人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

無条件の愛

2016-03-15 12:32:39 | スピリチュアル
”私はいない”なんて簡単に言う人がいるけど、何にも依るものが無く、意識も失いそうになり、ただ自分が無くなって、奈落の底に消えて行くような感じの恐ろしさがあるのを知っているんでしょうか…
想像してみてください…私は無くなるというのはすべて無くなるんです。
成程、この世のどんな事もそこでは問題では無くなります。
どんな悩みも無いです。ただ言い知れぬこの恐怖が有るのです。それはおそらく死と隣り合わせのものでしょう…
消そうとしたって消えません! 気づきだ、何だ、で簡単に物事が消えると考えてる人は多分心臓の鼓動も自由に消せるだろう…
幼児は放ったらかしにされたら、無性に泣きますね。
縋るものを求めているんじゃないですか?
人間はどうしたって、何かに依ろう、縋ろうとするんです。依るものが無かったら多分、発狂するでしょう…
しかし、この何かに依ろうとすることを、より確かなものにしようという知恵から諸々の条件が付されていきます。
自立したとされる大人~多くはそう自認しているのですが…の世界には、主義、信仰、政党、いやいや社会人としての生き方がどうした、こうした…と依り縋るものだらけで雁字搦めという有様じゃありませんか?
そこには何か重大な忘れ物があります…言葉で言い表せないもの…
それは愛…
私が冒頭に書いたようなことに陥った時(それは意識が変わろうとしかけていた時です)、私の祈りならぬ祈り?が通じたのか、いや愛のほうがハタラきかけたというべきか、その言い知れぬ愛に包まれることにより、安んじることが出来たのです。
この内側から促しているものは何なのかは分からない、それに従っていいかどうかも分からない…
でも、私は何かに吸い寄せられるように従うしかなかったのです!
何故ならば、愛が有るから…

ああ…真理だ、悟りだと、愛、恩寵のハタラキというものの抜け落ちた、”空論”の虚しさよ!
”私はいない”…そう、虚無しかないだろう…

子供は物心ついて多くの場合親を通して言葉を覚え、言葉を通じて理解しようとします。
そして元々それは言葉を超えたものであったはずなのに、いつしか愛というものすらも言葉の理解に変換させてしまうのです。
無条件なものであったものが、”こうでなければならない”と条件で一杯の強圧的なものに感じられていくのです。
愛の喪失感と共に…
そして愛はどこからか取ってこなければ得られない、どこかに行かなければ、教えてくれる誰かに聞かなければ得られない…と思い込み始めます。
でも…愛はあなたが求める以前から与えられているではありませんか?
それは、あなたが諸々の条件を手放した時に回復されます。
もし、人生でのっぴきならない事態に陥った時、死というものがチラついたような時
ビルの屋上から飛び込むように、無条件の愛に飛び込んでみては…
人が教える神のようなもの、愛のようなものに飛び込む前に、あなたの神に、愛に飛び込んでみては…
あなた自身が本当に実感できるものを、…のようなものに置き換えられるのですか!
ここは私とあなたの世界です!















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