人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

考えるなi 意識しろi

2021-07-20 11:44:58 | 求道、探究
前回の記事で、"考えごとにしないで、感じたらいいんですi"、みたいなこと書いちゃったのですが、実は最初からもっとストレートに響くであろう、ある言葉が浮かんでいたのです。
だけど、それは一寸使い古されているような感じがするので、引っ込めてしまったのでした。
しかし、今日は、あのブルース.リーの命日なのだそうな...ちっとも知りませんでした。そんじゃあ、改めまして...
「考えるなi 感じるんだi」
これは、ご存じ映画「燃えよi ドラゴン」の台詞ですが、日本で封切られた、昭和48年のブルース.リーの人気ぶりはそりゃあ、スゴかったi...日本の映画界にも火が付き、翌年ぐらいから空手とか武道を描いた作品が続々作られたくらいです(大体が東映系)。しかし、リーはこの時既に故人になっていたのでした。
私は当時高校二年で、クラスにブームに肖って市販されていた、ヌンチャクを持ち込んでくる生徒が何人か居て、私が借りてテキトーに振り回してたら案の定、腕を強打し、その痛さに悶絶して、二度と触るのも、見るのもイヤになったことがあります。(それからすぐ学校で持ち込み禁止となった)
ところでこのブルース.リーのものなのか、脚本家が考えたのか分からないこの台詞ですが、このように続くのだそうです。
「...それは月を指差すようなものだ。指ばかり見てちゃ栄光はつかめないぞi」
一体、何を感じたらいいのか?...と、考えてしまう...それじゃ、ダメなんだと又...具体的に感じられるものがあるから感じることが出来るのです。
これは、武術の修行での場面でしたが、"考えるなi"、という言葉には、小手先のテクニックなどに囚われない、ということも含んでいるようですね。
何ごとでも目的が明確になっていなければ、テクニックなどの手段に溺れてしまう、ということはフツーに言われるようですが...
私は武道などのことは、よく分からないのですが、人によっては、技法や理屈を超えて、何かに惹き付けられるように、自然と動作が起こる瞬間というのがあるのではないですか?
この言葉の喩えでは、"月を見ろi"、と言っているようですが、月の魔力みたいなものもあるのかもしれません。
私なんかは、一寸祈り心地になって、意識が月みたいな自分を超えたものの方に向けられると...そう、あるんですi
これは、感じるというより、意識することなんです。そうすると、じんじん感じられてきます。
何かは分からないけど、意識したらそういうの感じられませんか?
だけど意識するなんて言うと、やっぱり考えることだったり、念じる、意念を強めることだったりして、毎度のことながら、上手く言い表せないんですね。
感覚と切り離せないものなんで、やっぱり意識して、感じてもらうしかありません。
要するに、考えることや、考える自分がやる行為とは違うということが分かれば、そうなっているものです。
これは、考える自分を超えたものがある、ということを言っているのです。これに自然と赴いてしまう...ここには目的というものも無くなってしまう...それに囚われると、やはり思いに取り込まれてしまいます。
このことが分からないから、修行のための修行になってしまうのでしょう。
惹き付けてやまないものがある...やはり月の魔力のようなものなのか?
気が付いたら、カミかオオカミになっているんじゃないでしょうか?!
コメント
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