人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

本来的に分かること

2021-07-09 12:07:11 | 雑感
こないだ緊急事態宣言が解かれたらと思ったら、又四度目の発令となるとか...
何度目でもいいが、コロナは一度だって終息などしてないじゃありませんか?
いい加減、こういう不正確な言い方、何とかならないものでしょうか?
要するに、コロナのことは分からないことだらけなのでしょう。分からないことを分かったようなこと言うから、不正確にしか感じられないのです。
こういう状況下でオリンピック? 是非はともかく、今は開催目前にして事は進行しているのですよi...やる、やらないって今頃何を言っているのか、無観客でやる方針ってのが、今頃決まったのか...(まあ、いざ始まってしまえば、私もきっと夢中になって日本選手を応援するのでしょうねえ...これでいいのか? いいんでしょう...優勝出来たとしても素直に喜べそうにないでしょうが...)
コロナ禍自体もそうですが、こういう場当たり的なやり取りを見るにつけ、何だか夢を見ているみたいで、少しも現実感というものを持てません。
まるで、誰かが"船が出るぞう、乗り遅れるぞう!"、と言うので乗ってみたが、それがどこへ行くのか分からない、アヤフヤなところに居合わされているような感じです。
我々のすべての営みにおいて、この現実感というものが、拠り所となり基盤となるものでしょう。
それにより、"私はここに居る"という足場に立てることが出来るのです。現実感覚と実存感覚は切り離せないものです。
これは頭脳知でなく、感覚で分かることなのです。
ほとんどの人はそのことに意識することもなく、当たり前のように感じていることで、これが分からないと、自分の外で飛び交っている真偽の分からない言葉ばかりに翻弄され、難破船に乗り合わされるようなハメになってしまうのでしょう。
コロナを巡っての、こういう現実にあってこそ、"本来的に分かること"に立脚することが大事です。
世の中がこうなってくると、昔から変わらない花や、動物などの画像や動画などに接して、その美しさ、可愛さがより一層リアルなものに感じられます。
これは、そう感じている自分が意識されているということでもあるのでしょう。
本来的に分かることは、そのことをアレコレ考え巡らさなくとも、自然と意識が赴くようなことで、自分が喜び、幸福に感じるようなことです。
これに反して不安、恐れに感じることは、考えても分からないことなのに、考えてしまう...それで考えて自分なりの何らかの結論に至ったとしても、多くは本当の真実は分からないのです。
かくしてアヤフヤな、他人が、世の中がそう言っている話で溢れかえっているのです。
夢のような世の中で、夢のようなオリンピックが開かれようとしてますが、コロナはコロナ、これはこれ..."夢中"で応援している時は、多分夢のようには感じないでしょう。
そういう自分に、"私はここに居る"、という実感が呼び覚まされることもあるかもしれません。
オリンピック開催が良いのか悪いのかは分かりませんが、そのこと自体は、本来的にいいことなのでしょう。

コメント (4)
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