「日の光り今も昔も変わらねど 大内山にかかる黒雲」
「霊幸ふ神の心を高山の 雲霧分けて照らせたきもの」
「連綿と天津日嗣の末ながく 動かざる世をなお祈るかな」
(出口王仁三郎・瑞の神歌)
その日は真冬だというのに、初夏を思わせるようなポカポカ陽気でした。
「こうしては居られない!」と、じっとしていられないような衝動を覚えて、朝起きるなり気の赴くままに向かったのは、京都御所でした。(当時は関西在住)
1989年一月八日…平成時代の幕開けとなったその日のことです。
昭和天皇の崩御、新しい平成天皇の誕生…この事がそんなに唐突に私の中に眠っていたあるものを呼び覚ましたのでしょうか?
なんでそうなってしまったのか分からない…理屈無しにある歓喜が込み上げてくるのを抑えられなかったのです。
その時思い知らされたことは、私はこの国に生まれてこの国の事が全く知らなかった、ということなのでした。
久しく鳴りを潜めていた、私の日本的霊性のある脈筋に再び火が付きました。
巷では、この自制に合わせたかのように、戦争責任などの天皇問題についての喧々諤々の議論が繰り広げられていました。
あの日の京都御所の周辺がそうだったように、御宮にはいつも右だの左だのの喧しいイデオローグたちが取り巻いています。
天皇を利用して我が国を軍国主義に導いた時の権力者たちはとうに消え失せました。
誰が誰に責任を押し付けようとしているのか…
天皇はいつも天皇であるだけであるにも関わらず…
天孫族は外国から渡ってきた…元からの一系じゃないらしい…真実のことなど知る由も無いが、あるいはそうなのかもしれません。
だが…中途で系統が入れ替わったりしようと、形では謀略、侵略のようなことが行われていようと、絶えることなく日嗣(霊を継ぐ)の継承がなされていること…これが万世一系という事ではないでしょうか?
天皇とは国民の象徴である、と言います。
随分民主主義的な響きがありますが、私はそれでも畏敬を覚えずにいられません。
この象徴というものの裏に隠されているものに思いを致せば…
人は皆神の末裔であることの象徴…象徴とは型どり…型が有るということは、それが表している実相が有るという事…それと相即している連繋というものが有るということ…これが国民なるものの内に秘されているということでしょう。
それは国民ばかりか普遍的人類の象徴ではないでしょうか?
神の裔、神の型どりであることには、神武以前の原日本王朝も、北朝も南朝も、戦前も戦後も、国粋主義も外国主義も民主主義も無いはずです。
天皇の存在とは、これらの綾なしの結び目を象徴しているのではないでしょうか?
昭和天皇は人間宣言をされた…神は祭り上げるものじゃない、人間が神の裔、神の型どりの象徴である、とはそれ自体、神の天降りを象徴しているのでしょう。
今生天皇は又それまで以上に国民のもとに、国民と共にあろうとされているようです。
天降りの見印しがありやかになるにつれ、国民に秘められたものもありやかにされてくるのでしょう…。
「霊幸ふ神の心を高山の 雲霧分けて照らせたきもの」
「連綿と天津日嗣の末ながく 動かざる世をなお祈るかな」
(出口王仁三郎・瑞の神歌)
その日は真冬だというのに、初夏を思わせるようなポカポカ陽気でした。
「こうしては居られない!」と、じっとしていられないような衝動を覚えて、朝起きるなり気の赴くままに向かったのは、京都御所でした。(当時は関西在住)
1989年一月八日…平成時代の幕開けとなったその日のことです。
昭和天皇の崩御、新しい平成天皇の誕生…この事がそんなに唐突に私の中に眠っていたあるものを呼び覚ましたのでしょうか?
なんでそうなってしまったのか分からない…理屈無しにある歓喜が込み上げてくるのを抑えられなかったのです。
その時思い知らされたことは、私はこの国に生まれてこの国の事が全く知らなかった、ということなのでした。
久しく鳴りを潜めていた、私の日本的霊性のある脈筋に再び火が付きました。
巷では、この自制に合わせたかのように、戦争責任などの天皇問題についての喧々諤々の議論が繰り広げられていました。
あの日の京都御所の周辺がそうだったように、御宮にはいつも右だの左だのの喧しいイデオローグたちが取り巻いています。
天皇を利用して我が国を軍国主義に導いた時の権力者たちはとうに消え失せました。
誰が誰に責任を押し付けようとしているのか…
天皇はいつも天皇であるだけであるにも関わらず…
天孫族は外国から渡ってきた…元からの一系じゃないらしい…真実のことなど知る由も無いが、あるいはそうなのかもしれません。
だが…中途で系統が入れ替わったりしようと、形では謀略、侵略のようなことが行われていようと、絶えることなく日嗣(霊を継ぐ)の継承がなされていること…これが万世一系という事ではないでしょうか?
天皇とは国民の象徴である、と言います。
随分民主主義的な響きがありますが、私はそれでも畏敬を覚えずにいられません。
この象徴というものの裏に隠されているものに思いを致せば…
人は皆神の末裔であることの象徴…象徴とは型どり…型が有るということは、それが表している実相が有るという事…それと相即している連繋というものが有るということ…これが国民なるものの内に秘されているということでしょう。
それは国民ばかりか普遍的人類の象徴ではないでしょうか?
神の裔、神の型どりであることには、神武以前の原日本王朝も、北朝も南朝も、戦前も戦後も、国粋主義も外国主義も民主主義も無いはずです。
天皇の存在とは、これらの綾なしの結び目を象徴しているのではないでしょうか?
昭和天皇は人間宣言をされた…神は祭り上げるものじゃない、人間が神の裔、神の型どりの象徴である、とはそれ自体、神の天降りを象徴しているのでしょう。
今生天皇は又それまで以上に国民のもとに、国民と共にあろうとされているようです。
天降りの見印しがありやかになるにつれ、国民に秘められたものもありやかにされてくるのでしょう…。