人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

この世の終わりに聞く言葉

2020-10-18 09:21:13 | 雑感
"あれは偽物、こっちが本物、真実はこうだ、そういうのは今だしのもので、究極はこういうのだi..."
一体、誰が誰にもの言ってるんだか...こういう言い回しの言葉には眉に唾をつけてみたくなります。
聞いてくれる、受け入れてくれる人間を想定して、そう言うのでしょう。まあ、他に向けて何かを発信するということは、多少なりともそういうことなんでしょうけど、とにかく"私はかく主張したい"、というものが強く伝わってきます。
だけど、人には人の考え方、感じ方、モノサシってものがあるのです。"これが本物だ、真実だ、究極の何チャラだ、なんて言われても...
所詮は、赤の他人がそう言っているだけじゃないですか?
聞かされる方は、あっちはこっちが本物だ、あっちはこっちこそ究極の真実だ"、何て言ってて、迷わされるばかりじゃないですか?
そもそも、一体究極ってどういうことだと思われますか?
あれこれ考えてて迷っている時や、究極らしいことが知りたければ、一度"もし、世の中から考えるということが無くなったら、どうなるだろうか?"、と想像してみたらいいです。
考えることが出来ないってことは、どうしようもないことなのです。信じることも、疑うことも出来ないのですよi
これを"究極"と言ってもいいかもしれません。
もし、この世の終わりってものがあるとすれば、そういうものなのかもしれません。
この世というものは、自分も含めたその他大勢のものが"この世というものは、こういうものだ"、と思っているものが反映されて生まれたもの、という部分が大きいですから...
しかし、考えること、思考機能が失ったとしても、感じることは出来るのです。"あー、考えられんi"と...
言い換えると、考えることは出来なくても、意識する(させられる)ことは出来るのです。
そんな状態で、誰かが言っていたことや、日頃信じている大先生やバイブルの教えや、高次元とか完全覚醒とか空想していたことの、一体何が伝わるでしょうか?
すべて観念の所産だった、ということが示されるだけではないでしょうか?
私はいつも"自分自身に意識を向けることが大切"、ということを言っています。
そこでは、それ以外に向けることは出来ないのですi...自分以外の誰のことも、世の中のことも意識の外に追いやられてしまうのですi
すべての思考が消えた中で、なおもそこに何かが開かれているのでしょうか?
意識が開かれていたならば、それを感じることが出来るでしょう。それが見えない導きとなるでしょう。

こういうことは、数千年前、釈迦が言っていたことなのです。
"自分自身を灯火としなさい、見えない命、法(ダンマ)を灯火としなさい"、と。
この言葉は、あなたの心の奥に届いているでしょうか?
この言葉は、この世の終わりに聞こえてくるでしょうか?
すべてはあなた次第です。誰もあなたの代わりに生きてはくれないi

終わりに向き合って、この世を生きるものは幸いなり。
コメント
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