという思いが強く、それが歪曲されることに黙っておれない部分があるためでしょう。
いや、しかし私などはとっくの昔に形の上では先生の道から脱線していて、ずっと"消えてゆく姿で世界平和の祈り"をしていた訳でもないので、こういうことを私が言うのは多分間違っているのでしょう。
しかし、それでも今もなお五井先生に、そのすべてではないにせよ、深く共感を持ち続けているのは事実なのです。
方便とか枝葉のこと、表層のことでなく、私の奥には変わらないものが息づいていて、知らずにそれに導かれているのを覚えずにいられません。

コメント (3)
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