人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

縦のつながり、横のつながり

2022-03-02 11:03:40 | スピリチュアル
人はみなこの世に使命をもって生まれて来ると言われています。
しかし、大概はそのことを忘れてしまうようですね。
それどころか、ポツンとこの世に生まれ落ちてしまったのか、私にも微かに記憶されているのですが、何かとても大事な、それ無くして生きて行けないようなものと切り離されてしまったように感じて、言い様のない不安からか、泣き叫ばずにおれなくなってしまうのではないでしょうか?
そして、フツーはやがて肉親にその失った何かを投影し、すがるようになるのでしょう。
人はみなそのように親とつながり、ひいては兄弟、親類、知人...と徐々につながりの和、輪を広げてゆくものなのでしょうか?
しかし、私は又微かに記憶しているのです。これは、あまり意識の表面には上って来ないものですが、とても私の内面に深ーく横たわっているものです。
"私は本当には親とも、何人ともつながってなどいないのではないか?...つながるとは一体どういうことなのか?"
こう書いてみて、私に電撃的にひらめくものが感じられますi
"私は、真っ先につながらなければならないものとつながっていたのだi"
私にそのように感じさせるものは、その失われた原初的つながりに他ならないのではないか?
私はずっと、心の底にそのような喪失感、不十全感を抱えながら生きて来たのでしたが...私が初めて"人生の裏側"に踏み入れた時、その命の親ともいうべきものとのつながりを体感したのでした。
"取り戻したi、よみがえったi"...このキョーレツな実感こそが、そういう先の私の言葉を裏づけるものであるのは言うまでもありません。
近年、色んなところで言われる、人と人とのつながりというのは、この神的なつながり無しには不可能でしょう。
この神的なつながりを縦のものとするなら、それによって人、いや、生きとし、生けるものとの横のつながりが開かれることは可能でしょう。
これは実につながりを取り戻した時に垣間見た、そうしたすべてで一つの有機的つながりから、そうしたヴィジョンがもたらされるのですが...縦のつながりが先なのです。逆は無いi、あり得ませんi
それは、大は国際間のもつれ、小は諸々の人間関係のもつれを、嫌という程見せられている現実を見れば自明ではないでしょうか?
根本的な問題は、神的なつながりが意識の中で絶たれていることにあるのでしょう。
生まれ落ちた時に、それが絶たれてしまう...その失地回復を求めざるを得ない...
これは本来的な希求というべきでしょう。そして、どんなにこの世が不調和、相克、バカバカしいことでに満ちていても、調和、平和、平安を求めずにはおれない、という人間という動物のいじらしさi
この世に生まれた使命...それは多くの人から"神"と信じられる、自分以外の支配者のような存在から使役されているものなのでしょうか?
そうかもしれません。しかし、それはおそらくは、それ以上に私自身の希みでもあったはずです。
そうでなければ、理屈無しに、この心の底に息づき、こみ上げてくるものの説明がつきませんから...。

コメント
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