昔から女性で、"悟った人、覚者"という存在はあまり聞きません。
こういうものは、男性のイメージが付きもののようです。裏を返せば女性は、そういう世界とはあまり縁が無いとも言えそうなのですが...。
しかし、私には断然、元からして女性の方が天国に、救いに近い存在だと思えてならないのです。
上記の傾向の理由として、女性からはそういうことへの言及が、あまり為されることが無いから...つまりは、そういうパッションが元々希薄で、自然とそっちに赴くことが無い、ということなのでしょう。
これは、それだけ主我的な思いに囚われることが少ない、ということを表しているのではないでしょうか? これだけでどんだけ救いに近いことかi
今、ネット界隈で、"悟り、覚醒"といったことについて覗いてみれば...そこに如何に主我的な、我見への固執の思いが渦巻いているかが知られるでしょう。
悟り、覚醒の何が本物で、完全なもので、あっちは偽物で、今だしのもので...、とこっちはそういう我見がそう言っているのです。
そうして、主我的な思いから離れなければダメなんだ、と頭では分かってはいても、離れようとして、離れられずにもがいているよう...これ、男のサガなんだからしょうがありませんi
そこへ行くと、女性の方は元々その頭でっかちの、忌まわしき傾向は抑えられ、ただただ、最愛のものと一つになりたい、結ばれたい、というパッションに駆られて行くのです。
当然のことながら、男のサガを抱えている私自身は、私"が"悟ろうとすることと、この合一への願いと、どちらに自然に意識が向かわされるかというと...もう自明ではないかi...書いてるだけで"じんじん"してきますよi
我が魂は、本当のホーム、最愛なるものとつながらなければ、安らぐことが出来ないのですi
そもそも、そのもの無くして悟りも覚醒も無いのであれば、それに偏って追い求めることなどどうでもよいではないか?
そして、神的なものとつながることで、主我的な思いから離れられるのです。
しかしながら、多くの場合、女性の最愛なるものとは、"最愛なる人"のことであるのは言うまでもないでしょう。
でも、その存在を自分の中に元々息づいている、愛そのものの光に照らして、深く心に感じてみれば...その存在を通し、その存在を超えて、多くの恋歌で歌われて来た、"永遠の愛ーこれが形なき最愛なるものと共にある愛に他なるまいiー"に目覚めることが出来るかもしれないのですi
女性は、このように本性から"明け渡し"の美徳を備えていると言えるでしょう。
この美徳無くして、もう、この世界はもう立ち行かなくなるのではないか?
故に、女無くして世は開かれない...。
こういうものは、男性のイメージが付きもののようです。裏を返せば女性は、そういう世界とはあまり縁が無いとも言えそうなのですが...。
しかし、私には断然、元からして女性の方が天国に、救いに近い存在だと思えてならないのです。
上記の傾向の理由として、女性からはそういうことへの言及が、あまり為されることが無いから...つまりは、そういうパッションが元々希薄で、自然とそっちに赴くことが無い、ということなのでしょう。
これは、それだけ主我的な思いに囚われることが少ない、ということを表しているのではないでしょうか? これだけでどんだけ救いに近いことかi
今、ネット界隈で、"悟り、覚醒"といったことについて覗いてみれば...そこに如何に主我的な、我見への固執の思いが渦巻いているかが知られるでしょう。
悟り、覚醒の何が本物で、完全なもので、あっちは偽物で、今だしのもので...、とこっちはそういう我見がそう言っているのです。
そうして、主我的な思いから離れなければダメなんだ、と頭では分かってはいても、離れようとして、離れられずにもがいているよう...これ、男のサガなんだからしょうがありませんi
そこへ行くと、女性の方は元々その頭でっかちの、忌まわしき傾向は抑えられ、ただただ、最愛のものと一つになりたい、結ばれたい、というパッションに駆られて行くのです。
当然のことながら、男のサガを抱えている私自身は、私"が"悟ろうとすることと、この合一への願いと、どちらに自然に意識が向かわされるかというと...もう自明ではないかi...書いてるだけで"じんじん"してきますよi
我が魂は、本当のホーム、最愛なるものとつながらなければ、安らぐことが出来ないのですi
そもそも、そのもの無くして悟りも覚醒も無いのであれば、それに偏って追い求めることなどどうでもよいではないか?
そして、神的なものとつながることで、主我的な思いから離れられるのです。
しかしながら、多くの場合、女性の最愛なるものとは、"最愛なる人"のことであるのは言うまでもないでしょう。
でも、その存在を自分の中に元々息づいている、愛そのものの光に照らして、深く心に感じてみれば...その存在を通し、その存在を超えて、多くの恋歌で歌われて来た、"永遠の愛ーこれが形なき最愛なるものと共にある愛に他なるまいiー"に目覚めることが出来るかもしれないのですi
女性は、このように本性から"明け渡し"の美徳を備えていると言えるでしょう。
この美徳無くして、もう、この世界はもう立ち行かなくなるのではないか?
故に、女無くして世は開かれない...。