人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

ただ、このことだけを!

2022-03-19 10:05:05 | 現臨、ハタラキ
「キリストのお側にとどまるよう努めている際や読書をしている時など、突然神の存在が私に迫ってきて、神が私の内においでになる、または私が神の内に完全に沈められていることをまったく疑うことが出来ませんでした。...悟性は、働いていないようですが、失われているわけではありません。つまり、働いていないのではなく、自分の見ていることに驚いているのです。なぜなら、神は悟性に、いと高き御者がお見せになるものが何も分からないことをお示しになりたいからです」(アビラの聖テレサ「神の憐れみの人生(上)」.聖母の騎士社刊)

私はもうこのことだけを綴ってゆきたいくらいです!
そうしているだけで幸せでいっばいになります!
そして、伝えたいことも...
否、私が人に何かを伝える、教えるというのはおこがましいことです。
本当に、ホント~に私の能力、思いを超えているものなのだから...
神、本当の自分、悟り、霊なるもの...自分で考えたって分かりません。
そうしても、どこまでも分かったつもりになるだけです。
分からないものは、分からなくていいのです!
ただ、あの御方が思いを超えてお示しになることがあるのです。
私が何かを思い、何かを為している、そのままで、その外でヒタヒタとそれは私に迫って来る...臨んで来る...
私の中にそれが浸透し、あるいはそれがあふれ出てくる...私の周りもそれに包まれて、私と一つにされてゆく...
神のことも、真我のことも、この聖なるものの現存、現臨によって示されるのです。
思ったり、為したりすることの外のこと、ちっぽけな自分を超えたもののことは、あの御方が面倒をみてくれているのです。
“道を示されることより先に知ろうとしても、地図の上を歩くことは出来ない!”

私は幾度こういうことを書いて、幸福に与ったことか知れません。
だったら、自分だけのノート用に書いてたらいいじゃないか?
いいや、示されているんだからしょうがない!
“これはすべての者に通じているものなのだ!”
自分だけの幸福というものは、本当の幸福ではない、ということも示されているのです。
これを読んでどのくらいの方が幸福に与かるのかどうかは...
私の思いの外のことなのですが...



コメント
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