人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

下からの道、上からの道

2020-11-28 10:03:08 | 求道、探究
宗教、スピ界隈には、"人はいくつかの段階を経て、悟りの境地や神と一体になれる"と説く教えがあります。
私は、そういうものを否定しているのかと言うと、一概には言えません。
ただ、私個人はそういうものをリアルに感じたことが無い、ということなのです。だからと言ってすべてを否定する理由にはならない、という訳です。
そうした教説のよく知られたものに、"人間には肉体の他にエーテル体、アストラル体があって..."といったものがありますが、私は、霊能者と言われる人には分かるのであろう、肉体以外のそういう別の"体"の存在を実感したことは一度もありません。
これは、何々体がそれに対応しているのかは忘れましたが、人間の感情や知性の有り様と対応している、ということなどは人間の意識構造みたいなものを理解する上で有益かと思われます。
この何々体は図示されているものによると、肉体の内に入れ込むように、重なりあって存在しているらしい...私はどうも知らない内にそれらから先入観をもたらされたのか、"神はわが内にお在す"、私の内の最奥に神体みたいなのがある、と思い込むクセがあったようなのですが、実際は、リアルにそう感じたことはあまりありません。
内なるというと、肉体の奥だとか連想しますが、そういう言い回しには囚われない方がいいと思います。
どっちかというと、自分の周りのすべてに神的なものが取り巻いていて、肉体の内も外も境界が無くなってしまう、といった感じになるのです。これが言い換えると、"思いが超えられる"という消息を伝えるものに他なりません。
"内なる"という言葉のヒビキには、私的には、"自分の思い以前から、原初からあるもの"といったものが感じられてきます。これに対して"外なるもの"とは、自分以外の他なるものから自分の思念に取り込まれたもの、という感じのものになります。
思いを超えるか、否か...最も、根本的で、肝心なことというのはこういうことではないでしょうか?
もし、その"段階的な道"において、ずっとその"上位段階に至らなければ、思いを超えた次元が開かれない"、とするならば私は否定的にならざるを得ません。
あなたも私も、世界人類も神を知らない中途の段階をさ迷い続けなればならないのでしょうか? 進化し続けなければ神の光に与ることが出来ないのでしょうか? そこにもう、やり直しは効かないのでしょうか?...だったら、一体どこに救いがあるというのかi
私の精神的な道を振り返ると、なるほどその節々ではある段階を経てきているように思われます。(それが上に向かっているのか、堕落しているのか、進歩しているのか、後退しているのかはテンデに分からないですが...)
で、そもそもその道を歩むきっかけになったのは、思いを超えた神の愛みたいなものに触れたからなのです。そして、その節々でそういうものに会わされているのです。
どれだけ、自分が進化するかどうかということより、思いを神的なものに開くことが出来るか、ということに意識は向けさせられています。
段階的な道というのは大雑把に言えば、下からの道ということが出来るでしょう。
でも精神的な道は、神的な恩寵とか、上からの道というものを欠いては説明がつかないでしょう。
どんな険しい階段を登っていても、途中で迷っていても、暖かい日の光に与ることは出来るはずなのですi
コメント (2)
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