人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

平和と平安

2022-03-04 10:02:46 | 雑感
「神様との関係の時は、平和じゃダメなんです。...平和じゃないよ、平安だ。...平安は縦の関係で、平和は横の関係です。人と人との関係は平和です。平安のないところに平和はない」(小池辰雄.1991年5月18日の講話)

いくら、このブログが私の自己満足感というものを濃厚に漂わせていると言っても、他に向けて何らかの発信という目的が全く無かったら、こうして書いてなど居ません。あったりめ~のことですよ。
私が日頃感じていることを書いています。一寸ばかし(?)、私の思想的、信仰的なことに取れるようなことにも触れていますが、それを広めて行こうとか、他に押し付けようとかいうつもりはありません。
例えば、"神的な現臨にあって、愛、平安、リアリティに与れるんだi"とか...いや、スピ系の記事と言ったら、もうほとんどがそういうことに触れているみたいなのですが、これはね、そう言葉にすることで、正に私自身、そういうものに与れるからなんですよi
"それって、自己満やんi...第一、そんな訳の分からんもん、広めよう、押し付けようのないもんですやんi"...ごもっともです。
それでも、とにかくそこから僅かなりとも共感、共鳴するものを感じて頂ければ...というのが偽らざる願いなのです!
ああいう、訳の分からん表現というのは、あくまで私の言い回しに過ぎないのであって、それに囚われる必要は全くないのです。
神という言い方がイヤなら、大いなる命でも、宇宙パワーでも、真我のナントカでも何でもいいのです。又自分が信奉している神様がそうならそれでいいのは言うまでもありません。
早い話があなた自身が本当に感じている(人が言っているんじゃない)そういうもの...あなたの神、神ってるもののことに他なりません。
とにかく...自分の思いを超えたもの、最善、最愛のものとつながるということ(言い方はともかく)...どんな宗教、スピでもこれに触れないものなどない、と言ってもいいのではないですか?
そこに平安がある、と言っているのです。言い方を変えれば、それに導かれない、他から押し付けられたり、煽られたりする、ただ、安易に信じ込むだけの信仰ごとなど何になるのかi、ってことですi
あなたが平安であれば、私もますますそうならざるを得ない...そしてこういう平安を呼ぶ息吹きは、横に平和の息吹きを呼び込まざるを得ないでしょう。
五井先生も常々言われていました。「平和を願わない人間など居ないんだ」、と...
今のこの一触即発の危機的な世界情勢を前にあちこちからそういう願い、祈りの言葉が聞こえてきます。これはやっぱり人情というものでしょう。
だけど、先生のその言葉の根本には神的なものが据えられているのは、親しんでいる人ならみな知っているはずです。
言わずして、神と共なる平安が、平和の祈りとしてもたらされているのです。
イメージすれば、高層ビルか何かの上からひゅーっと風が降りてきて、こちらを吹き抜けて、横に広がってゆくような感じでしょうか?
もしかして、神は人の人情などとは無関係で、人を、世界を救ったりなどしないかもしれません。そうかもしれない...
だけど、私はいつも実感させられています。神的なものの現臨にあること、その示現そのものが救いなのですi 平安なのですi
それは情といったものを超えた、ある意味での実力行使みたいなものです。"これは強力だ、抵抗しようにも為すスベが無いi"(逆説を言っているのです)
というか、願い、祈るってことは、もう自分を超えたものに意識が向けられている、ってことですよね。
そこを、もっと意識的にならなければ...
一人でも多くの方が、平和というものの中身に平安というものを意識して欲しいと願ってやみません。
コメント
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