人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

隠された祈り

2021-07-06 10:11:44 | 祈りと瞑想
私がこれまで、"こうすれば何かの境地に達する"とかの特定のやり方、方法というものに頼ってこなかった大きな理由は、そのやり方を覚えようという気が無かったからなのでした。
まあ、これほど根本的な、生来的な理由というものは無いでしょう。
言うまでもなく、やる気が無い、その気が無いってことは、根本的にその道に携わるには相応しくないことなのです。(私の場合はってことですよi)
自然にそうなってしまうんだからしょうがないのです...。
"悟りを開くために、神と一つになるためにそういう方法に従うんですよi"、と言われたって、そうなる気がしてこないのです。
これには、色んな人が色んな違う方法を掲げるので、何が本当なんだか分からなくなる、ということも重なっていたのでした。
そのマニュアルのような書き物があっても、字面を追って読むことも困難になるくらいで、これは生理的な問題と言ってもいいでしょう。
そうは言っても、勿論どうすれば悟りや神の道につながるか、ということも考えていた訳でしたが...しかし、どうしたらいいかは分からなかったのです。
そこで、"人に訊いてもそんな風なことで、ラチが明かないので、神に訊くのがいいi...求めているものそのものなんだから間違いあるまいi"...
というようなことは、求道初期の頃は、勿論意識されてませんでしたが、どっかで覚えられていたのでしょう。
これは祈ることなのです。
祈ることは、何も"ひっかかるものなしに"、自然に出来ます。求道心が起こる以前の昔からしていたようですし...
このことに限らず、どうしていいか分からない時は、自然と"神様..."、と祈らされていたのです。神は何かは分からなくとも...
"神よi...あなたはどういう方なのか分からない...どうか、ハッキリとお示し下さいi"
これは、昔から、いや、物心ついてからというべきか、自覚的でないが、意識に覚えられていた、"隠された祈り"と言ってもいいでしょう。
私はそれがどういうことか知らずに、私を超えたものに意識が向かわされていたようです。
私を超えたもの...私は人からの知識でなしに、自然とそっちに意識付けられてしまうところがあるのです。
このことは、今の私が意識的にさせられることで、ハッキリと分からされます。
祈りについては、色んな人が言う、色んな祈りの"方法"について尋ねるのはバカげたことです。
勿論、幾人かの先師たちから啓発を受けたこともありましたよ。
しかし、自然に身に付いている部分が大きいのです。
祈りと言っても、願いごとをする訳じゃありません。もっとも、そういうこともありますが、根本的には、思いを超えて、神的なものと交わることに他なりません。(いつも言うように、これは深い部分で瞑想と同じなのです)
そのように意識が向かわされる...そのようにやろうとしなくたって、元々その気になってしまっているのですi
そうすると...何だかよく分からないが、何かが開かれてくる気がしてくる...面倒クサそうな、人為的なことは手が付かない...
これが、私が一つ祈ることはしてきた、やらされていた理由なのです。


コメント
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