「人類にとってもっとも重要なことは、プレゼンスを見い出すことです」(エックハルト.トール)
何度も言っているように、意識というもの、意識的であることはとても大事なことです。
ことに宗教、スピなど精神的な道においてそうであるのは論を待たないことです。
その界隈でも、やたらと表されている言葉に囚われて、例えば、神や霊などについて、素朴実在論というか、物質があるかのようにその実在性を信じ込んだり、何年後かに起こるであろう予言は決まった事実であるように思い込んだりするような性向の者などは、素養がないと言ったらそれまでですが、とても"意識的であること"に疎い人間と言わねばならないでしょう。
何故ならば、それは表層的観念にずっと囚われ続けているからであり、そうなっていることにも気付けないということなのです。
意識的である、ということは気付いているということに他ならず、純粋な意識は表層の思いの根底的なものであり、そこから"思いを超える"という道が開かれるのです。
このことは、実に思われた自己からは、思いを超えられないが、それを超えたものによって開かれる、ということを示唆しているのです。
この我々の助け主のようなハタラキを私は"現臨"と仮に呼んでいる訳です。
初めてここを訪れた人なんかは、"そんなもの聞いたことないぞi"、と思われるかもしれませんが、私が知らないところで、どうもそれはスピ界で"プレゼンス"という言葉で認知されているらしいのです。
随分と多義的に使われるこの言葉ですが、私がここで"プレゼンテーション"したいこと、そうさせられることは...とにかく意味など二の次でいいから、考えでなしに"現存"、"現臨"感を感じていることが肝心なのですi
これは、主としてインドに伝えられた非二元の道を、西欧流のスピの道にアダプトさせた、ドイツ系カナダ人の教師エックハルト.トールさんも最近盛んに言及しているようです。
プレゼンス、現臨というものは、個人にとっても、人類においてもっとも重要なものであるのは、太古の昔から変わらなかったはずなのですが、如何せん、そう言い表す言葉がなく、多くの人はーことに精神的目覚めに与った人でこれを知らないというのは皆無でしょうーそうと知らずに感じてきたものだったのです。(トールさんと違って私はどうしても"神的なもの"と言いたくなっちゃうのですが...)
しかし、ここ最近どうも私が思っている以上に認知度が加速しているのかもしれません。
だからと言って、それはけっして表層の、一般の認知層とは直接関わらないでしょう。頭脳知で分かるものではなく、心から心に伝わるものだから...
この時節、このものは静かに、人知れず、"じんじん"と人類に浸透してゆくのを身に覚えずにおれません。
何度も言っているように、意識というもの、意識的であることはとても大事なことです。
ことに宗教、スピなど精神的な道においてそうであるのは論を待たないことです。
その界隈でも、やたらと表されている言葉に囚われて、例えば、神や霊などについて、素朴実在論というか、物質があるかのようにその実在性を信じ込んだり、何年後かに起こるであろう予言は決まった事実であるように思い込んだりするような性向の者などは、素養がないと言ったらそれまでですが、とても"意識的であること"に疎い人間と言わねばならないでしょう。
何故ならば、それは表層的観念にずっと囚われ続けているからであり、そうなっていることにも気付けないということなのです。
意識的である、ということは気付いているということに他ならず、純粋な意識は表層の思いの根底的なものであり、そこから"思いを超える"という道が開かれるのです。
このことは、実に思われた自己からは、思いを超えられないが、それを超えたものによって開かれる、ということを示唆しているのです。
この我々の助け主のようなハタラキを私は"現臨"と仮に呼んでいる訳です。
初めてここを訪れた人なんかは、"そんなもの聞いたことないぞi"、と思われるかもしれませんが、私が知らないところで、どうもそれはスピ界で"プレゼンス"という言葉で認知されているらしいのです。
随分と多義的に使われるこの言葉ですが、私がここで"プレゼンテーション"したいこと、そうさせられることは...とにかく意味など二の次でいいから、考えでなしに"現存"、"現臨"感を感じていることが肝心なのですi
これは、主としてインドに伝えられた非二元の道を、西欧流のスピの道にアダプトさせた、ドイツ系カナダ人の教師エックハルト.トールさんも最近盛んに言及しているようです。
プレゼンス、現臨というものは、個人にとっても、人類においてもっとも重要なものであるのは、太古の昔から変わらなかったはずなのですが、如何せん、そう言い表す言葉がなく、多くの人はーことに精神的目覚めに与った人でこれを知らないというのは皆無でしょうーそうと知らずに感じてきたものだったのです。(トールさんと違って私はどうしても"神的なもの"と言いたくなっちゃうのですが...)
しかし、ここ最近どうも私が思っている以上に認知度が加速しているのかもしれません。
だからと言って、それはけっして表層の、一般の認知層とは直接関わらないでしょう。頭脳知で分かるものではなく、心から心に伝わるものだから...
この時節、このものは静かに、人知れず、"じんじん"と人類に浸透してゆくのを身に覚えずにおれません。