人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

現臨が貫いている

2024-01-06 09:15:18 | 現臨、ハタラキ
今朝目覚めた時、アリアリと思い出されました。
忘れもしない、昭和54年、1月7日、私に初めて神的な現臨というものが自覚されたのでした。
ジンジンと震えるような、内的感覚に伴う、何かに守られている感じ、本来の自分に帰ったような感じ、歓喜が突き上げてくるような感じ...
それまでが何か言い知れぬ不安感があったので、テキメンにそういうものが感じられたのでした。
そして又、“あ、そうだ、あの時も!“...1989年の1月8日にも似たようなことがあったことを突然思い出したのです。ちょうどこの日は、昭和から平成に元号が代わったのでした。
だから、いやが上にも、“新しい時代の到来“に対しての喜びを呼び込むことにもなったのでしょう。
この年も正月からかなり重い高熱などの風邪症状と歯痛で、三が日かけてダブルパンチに見舞われるなどがあったので、余計にそのことを感じたのでした。
共に冬とは思えない、とても暖かい日でしたが、陽気に誘われたためだけではないようです。
こういう時は、とても家でジッとしていられなくて、共に幸福感に迫られ、押し出されるように、行く宛など何処でもよく、外に飛び出していったのでした。
いずれも正月ということで特に思い出されるのですが...こういうことは実はいつも書いているように数えきれないくらいあるのです。
いや、アリアリと覚えているものは、すべてこの現臨感が伴っていると言っても過言ではありません。
何故、思い出し、覚えているかと言うと...今朝目覚めた時がそうなっていたからに他ならないのです!
その時その時の、断片的なこういう出来事が、その今(この今ですよ!)につながってしまうのです。時空を超えて現臨が貫いているという感じです。
これは、何度か書いているように、単なる頭の中の断片的な記憶に基づいたものではなく、身に覚えられているように、意識の底に常在しているのです。
意識の表層に浮かび上がった時に、その意識の層が貫かれるようです。
人生でアリアリと思い出されるものは、こういうものばかりで他のことは、色褪せているようにも感じられます。
又逆に言えば、色褪せられてしまうような出来事であっても、リアルに印象づけられるものは、この現臨感によるとも言えるでしょう。
何故ならば...神的な現臨とは現実在らしめるものなのだから!...




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする