人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

人類の象徴

2016-09-20 19:27:25 | 日本的霊性
「日の光り今も昔も変わらねど 大内山にかかる黒雲」
「霊幸ふ神の心を高山の 雲霧分けて照らせたきもの」
「連綿と天津日嗣の末ながく 動かざる世をなお祈るかな」
            (出口王仁三郎・瑞の神歌)

その日は真冬だというのに、初夏を思わせるようなポカポカ陽気でした。
「こうしては居られない!」と、じっとしていられないような衝動を覚えて、朝起きるなり気の赴くままに向かったのは、京都御所でした。(当時は関西在住)
1989年一月八日…平成時代の幕開けとなったその日のことです。
昭和天皇の崩御、新しい平成天皇の誕生…この事がそんなに唐突に私の中に眠っていたあるものを呼び覚ましたのでしょうか?
なんでそうなってしまったのか分からない…理屈無しにある歓喜が込み上げてくるのを抑えられなかったのです。
その時思い知らされたことは、私はこの国に生まれてこの国の事が全く知らなかった、ということなのでした。
久しく鳴りを潜めていた、私の日本的霊性のある脈筋に再び火が付きました。
巷では、この自制に合わせたかのように、戦争責任などの天皇問題についての喧々諤々の議論が繰り広げられていました。
あの日の京都御所の周辺がそうだったように、御宮にはいつも右だの左だのの喧しいイデオローグたちが取り巻いています。
天皇を利用して我が国を軍国主義に導いた時の権力者たちはとうに消え失せました。
誰が誰に責任を押し付けようとしているのか…
天皇はいつも天皇であるだけであるにも関わらず…
天孫族は外国から渡ってきた…元からの一系じゃないらしい…真実のことなど知る由も無いが、あるいはそうなのかもしれません。
だが…中途で系統が入れ替わったりしようと、形では謀略、侵略のようなことが行われていようと、絶えることなく日嗣(霊を継ぐ)の継承がなされていること…これが万世一系という事ではないでしょうか?
天皇とは国民の象徴である、と言います。
随分民主主義的な響きがありますが、私はそれでも畏敬を覚えずにいられません。
この象徴というものの裏に隠されているものに思いを致せば…
人は皆神の末裔であることの象徴…象徴とは型どり…型が有るということは、それが表している実相が有るという事…それと相即している連繋というものが有るということ…これが国民なるものの内に秘されているということでしょう。
それは国民ばかりか普遍的人類の象徴ではないでしょうか?
神の裔、神の型どりであることには、神武以前の原日本王朝も、北朝も南朝も、戦前も戦後も、国粋主義も外国主義も民主主義も無いはずです。
天皇の存在とは、これらの綾なしの結び目を象徴しているのではないでしょうか?
昭和天皇は人間宣言をされた…神は祭り上げるものじゃない、人間が神の裔、神の型どりの象徴である、とはそれ自体、神の天降りを象徴しているのでしょう。
今生天皇は又それまで以上に国民のもとに、国民と共にあろうとされているようです。
天降りの見印しがありやかになるにつれ、国民に秘められたものもありやかにされてくるのでしょう…。




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消された神

2016-09-19 13:04:26 | 日本的霊性
古事記・日本書紀に代表される日本神話ですが、どこまでが神の世界の話で、どこからがこの人間世界の事かについては分かりません。
中には全く古代史のような視点で、つまりこの世に有った事象として、それを捉えている研究者も少なくありません。
それに従えば、天照大神も素戔嗚尊も人間だった、という事になります。これでは大本神話を借りなくても、”神は根の底に押し込められてしまった…”という事になりそうです。
神話と言うのだから、どっかで神的なものとの関わりは有った、と見るべきではないかと思うのですが…もっとも、それは神代の時代に限った事じゃなく、人間世界のどの局面にも、そうしたものが隠されているのだ、といつも申している次第です。
何にしろ、神代の話というのは、幾多もの決めつけた言説が存在しようと、要するに神に聞かにゃ分からないものです。
こういう事は、もう心象に留めておくに限ります。言い換えると何を、どう想像しようと、解釈しようと自由だ、という事です。ただ、それを心象の境界からハミ出して、外に向かって主張し出したら忽ち、内的世界の自治権は、容易く他の侵入に脅かされるだけの話です。
心象に…というのは、それだけじゃないのです。それによりその不確定ながらも内的に印象付けられる物柄を、より”意識的なものにすること”でもあるのです。こういう事を踏まえまして…
大本に代表される神話というのは、ご存じのように記紀神話には見られない異形のものを伝えていて、天理教祖中山みき刀自や大本教祖出口なお刀自の「お筆先」には、天皇家、朝廷に対する露骨な怨恨とも取れるような言葉も散見されます。
ところが出口王仁三郎師(師にはその出自を巡って取り沙汰されていることが有って、私はその近い縁の方からハッキリと肯定的断言を聞いたことがあります!)や日月神示の登場となると、和合的側面も見られるようになります。
どちらにせよ、その基調から我が国は大和朝廷以前に、神武以前にある種の大王が統治していた、ということが伺えます。私は(多分、多くの人にも)そのモデルとしてすぐにイメージし易い神名が思い浮かびます。”大国主”です。
如何にもとってつけた名前だな、と私は思うのですが、言うまでも無く出雲を統治していたとされる神ですね。これが覚えきれないくらい、沢山の別名を持っていまして、この点でも何となくデッチ上げられた神という印象を持ってしまうのです。出雲を代表する神にも関わらず、出雲大社の主神である以外、祭神としてほとんど見当たらないというのも不思議です。私の印象としては出雲地方というのは、圧倒的に”素戔嗚”とその妻神”櫛稲田姫”の国という感じがします。
大国主の別名とされているものの一つに、日本最古の神社とも言われる奈良の大神(おおみわ)神社の祭神”大物主”があります。
ここで浮上してくるのが、その大物主の別名とされている饒速日(ニギハヤヒ)という神です。(とにかくこの周囲には正体を分からなくさせる意図が有ったのか、別名、異名の多いこと…)
この正式名というのが、これ又とてもじゃないが覚えきれませんが、最初の四文字だけでもう、心象にブワッツと何かがインプットされてくるようです。
”天照国照…”アマテル、クニテルというのは天津神、国津神の二つの系統を合わせ持つ、統合しているということでしょう。今まで述べてきたのは、古代史的な観方によっていたのですが、この二系を顕世(うつしよ)~見える世界と幽世(かくりよ)~見えない世界に移し替えてもいいかも知れません。(事実古神道の主流では大国主などは幽政を司るとされていたのです)
ともかく私に感じられるのは、大国主という神、又国譲り神話というのは、神武以前の大王であった饒速日、その地位、国土を陥れた事を隠すために作られたような気がしてなりません。史実の改ざんとか、こういう話というのは言うまでも無く現世的な話ですが、私の心象にもっと投げかけられているのは、おそらくはもっと神々と交渉の有った時代に、見えない世界が封印されたのではないか、というような事です。
つまり元の神の押し込め、封印とは位相を変えて何段かに渡って行われたのではないか、と感じているのです。

私にゆかりの有った、豊岡の某教会の”知られざる神示”では、メインに登場する神名は救世主神、弥勒とも比定される”大国主”だったかと思います。これが後に丹後元伊勢に拠点を移してからの新たなる神示ではまるでベールを剥いだかのように、同社の主祭神、饒速日を弥勒、日の出の神として表しています。
私は勿論、決めつけたことは申し上げられませんが(心象の奥には決まった名などは有りません)、何であれ、救世的ハタラキとして心象に映じられているものは、神代以来の因縁、相克の縺れを開解し、現世と幽世とを統べ合わせるもの…和合に向けられているのは言うまでもありません…。

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和合

2016-09-18 12:56:48 | 日本的霊性
日月神示や出口王仁三郎師などの神伝とされるその言葉は、これまで何と表相的な予言や不思議な事象と結び付けられて語られてきたことでしょう。
そして又、今も尚数多に出現する、それに便乗するかの如き、類似神示の類…
サニワ師でもなんでもない私などが、真偽を見極めようなどと言うのは、筋が違うと思われようし、何が正統のものか、といったことは一概に決められないものでもあります。
ただ、自分のキ線に合うかどうかは、読めば分かります。読めないものは読めない…それが取りも直さず自分のキ線が如何なるものかを物語るのだから仕方ありません。
大本教神示類、日月神示などについて言えば、表相的に捉えられがちな言葉の奥に、所謂神仕組み、経綸というものが見え隠れしているのが、理解出来るか思います。
ここに留意しなければ、ただの興味本位の不思議の追っかけに終わるだけでしょう!
神仕組みというものも一口では言い表せないものですが、私の心象には、ハッキリとアクメと感じているものがあります。…それは和合というものです。少なくとも、これが感じられないものは、私のキ線とは合いません。
上っ調子の思念に捉われず、神との和合、親和に重きをおくべきなのです。
和合…これは何ともこの日本という国にこそ、備えられた仕組みではないでしょうか?
それには幾通りものパターンがあります。
火と水、厳と瑞、霊と体、男と女、イザナギとイザナミ、アマテラスとスサノオ、天津神と国津神、日本とイスラエル…
そして、思われたままの私と私そのもの…
これら全ての事は自分というものを他所にしては、何一つ意味などありません。
自分の事が、人生が分からない、迷妄にあるということは、自分が和合してない、という事に他なりません。
自己実現とか真我の実現という事も、こうしたことに関わってくるのでしょう。
和合ということが、示されるという事は、そこに分離というものが起きている、という事を意味しています。
さらには、その元は一つであった、という事も…だからこそ、その二相を巡り、魂が無性に懐かしさを覚え、惹きつけてやまない求めがあり、それが叶わない苦しみ、矛盾、相克対立の業因縁といったものが交錯しているのです。
中々自分自身の和合が出来得ない、という事は逆に言えば、自分も含めた世の中全ての和合も出来ていない、という事でもあろうか、と思います。
だからと言って、”世の中をどうにかしよう…”といった事に駆られるのは、迷妄の上に迷妄を重ねる試みに終わるばかりでしょう。
又、混迷する世界を他所にして、”私は悟った”とか、”私は救われた”などと宣うのは、ホントにオメデタイ限りです。
これらの事は、ことごとく見える世界(現世=顕世)と見えない世界(幽世)の和合が出来ていない、という事を物語っているのではないでしょうか?
この世に生を受けた限り、自己と世界は相即するものとして、あらしめられている、と言えます。
相即という事の中に、分離の苦しみ、和合という救いの神仕組みが秘されているようではありませんか?
これはどこまでも神仕組みなのであり、自称救世主の”我が世界を救う”などの妄言の出る幕などありません。
そして”神が表に顕れる…”和合は和合それ自体によってもたらされるでしょう。
それは又、神と人の和合、神人の顕現でもあることでしょう。
一元にもあらず、二元にもあらず…我が国には偏った、独善的教説が定着することがありません。内なる神が頷かないものは、身が頷かない、頭の理だけでは開かれません。頭と胴体が和合してないから…。神が開かなければ、開かない国…
日本は古来より”和を以て尊しとする国”と言いますが、和が秘められ、和をもたらす国柄であることを伝えているのでしょう…。





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知られざる神示

2016-09-15 12:56:30 | 秘教、その他団体
「キの入れ替えぞ、七(な)り七るぞ、掌返しぞ。キが百十(もと)へ帰りたら弥栄ぞ。これ迄はO九十(まこと)のキでない、思凝りのキでありたから行き詰まり頭打ち、説いても聞かせても判らん、説くに説かれん百十のキは人間の知恵学では判らんなれど…カミの方から三(身)に蘇らせてまいる、それでキミが立つ世と七るのであるぞ」(神聖神言録)

昭和53年8月の関西行脚は限られた日程、所持金のもと強行されたものでしたので、やむなく予定を見送りにせざるを得なかった目的地もありました。
それは兵庫県北西の豊岡にある宗教のようで宗教でない某教会でした。
(私は、”同じ兵庫南西に位置するD会とは、大本を継承するある霊脈、霊筋でつながっているに違いない…”などと勝手に妄想に駆られていたのです)
宗教でない、という曰くは、創立当初はそれなりに宗教的な有り様だったようでしたが、その後関係者(霊感者が数人居たという)の中に神示を受ける者が現れ、その神託のまにまに全国各地で神業を展開することがその教会の主要活動となったためです。
私はその年の春宇宙考古学者Kさんを通じて知り、西村忠義さんの「人類の復活」にも紹介されていて、何とも当時の私のエーテルがかった揮発性を掻き立てられるものを感じていたのでした。
私は帰京してからもずっとそこへ行けなかったのが心残りになっていて、その曰くの知られざる神示に触れてみようと思い立って、九月の中旬からその神示を集めた小冊子、新聞(神文?)を取り寄せることにしたのです。その一部が冒頭に紹介したものですが、今読み返してみても、全く当時の私の内面に光が照射されたような内容であるのに驚きます。
実際にその九月、外気が秋模様に入れ替わってから心持に変化をもたらしたのは、D会の大調和世界観、キリストの直接的道を伝えるサンダー・シングとこの知られざる神示だった、と言ってもいいのです。
(もっともそれは、私にしか通じない三角の神秘の交差を伝えるものであるのは言うまでもありません)
この神示に関しては、神示類にはつきものの予言や不可思議な事象についての記述はあまりなく、それからの一年間を通じて、”観念信仰でない、神交”ということ自己の大本たる直霊への身覚、神覚に関する諭しに重きがなされていた、と感じます。
それ以前の(私が触れられる範囲で)神示に当たってみても、この時期のものは顕著にそうした促しが表れていたように思います。
一年間と記したのは、丸一年間で購読を辞めてしまったからです。何故ならば、明らかにこちらに伝わる調子が変わってしまったからです。
(私は所謂サニワ師でもなんでもなく、伝える内容の本当の真偽、正邪のことなど分からず、それはもとより十人居れば十人なりの判断が存するものとも言えそうですが、ハッキリしているのは私のキ線とは合わなかった、ということです。宗教的な色合いが強くなったようなので…)
この裏には、その某教会の不平分子による改革が関係していました。
神示を取り次いでいたO氏初め、有力者たちは追い出されるハメになってしまったのです。要するに裏側?の神の系統が入れ替わったという事です。
実は、その直前の54年、8月前年からの持越しのようにその教会を訪れたのですが、そのO氏は不在で、もうその頃には不穏な空気が教会に流れていたようでした。
それから実に15年後、初めてO氏と京都丹後でお目にかかりました。
私は知らなかったのですが、O氏はその後世的生業を経て、昭和59年丹後の元伊勢を拠点にして神示の取次、神業奉仕に復帰していたのです(現在も尚活躍中)。その知る人ぞ知る「三六九(みろく)神示」というのは、前記神示の後身とも言えるものなのです。
私にはしかし、あの時期の神示というものが、ことの他印象に強いです。(ある意味日月神示以上かもしれません)
昨年だったか、ネットでその正規の印刷を経ていない粗末な、50ページくらいの神言録の冊子が一冊5千円で売られているのを知って、ビックリした事が有ります。
ヤッパリ、これは我が家宝というべきでしょうか?




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書くこと

2016-09-14 18:51:39 | 雑感
気が付けば、このブログを初めて二年が経ってしまいました。
文章力の拙さにも関わらず、どうにか続けて来れたのは、もともと書くことが好きだったからだと思います。
私は時折、朝目覚めた時など、ある言葉がひらめく事が有り(多分、寝ている間、ステキな事になっているものと思われます)、それを忘れないうちに雑記帳に走り書きをしたりするのですが、それが記事の材料になったりしているのです。(勿論毎回そうなっている訳じゃないですが、時に書くのを忘れて、二度寝をして起きたら、キレイサッパリ忘れてしまったり、まるで神代文字かお筆先みたいで、判読不明になったりすることも有ります)
この意味では、起きてすぐ書いたらいい、と思われるのですが、現実面で難しいところもあります。
昔から私は、チョイチョイそういう事をして来たので、こうしてすぐさまブログに書ける時代になって実に有難いです。
それは、あくまで断片的な言葉なので、肉付けや接続がうまくいかない場合も多々あるという次第なのです。
詩モドキのような文章も書いていますが、あれがその原文に近いものなのです。
最初は、全てああいうスタイルでいこうかとも思ったりもしました。
もっと言えば、その元は全く脈絡のない短文の羅列です。
これに関して、アフォリズム(格言)と呼ばれる文章のスタイルもあるのですが…
(格言は確言。箴言は神言。
アウレリウス、エピクテートス、ニーチェ…ギリシア人も、ローマ人も、ドイツ人も神になりたがる…究極のアホリズム、ヒットラー語録。
自分だけの、誰も読めない、雑記帳神がかり格言集。)
という訳で、それはまだ日の目を見たことはありません。色々と書きながら模索しているのです。

ともあれ、こうして書くということ、表現することは、ただ頭の中で思い巡らす、というところから、一歩表へ現われ出る、ということです。
これには、”他に伝えたい”、”他に理解を求める”という、出過ぎた意念も無い訳ではありませんが、これは人間というものの存在からして、表に現れるというハタラキを担わされている、という宿命が有るようです。人間とは見えないハタラキの現象化の媒体なのでしょう。
そんなことを朝起きた時の、あの何かのお告げ?にも似た言葉に接した時に特に感じています。
もっとも、それは言葉の形を成してないということもあって、帳面に書きなぐって形にしていることも有るのですが、なにか”形にして書いてくれ”と促されているようです。
そうして書かされていくうち、思わず気付きを与えられることも数知れずあります。
それは、あまり抽象的な事で無しに、具体的にありのままに表現することでそうなります。
具体的という事は、極めて私的という事です。
勿論私的な事と世の中の事とは直接関係ありません。
でも、世の中の個々の人たちは皆それぞれに私的な人生を享受しているのではありませんか?
その泣き、笑いなどの契機というものは、具体性を伴っているものです。
伝わる、共感出来る、ということは具体的ならざるは無い、と言えます。
先の促しも”ありのままを書くように…”と示されているようですが、邪念も多い次第で…
又、誰に伝わり、誰が共感されるのかも知る由も無いですが、これからも人気ランキングとは全く無縁で続けて行きたいと思います。…。
































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