今日は以前書こうとしてたけど、何か抵抗するもの、押しとどめようとするものが有って(闇の勢力の陰謀か?)、書けなかったことを意を決して書いてみます!
”全てを見通す目に照らされる…”とか”上よりの光、現臨に全てを奪われる”なんてこと示されると神の裁き、審判のようなものを連想される方も居られるかもしれません。
意識的でか、無意識的でか、自分の中でずっと隠していた悪いこと、思いなどが明るみにされるらしい…果たして、裁きというような事が有るのか、どうか…
さあ…
私にはあなた自身がどう感じるか、どう観るか…というような事には何とも申し上げられません。
ひょっとして、あなたが最も恐れているような事態にも見舞われるのかもしれない…そうなってみないとわかりません。
ただ、あなたの思いはどうであろうと、あなたの魂が望んでいることしか起き得ないでしょう…
私について言えば…”裁きみたいのはきっとあるに違いない”という思いは根強くありましたよ。実際にそうなってみるまでは…
でも、同じように”僕は自分自身では自分が確信できる道、ホントにホントに身が頷かざるを得ない道というものは見出すことが出来ないだろう…決定的な光明のようなものに照らされなければならないのだ!”という思念も拭い去れずに持ち続けていたのです。
そして…この相反する二つの思いが、あの神秘の門の前でついに相対自することになったのです。
これはさしずめ、善と悪とのハルマゲドンの戦いとでもいいましょうか?
30数年前、8月の真夏の体を差すように照り付ける太陽…原因不明のその日の朝から続いている高熱による、思考機能の低下がこの戦いの場を引き寄せたのです。…
というストーリーもコミックやドラマの世界だったら面白いでしょうが、実はこれは私の思いを超えたところでの要求がもたらした、とも言えるのです。
宗教、スピ界では当たり前のように神、真理について語られます。しかし、そこで意識の有り様次第で全く違った様相に導かれるものです。
それは神、真理というものを自己の思念の限界内に取り込んでしまうか、そこから超え出るか、ということで別れてきます。
全てを見通す神の裁き…コワイですか?…それとも意識が昂揚してきますか?
このように、エンライトメント、光明に預かるとか目覚めと言われるものと神の裁き、審判と思われているものというのは実に裏表のものではないですか?
前者については、チッポケな自分の見識などに留まることが出来ず、自分を超えたところからの光明を受け入れる、という気概を持たない者には開かれるものではないでしょう。(もっとも自分の思いでは分からなくとも、より深いところではそれを求めていたりするものですが…)
こう考えると、そもそも陰謀論者などで取り沙汰されている、闇の勢力って一体なんだと思いますか?
自分自身の目で見たことも無い、その闇の勢力のことやら高次元やら前世…アレコレの空想を逞しくして、リアルな現実~現臨が臨む場~から遊離させる浮いた思念。
とりわけ、”これしか真理は無い!”といった自己の限られた思いに固着し、自己を超えた、上よりの光を覆い隠し、遠ざけようとする思念のことではありませんか?
もしかしたら現実に世界の裏面で暗躍する闇の結社のようなものも実在するのかもしれません。
しかし、我々の上よりの光を拒み続ける、閉ざされた意識状態というものと、彼らの光の隠蔽工作というものが有るのなら、それは一蓮托生のような関係と言えるでしょう。
こういう事書いているからと言って、何もそうしたものを糾弾しようなんてつもりはありません。
ただあまりにも陰謀論などには近視眼的な観方というものが目に付くもので…
あの全てを見通すような目に照らされることに恐れを抱く気持ちも分かります。
皆それぞれの自由意志で生きている訳ですから…
自由は尊重されるべきです。言ってはならず、言わねばならず…
以前、こういう事を書こうとするのを押しとどめようとした闇の勢力の正体とは…
この葛藤のようでした…。
”全てを見通す目に照らされる…”とか”上よりの光、現臨に全てを奪われる”なんてこと示されると神の裁き、審判のようなものを連想される方も居られるかもしれません。
意識的でか、無意識的でか、自分の中でずっと隠していた悪いこと、思いなどが明るみにされるらしい…果たして、裁きというような事が有るのか、どうか…
さあ…
私にはあなた自身がどう感じるか、どう観るか…というような事には何とも申し上げられません。
ひょっとして、あなたが最も恐れているような事態にも見舞われるのかもしれない…そうなってみないとわかりません。
ただ、あなたの思いはどうであろうと、あなたの魂が望んでいることしか起き得ないでしょう…
私について言えば…”裁きみたいのはきっとあるに違いない”という思いは根強くありましたよ。実際にそうなってみるまでは…
でも、同じように”僕は自分自身では自分が確信できる道、ホントにホントに身が頷かざるを得ない道というものは見出すことが出来ないだろう…決定的な光明のようなものに照らされなければならないのだ!”という思念も拭い去れずに持ち続けていたのです。
そして…この相反する二つの思いが、あの神秘の門の前でついに相対自することになったのです。
これはさしずめ、善と悪とのハルマゲドンの戦いとでもいいましょうか?
30数年前、8月の真夏の体を差すように照り付ける太陽…原因不明のその日の朝から続いている高熱による、思考機能の低下がこの戦いの場を引き寄せたのです。…
というストーリーもコミックやドラマの世界だったら面白いでしょうが、実はこれは私の思いを超えたところでの要求がもたらした、とも言えるのです。
宗教、スピ界では当たり前のように神、真理について語られます。しかし、そこで意識の有り様次第で全く違った様相に導かれるものです。
それは神、真理というものを自己の思念の限界内に取り込んでしまうか、そこから超え出るか、ということで別れてきます。
全てを見通す神の裁き…コワイですか?…それとも意識が昂揚してきますか?
このように、エンライトメント、光明に預かるとか目覚めと言われるものと神の裁き、審判と思われているものというのは実に裏表のものではないですか?
前者については、チッポケな自分の見識などに留まることが出来ず、自分を超えたところからの光明を受け入れる、という気概を持たない者には開かれるものではないでしょう。(もっとも自分の思いでは分からなくとも、より深いところではそれを求めていたりするものですが…)
こう考えると、そもそも陰謀論者などで取り沙汰されている、闇の勢力って一体なんだと思いますか?
自分自身の目で見たことも無い、その闇の勢力のことやら高次元やら前世…アレコレの空想を逞しくして、リアルな現実~現臨が臨む場~から遊離させる浮いた思念。
とりわけ、”これしか真理は無い!”といった自己の限られた思いに固着し、自己を超えた、上よりの光を覆い隠し、遠ざけようとする思念のことではありませんか?
もしかしたら現実に世界の裏面で暗躍する闇の結社のようなものも実在するのかもしれません。
しかし、我々の上よりの光を拒み続ける、閉ざされた意識状態というものと、彼らの光の隠蔽工作というものが有るのなら、それは一蓮托生のような関係と言えるでしょう。
こういう事書いているからと言って、何もそうしたものを糾弾しようなんてつもりはありません。
ただあまりにも陰謀論などには近視眼的な観方というものが目に付くもので…
あの全てを見通すような目に照らされることに恐れを抱く気持ちも分かります。
皆それぞれの自由意志で生きている訳ですから…
自由は尊重されるべきです。言ってはならず、言わねばならず…
以前、こういう事を書こうとするのを押しとどめようとした闇の勢力の正体とは…
この葛藤のようでした…。