人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

体験すりゃいいってもんじゃないi

2020-11-21 03:22:16 | 秘教、その他団体
スブドでは、"ラティハンによって神の力との接触を受け、神に至る道が開かれる"、と言います。
私は初め、この文言に接して、直ちに神の恩寵の光を受け、霊的な目覚めに与れるものだと思い込んだのです。
否応なしに、何かキリスト教で言う"聖霊のバプテスマ"(一様には語れないものでしょうが、これはある種の覚醒体験と思われます)のようなものが連想されたのです。
"数年前の、あの至福の体験が再びよみがえるのだi"、と期待に胸を膨らませたものの...どうも判断を間違えたと言わざるを得ません。
というのも、ラティハン実修者から"私は光明を得た、目覚めたのですi、人生、生まれ変わりましたi"、という話はあまり聞いたことが無いのです。
結果的に、私自身はスブドに居た間、そういうものに与ることは無かったのです。ただ、あのバイブレーションみたいな感覚はよみがえりましたが...
一寸整理すると、どちらも思いを超えた消息を伝えるものだけれど、これは、表れ、感じ方としては違うことを言っているのです。
恒常的に感じるものか、突出的に感じるものか、もっと具体的に言えば、その突出的な状態にある時、全く自分の思考、意志想念を働かすことが不可能になる、自分の意志でそれを止められない、ということです。
大概の実修者においては、フツーでは考えられないような、いわゆる自動運動というか、身体的な動きが"目覚め"て、それが徐々に全体に広がってゆくというのがフツーで、それからあの爆発的な意識の変容に与ったという話はあまり聞かないという訳です。私が知らないだけなのかもしれませんが...
しかしながら、これと違うケースも稀にあるようなのです。
例えば、私が所属していた支部のヘルパー(スブドでラティハンを伝授する職能を持った人)だった、R人さんなど...
この人が、ある時、自分が最初にラティハンを受けた(これを"オープン"と言う)時のことを話してくれて、"それは大爆発だったi"、とか"この世のこととかとはまるっきり違うi"、"自分の意志で抵抗することが出来ないi"とか述べられ、これは当人にしか分からないのは言うまでもないことながら、私にはそれがある種の覚醒体験だったと思えるのでした。
しかし、朧気な記憶では、あまりその話から愛、平安といったものは伝わって来なかったと思いました。感じ方は人それぞれなのは当然なのですが...
このR人さん。アントニオ猪木を崇拝してて、"力の強いものこそ善だi"みたいな、パワー至上主義者のようであり、又体験至上主義者のようでもありました。"体験の無いヤツはダメだi"みたいな...
そして、前記したことと関連して、"本当のオープン、ラティハンとは、フツーとは違うものなのだi"と力説していたのです。
これに私は同調する部分はありつつも、多くは反感を抱いたのです。
この時はあまり意識的じゃなかったものの、"体験すりゃいいってもんじゃないi"という感慨は、この頃芽生えたのは確かなことでした。
もし、そこに愛、平安が感じられないのなら、ぶっ飛んだ体験があろうと何になるだろうか?
ここで私は返す言葉で、"愛、平安に与る体験が無ければダメだi"、みたいなことを言っているのかもしれません。
そりゃ、無いよりか有った方がいいでしょう...だけど私は、あの体験に与る前から、あれほどリアルなものでないにせよ、この消息は知らされていましたよi
実は...この話の本当の裏側は、私自身がその体験というものに囚われていて(だからスブドの門を叩いたのでした)、そのくびきから中々解放されなくて、今もなおそれを引きずっているかもしれない、というようなことを物語っており、その囚われに気付いた端緒のことに触れているのです。
ラティハンにおける、その体験自体、自我を超えたものからもたらされるにもかかわらず、それに囚われることは、得てして自我意識を助長させてしまうことにつながると思われます。
これは私の思い過ごしかもしれませんが、R人さんは、このことで深い葛藤を抱えていたようにも見受けられました。そして何せよ、囚われることは苦しいことなのです。
そこから解放されるには、愛、平安の恩寵の光によるしか無いでしょう。
そして私とR人さんには、あまり表には現れない"暗闘"があったのも事実です。
あの外見はいかにも面の皮が厚そうだけど、"君は時々、ドキッとすることを言うなあi"、と言って、本当にその巨体を揺らしたり、反面、すごーくビビリみたいなところがあったR人さんi
私は、"いつかギャフンと言わしたろう"、と思っていて、その都度パワーに押し負けて果たせませんでした。
"スブドには随分と自分自身を写し出す鏡みたいな人間が居たなあ"、と改めて懐かしさと共に思わされております。
コメント (4)
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