私が昔と今とで言うことが全然違う、まるで別の人間みたいに感じるのは、宗教教団、特にカルト的な傾向を持ったものに対する観方でしょう。
学生時代入っていたM教団などがそうだったのですが、多分私は半分くらい洗脳されていたと思います。
半分くらいだから、そこから抜け出せることが出来た訳で、内心では教団の教え、在り方に疑問を感じていた、という部分もあったのです。
ここで説かれている神こそが正しく、その教えに依らなければ救われないのだ、と言う...果たして本当にそうなのだろうか?
イチイチ、細かいことで、守るべき正法があり、それに背けば神から戒告があるのだ、と言う...神は本当にそんなことされるのだろうか?
私には、心の底からそういうことは思えなかったのです。ということは、既にそう思わせるものが私の中にはあった、ということです。
それは、その前から漠然と、自分なりに信じていた神についての思い方であり、それに照らされてそう感じてくるようなのでした。
しかし、それも周りがそう言っているから、従っているからということで、仕方無しにそれに準じていたのでした。
そうなってしまうのは、自分自身に自信が無かったからです。だからその教団にハマってしまう訳で...
内心はそう感じているのに、教団が言っていることがホントだったらどうしよう...それに自分の思い、我を出したら、正法に違うことなのだからいけないと言われているし...こういう葛藤があったのです。
私は自信が無かった...又視野が狭かった、教養が無かった...本など丸一冊読んだことも無かったのです。今とは別人みたいi
この半マインド.コントロールから抜け出せた切っ掛けは、ほぼ同時に起きたことで、学園祭の催しで、他の教団が同じように"手かざし"をして、悪霊追い出しをしている動画を観たことで、その教団の独善性が薄らいだことと、教団の後継者を巡る分裂騒動を目の当たりにしたことでした。
それで、私の教団に対して抱いていた思い込みの基盤は、一気にグラついてしまうことになったのです。
他からもたらされる思い込みなど元々基盤など無いのです。心の底から思える、感じるものではないのだから...
カルト思考にハマる人間は、思考に偏向があるということですが、今日のようにネットなどで、様々な観点からの情報に接することが出来る状況にありながら、何故そうなってしまうのかが不思議にも思えます。いや、そうだからこそ、容易く自分の観念に見合った情報に飛び付いてしまうのでしょう。
そこに本当の基盤というものが無いまま、その不確かな言辞に乗せられてしまうのでしょう。
そして、その定見に基づく信念によって、確固たる基盤を築こうとするのですが、それは観念による幻の基盤にすぎません。
彼らは、本当に心の底からそういうことを信じているのでしょうか?
自信を持って、これは私の真実の声ということが言えるのでしょうか?
あるいは、心の底から思えるものを感じられなくなってしまったのでしょうか?
そうなったら...信じる神でなしに、自己と切り離すことの出来ない、実存的な神に聞くしかないでしょう。
今の私は、ナチュラルにそうせざるを得ません...。
学生時代入っていたM教団などがそうだったのですが、多分私は半分くらい洗脳されていたと思います。
半分くらいだから、そこから抜け出せることが出来た訳で、内心では教団の教え、在り方に疑問を感じていた、という部分もあったのです。
ここで説かれている神こそが正しく、その教えに依らなければ救われないのだ、と言う...果たして本当にそうなのだろうか?
イチイチ、細かいことで、守るべき正法があり、それに背けば神から戒告があるのだ、と言う...神は本当にそんなことされるのだろうか?
私には、心の底からそういうことは思えなかったのです。ということは、既にそう思わせるものが私の中にはあった、ということです。
それは、その前から漠然と、自分なりに信じていた神についての思い方であり、それに照らされてそう感じてくるようなのでした。
しかし、それも周りがそう言っているから、従っているからということで、仕方無しにそれに準じていたのでした。
そうなってしまうのは、自分自身に自信が無かったからです。だからその教団にハマってしまう訳で...
内心はそう感じているのに、教団が言っていることがホントだったらどうしよう...それに自分の思い、我を出したら、正法に違うことなのだからいけないと言われているし...こういう葛藤があったのです。
私は自信が無かった...又視野が狭かった、教養が無かった...本など丸一冊読んだことも無かったのです。今とは別人みたいi
この半マインド.コントロールから抜け出せた切っ掛けは、ほぼ同時に起きたことで、学園祭の催しで、他の教団が同じように"手かざし"をして、悪霊追い出しをしている動画を観たことで、その教団の独善性が薄らいだことと、教団の後継者を巡る分裂騒動を目の当たりにしたことでした。
それで、私の教団に対して抱いていた思い込みの基盤は、一気にグラついてしまうことになったのです。
他からもたらされる思い込みなど元々基盤など無いのです。心の底から思える、感じるものではないのだから...
カルト思考にハマる人間は、思考に偏向があるということですが、今日のようにネットなどで、様々な観点からの情報に接することが出来る状況にありながら、何故そうなってしまうのかが不思議にも思えます。いや、そうだからこそ、容易く自分の観念に見合った情報に飛び付いてしまうのでしょう。
そこに本当の基盤というものが無いまま、その不確かな言辞に乗せられてしまうのでしょう。
そして、その定見に基づく信念によって、確固たる基盤を築こうとするのですが、それは観念による幻の基盤にすぎません。
彼らは、本当に心の底からそういうことを信じているのでしょうか?
自信を持って、これは私の真実の声ということが言えるのでしょうか?
あるいは、心の底から思えるものを感じられなくなってしまったのでしょうか?
そうなったら...信じる神でなしに、自己と切り離すことの出来ない、実存的な神に聞くしかないでしょう。
今の私は、ナチュラルにそうせざるを得ません...。