人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

22歳の私へ

2014-12-03 17:21:41 | 詩的文章
久しぶりだなあ…本当に久しぶりだよ
何度も会ってるつもりだったけど、本当に久しぶりに君に出会えたよ
相も変わらず、ひょろひょろじゃあないか
ちゃんとメシ食っているのか
おっと、オヤジみたいな口訊いてゴメンな
そう言えば、あん時オヤジと派手にやりあって
親子の縁切るとか、どうとかモメてたっけなあ
何だかドサクサまぎれに一人暮らし始めたんだよな…

知らなかったよ
僕は君のことは全部分かってると思ってた
何しろ君の知ってることで、僕の知らないことは無いはずなんだから…
でも35年も経っちまったんだよな
この月日の流れは、何かを見えなくしちゃったんだ
知らなかったよ…そして
思い出した
君の中でどエライものが動き出していたのを
このものは…ホントに…
君の手に負えるもんじゃない
…ただ見てる他何も出来やしないんだ
そして…このものが表に出ようとしたのなら
それに委ねる他何も出来やしない
ただ見守っているだけ…
このものは誰にも捉えることが出来ない
でも…僕は初めて知ったよ
君は何もかも分かっていたんだ
君の自信無さそうな生き様が、自覚を与えなかっただけだったんだ

僕は今、魂を揺さぶられながらこれを書いている
そして…僕たちは一つになれたよ
何故なら…あん時の君も魂を揺さぶられていたんだから
35年の月日はまるで電車から観てる景色みたいに、通り過ぎて行く
もはや、ここには…時間も空間も無い
今、ここばかりじゃないか
僕は知らなかった
君がこのものをずっと守り続けていたなんて
いつまでも抱きしめてあげたいよ
ありがとう
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不思議なZENTAXI(その1)

2014-12-02 16:41:31 | 創作
人生には色々な選択肢が有ると言います。
今オンエアされてるドラマの話じゃないですけど、もし過去に戻って選択を変えることにより運命を変える事が出来たら…
という事でなく、人はどの道を通っても起こることは起こるし、どうしたって起こるべきことに導かれてしまうものだ…ということを確かめたくなり、私は30数年前に戻ってみる事にしました。
と言っても例のタクシーでじゃないですよ。
こっちは一寸ばかりグレードが高いんです。
料金? 50万円!
ウソです!でもこれに乗るのはもっと大変かも分かりません。
全てを委ねないとならない、つまり全託しなければならないのです。
名付けてZENTAXI
あのドラマの設定と違って過去の自分自身と会う事が出来…と言うより自分自身としか向き合う事が出来ないのです。
という訳で…色々あったけど全部白紙にしてと…
懐かしいなあ!やって来ましたのはJR(当時は国鉄)中野です。
北口サンモール商店街の路地に、隠れ名所のように知られていたその名も「クラシック」という音楽喫茶が有りました。
その店構えたるや、これぞ究極のアンティークと言えるもので、ドタドタと階段を上がろうものなら抜け落ちそうなくらいでした。
プツプツと針の音のするクラシック音楽の流れる店内の片隅で、何やら難しそうな本を読んでいるのが30数年前の私です。
今の私からは想像出来ないくらいまるで栄養失調のようにやせ細っていました。
―となり失礼するよ!
「あ、ハイ…どうぞ…」
―学生さん? 勉強熱心だねえ…
「い、いえこれは自分の趣味で読んでるだけですけど…」
―ちょっといい、見せてくれないかい。何々ベルジャーエフ…ほう、これはいい!
「知ってるんですか!」
―これを訳した人は小池辰雄って人だろ!
「…驚いたなあ! なんで知ってるんですか!」
―この人はね、表の顔はドイツ文学者、ゲーテの研究家なんだけど、裏の顔はもう大変なクリスチャンなんだよね。
「そ、そうなんですよ! こないだこの先生のペンテコステ集会というのに飛び入りで行ったんだけど、驚いたのなんのって…机をぶったたきながら”今の教会はなんだ!この聖霊の圧倒的事態を一体何だと思ってるのか!”なんて獅子吼してましたよ。するとまるで導火線に火が付いたみたいに周りの人がアーメンとか連呼したりして…貴方はそこの関係の人?」
―いや違うよ、あの集会は幕屋というじゃないか…手島先生の原始福音とは違う…まあ、そこの借宿に泊めてもらった一放浪者ってとこかな。
「フーン…奇遇ですねえ、僕はちょっとあの集会には躓いたなあ…もっと頭を冷やす必要があるんじゃないかなあ…それでもですね、僕はあの小池さんの本で書いてることには無性に惹かれますね。”人生において人の運命を分けるのは、絶対的なものに対し魂が砕けるかどうかだ”とか」
―…き、君ってヤツは…
「何ですか!急に…僕はそんなに感激すること言ったかなあ…」
―その言葉の重みをいずれ身を持って知ることだろう…
「何を言ってるのかよく分かりませんが…この哲学はどうでしょう、ソボールノスチって知ってます?」
―知ってるよ、普遍的共同体っていうのかな?小池さんの言うエクレシア(教会の原義、召された集まり)と通じ合うところがあるようだね。
私はこれはキリスト教という枠を超えたもの、本当の意味で普遍的なものと通じているものと理解しているんだけどね
―「そ、そうですかあ…いやあ何だか気が合うじゃありませんか、初めて会った気がしないですよ!…ところでぼくは今こんなのも読んでるんですよ、これは知らないでしょ?」
―日月神示…知ってるさ、神サマ関係の人でこれを知らないのはモグリだ
「そんなことはないでしょ!これはそんじゃそこらで手に入らないシロモノなんですから…」
―いや、Nさんの新書はどこでも見つけられる…(し、しまった、ここは30数年前だった)
「Nさん?誰?新書?まさかあ、一体誰が読むんですかね…それはともかく僕は大本で担っていた神仕組みを継承している霊的拠点を探しているんです。兵庫の但馬のあたりにもこの日月神示に似た神示を出してるところがあるんですけど、最近どうもソースというか、神の系統がオカシクなってしまったようで…」
―まあ、ゆっくりやり給えよ…君は近いうちさっきのベルジャーエフとその大本神業継承とやらの縁で、君の人生の転機となる出会いに巡り合うだろう
「まるで予言者みたいなこと言うんですね…なんですか?その出会い、転機っていうのは?」
―いずれ分かるさ、それにしても君は思想的こだわりから自由だし…又随分と目敏いんだね
「僕はトコトンまでいかない事には…どうしても僕の魂は落ち着くことが出来ないんです。これは僕自身にもどうにもならないものが有るんです
―…私にはねえ…君の中におそらく君自身の頭では分からない、なんていうか…その、サムシング、名状し難いドエライものが有るのをハッキリ感じられるよ!
「僕にも頭では理解出来ないんだけど、貴方の話を聞いてると、なんだか魂が揺さぶられるような感じがしてきてならないんです…」
―君は様々な縁を借りて自分の中で全てであって一なるものを見出そうとしているんだね…それは全て君の中のサムシングがやってることなんだよ!
「…と、ところで貴方は一体誰なんですか?とても他人とは思えないが…僕のオヤジ以上に僕みたいだ…」
―私?私は…ま、時空の放浪者とでもいうかな…
「訳分かんないが…僕はそろそろ帰らなきゃ、色々楽しかったよ」
大変だ!私は一体どうやって帰ればいいんだろう…帰り方は聞いてなかったぞう!
―君!済まんが今日泊めてくれないか、最近一人暮らしし始めたんだろう…
「エ、そんな話何時したかなあ?…ま、いいか貴方は放浪者っていうより浮浪者なんでしょ」
こうして私は選択の余地なく、彼と言う私自身のところに寄宿するハメになったのです。


      (不定期投稿に続く)
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当たり前のこと

2014-12-01 20:00:04 | 身辺雑記
先日、ある喫茶店で結構な値段がするけど、美味そうなのでミソカツサンドというのを注文しました。
食べてみると、これがどうもミソの味が一向に感じられず、代わりにイヤな予感のする味がしてきました。
これはもしや、とよく見てみると…ぬ、ぬあんと…私が苦手なマヨネーズなんぞが塗られているではありませんか¡
な、なんチューことをしてくれたんだあああ…
すかさず、私は店員さんに向かって「おい、アンタの家ではミソ汁にマヨネーズを入れて食うんか!
マヨネーズのおかげで私の楽しい筈のランチタイムが台無しになったじゃあないか!金払わんゾ!」と食って掛かろうと…
思ったのでした…。
お騒がせして済みません…。
エッ、貴方のような人でも御乱心なさることもあるんですかって?
当ったり前じゃあありませんか!
こないだもある人に「私は何時巨大地震が起こるかも知れないのでコワイ…」と言ったら、貴方でもそうなんだ、と思うとホッとした」なんて…。
そりゃ、誰だってコワイでしょ!
数年前、あるスピリチュアルヒーラーが済ました顔で「精神的に目覚めた人がHなことに浸るなんてあり得ない!」なんて言ってましたが、そっちの話こそあり得ないと自信を持って断言出来ます!…
一体この私は聖人君子なんですか? 私のことをよく知ってる人が聞いたら笑い転げるかも知れない…
もっともある知人なんかは私がこのようなブログを書いてるのを知ったら、年賀状をよこさなくなるかも知れませんが…。(笑)
こういう話というのは本当に付いてまわるものですね。
目覚めた人というのはよっぽど普通の人と違うんだとか…
静寂の境地に居てやたらと心を乱したりしないんだとか…
別の観点で言うと、この世的にも幸運が続いて成功しているとか…
尊敬の目で見られることには変わりが無いようです。
人格の成長とか完成とか、何を差して言うのかは分かりませんけど、それとこれとは直結してはいません。
確かにそういう先入観は私にも有りました。
「何だって私は大いなる命というものを知ってるのに、何故いつもイライラしてなきゃならないんだろう…
そしていつも金が無いときてるではないか!」といつもボヤいてました。
多くの宗教家などがそういうイメージを作り出したとも言えます。
又今でもスピ系のセミナーでは特にこの世的な幸福、成功と結び付けて語られることが多いようです。
人間的成長も成功も悪くないですよ、
お求めの方は、お好きになされたらいいです。
でも無理して自分を理想のイメージに作ったり、人に見せたりするのは私はもうイヤですね。
疲れるので…
このように感じさせる根底には、「人間は成長したり、賢くなったりしても所詮五十歩百歩…どうせみんな寿命が来たら死んじゃうし…」
というのが意識に刻まれているためのようです。
ホントにどエライものはその限界を超えたところにある。
それはもはや一個人のことではない。
だから特別な人なんか居ないのです。
そのうち、そんな人は居なくなるか、みんな特別な人になるでしょう…。
ただ私の生活で一つ得をしていることが有るとすれば、皆と同じようにイラついたり、ヘコんだり、パニクったりすることは有っても、あまり後に引かないということですかね。
嵐は勝手に去って行くという感じで…
でもそれはどんな人も心がければそうなると思いますが…私は心がけたことは無いですけど。
エッ、ヤッパリ普通じゃないって?
そりゃあ、そうです、みんな一人一人違うんですから…。


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