人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

ここに現存する

2017-07-22 10:20:58 | 秘教、その他団体
私はこれまでいくつかの宗教的、精神的グループと関わりがあったのですが、傍らで「これまで自分が求めてやまなかったものが"ここ"にはあった...」という旨の話を何度か聞いたことがあります。
そう語る人にとっては、その団体との縁というものは特別な意味があったのでしょう。
私には特別な"ここ"という団体というものはありませんでした。
"ここにこそ、真理がある"と、人は言う...こことは一体どこにあるのか...
ある時、ある人から「あなたは"ここ"に求めているものを見付けたんですよね、良かったですねえ...」と、勝手に決めつけたことを言われて、どうにも返答に困ったことがあります。
んなもん、心に思っても、感じてもないことを言えるか、ってんですよi
リップサービスでも言いません。私はそんなこと言ったことなどない...いや、ただの一度だけありました。
それはしかし、ものの弾みというか、こちらの思いを越えて口走ってしまったことだったのです。
それは平成4年の春、大調和協会の神戸支部の集会でのことでした。(16.2.24記事"わが城壁爆破さるi"参照)
そこで飛び出た言葉は、理性がほとんどぶっ飛んだ状態で言わされたもので、言葉にならないものでしたが、私の本心から出されたものには違いありません。
何にせよ、"思いを越えて言った、言わされた"というのはどうにも誤魔化しようもないものがあります。
思えば、これまでいくつかの道の縁を与えられながらも、何故両手を挙げてそれに参与するには至らなかったのでしょうか?
強固なる自我が主となっているから? それは言うまでもないことで、多くそれに起因しているのでしょうが、どうしても越えられない障壁があったのです。
これは自然調和世界の具現を告げる協会も例外では無かった...否、それはこの世の如何なる宗教的団体にはずっと付いてまわるものです。
自己とその集団との間に強固に横たわっているのです。
ここでは詳しくは触れませんが、私はそれまで協会特有の"クセ"(各々の団体には各々特有のクセというものがあります)のある言説というものを聞かされてきましたが、あまり私の内奥には、受け取られ、通られてはいませんでした。
それが正しくクセというものであり、障壁となったのです。
障壁とは、内なる普遍性に立ちはだかるあるものです。
普遍性というものから切り離されて、特別な"ここ"というものが主張される時、私の中から不協和音が生じてきます。
"ここ"というのは、どこにも見出だされることはなかったのです。
しかし、その時は至るところがここになってしまいましたi
それはハタラキが"ここ"に現存するということです。
あの怒髪天を突く、暴風の中で何事かを口走った時、一瞬でしたがそうなっていたということです。
その場には、どうとか、こうとかの個人の私も、大調和協会というものも無かったのです。
だが、皮肉にもその私に起因するその"ぶっ飛んだ"事態は、命位様、協会との間に容易に消え去らない溝を作ってしまうことになってしまいました。
もとより、こういう運命というのはどこかで予感していたことでしたが...

"ああ...この生ぬるさ、打破出来ないものか...どこかに出口は無いのかi ええい、この分厚いコンクリートの壁め、ぶっ飛んじまわないかなあ..."
このような火種は常に私に燻り続けていました。そして私は行き着くところまで行かないと気がすまない...
この事はおそらく命位様には分かっていたことでしょう...。



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出合いの時

2017-07-21 16:34:23 | 秘教、その他団体
いつもこのブログをお読み下さる方ならお分かりと思いますが、私は特定の宗教、思想、スピ団体にも所属しておらず、当然の事ながらここでその教義であるとか、生き方というものを宣揚するつもりはないのです。
いくつかのそうした出合いというものはありましたが、それはその具体的関わりというより、それを通じて内的な意識にもたらされた事の方が大きかったのです。
昭和54年初春からの一年間...私に相次いで私の内面を切り開くような道標のようなものが備えられました。
そう、それは"備えられた"ように感じられたのです。
表向きは、好奇心旺盛な私が興に任せて次々関心が向けられたようでしたが、私にはただ導かれるままに惹き付けられていった、という印象なのです。
ひょんなことからその奇縁は生まれ、それに理屈を越えた、ある種の感応のようなものを受けていたのです。

大本の経倫を継ぎ、元の神の顕現、神人和楽のミロクの御代の到来を告げる、知る人ぞ知る神伝文「要之神示」。
「宗教宗派は皆方便 渡りの橋 O五十五の千(まこといのち)の百十(もと)へ帰れ 直霊の神霊の百十へ帰れ そこに世界カミの道は開けむ...」(神聖神言録105号)

キリストの無的実存、霊境の教会(神の幕屋、エクレシア)を証道する小池辰雄先生。
「私はもう何ものでもありません。私の眼が水晶体であるように、私の心魂も無色透明にされました。萬象萬態があるがままに映ります...」
(キリストの霊性)

永遠の神人キリスト、普遍調和世界の具現を告示する哲人ベルジャーエフ。
「神の霊が人間の精神に働きかけるのは...人格的なものと普遍的なもの、主体的なものと客体的なものの対立を克服することを意味するのだ...」(精神と現実)

そして大調和協会...私にもたげていたものがここで出合うのです。
昭和55年初春、高砂の協会本部にあって私は命位様と対自していました。
「僕は一体何を求めてここに来ているのかよく分からないのです。ただ、もう...僕の知らない自分がここに引き連れてきたようで...」
そして私のこの要領を得ない、言葉の中にある内奥から発しているらしいものを捉えて命位様は、それまでの柔和な態度を一変させてこのように告げたのでした。
「おやりなさいi 徹底的におやりなさいi やってやってやりぬくのですi 天地と一つにならないと承知出来ないあなたが居るのです。どうぞ、そのあなたを成就なさって下さい...」
"ここで物を言っているのは、確かに私自身だi...生まれてはじめて私自身に会えた気がする...ここには信仰も思想も大調和協会というものもない...命位様という私が居るばかりなのだ..."
私は知らず知らずに、"一にして全てのもの"に触れようとし、その縁を引っ提げてそこに赴いたのでした。
おそらくはこの時の私でなければ、私の中の私自身に会えなかったでしょう。
そして、"この出合い無くして、一にして全てのものを目の当たりにすることもなかった...それはこの現実に目の当たりにすることになる..."
ということを予感せずにおれないものがあったのでした...。






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この最後のものにも

2017-07-20 12:31:22 | 秘教、その他団体
大調和協会では、会員というか、そこに依拠していこう、と志を持った人には、通称「三千冊」と呼ばれる会では聖典とされている書き物に、会主命御様より直筆のある言葉を記されることが習わしになっていました。
会主が帰天されたのは昭和60年初夏のことで、最後にその一筆を頂いているのは、私ということになっているのです。
そこには弱々しい文字で「ときのひと」と書かれていました。
これは何かの間違いなのでしょうか? もっとも縁遠く、どこの馬の骨だかわからない私なのに...
確かに私は昭和58年の夏の集会の折り、成り行き?で同士に加わることになりました。
この時は、あの爆発的な精神的目覚めに預かった直後のことです。
(一週間ぐらいは経っていたのですが、一時は収まっていた偏頭痛がこの時はぶり返していました。ジンジンと心身が震える感じもあり、何かの拍子に再燃してもおかしくなかった、と思われました)
私はそのことをかなり曖昧にたどたどしく、衰弱された命御様に代わって会の中心におられた命位様に話したのですが、事の次第を詳しく伝えてはいなかったのです。いや、伝えられなかった、といった方がいいでしょう。
言葉が見つからないし、何しろ、自分の身に何が起きたのかも分からなかったのですから...
この事がどういう訳だか、私が"同士にならずにおれぬようになった..."という風に受け取られたようでした。
これ以前にMさん(命御様の実子)とともに、会の後継者に位置付けられていたKさん(命位様の実子)から同士になることの打診を受けていたのですが、命位様の脳裏にはおそらくこの事があったのでしょう。
しかし、私自身も、命位様にもどこかで、"どうかなあー"というものがあったのは確かです。
命位様からは常々言われていました。
「あなたが誰に言われるでなしに、自然に本当にあなた自身が大聖業(おおみわざ...協会に顕れ、その証をしている大調和のハタラキ)のことを受け取り、理解出来るように祈っています」
命位様は、何か教示を与えたり、説き伏せたり、私に手をかけることをしなかったのです。(たった一度を除いて...)
ただ、私の中からある、疼き、催しのようなものが起きてきた時は、俄然態度が一変して、私を力強く、私にもたげてきたものを奮い立たせるように叱咤したりするのでした。
これは私に主体性を持たせようとしていたのです。

私が"おおみわざ"を受け取る時、一切の滞り、障り、迷いは消えていなければならない...
私と"おおみわざ"は一つでなければならない...

命位様は、この私に息づく、我ならぬ我が"おおみわざ"を受け取ることをずっと願っておられたのです。
そして、この事は私自身も望んでいたことであるのは言うまでもありません。
そこに一切の使役的関係、無理強い、有識による目的的なものがないものこそが、協会が証する"自然調和世界"というものでしょう。
私はどうあっても、こうあっても命位様に私の全部を伝えずにおれないものを感じていました。
しかし...私がどうにか以前よりかは、口を開けるようになった時、命位様はこの世に居なかったのです...。(平成8年春の事)
私の中に息づいているものの発見には、命位様との出合いを抜きにしては考えられません。
だからこそ、伝えなければならなかったのです...。
そして、もしその機会がもたれたとしたら、協会について、いな"おおみわざ"について感じたままを言うか、言わされるかしたことでしょう。
この場違いの"しんがり"は、協会にあっては異端だったのかもしれないし、結果的にこの関係は挫折に終わったかもしれません。
だが...今、どう感じているかどうかが肝心なことですi
せめて、このような形で不充分ながらも伝えて行きたいと思っているのです。(真向かいの顔は見えないが...)


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元の四つ

2017-07-17 15:49:36 | 秘教、その他団体
大調和協会は、会主命御、会掌命位の両人がその創始以来の代表であったのですが、存命期間が短かった方で、その発祥に大きく関わっていた二名ー御戴業(ごたいぎょう)、元子(もとこ)ーを加え、この四つの存在が大調和世界開顕の基礎とされ、"元の四つ"と呼び習わされていました。
このうち命御こと松本深敬(じんきょう)師と御戴業こと太田東良(とうりょう)師の二名については、戦前ある筋では少し知られた存在だったようです。
ある筋というのは、...求道仲間と言っていいのか...一口では言えませんが、明治以降の我が国の精神的諸潮流に詳しい方なら、"西田天香の一燈園"、"綱島粱川の見神体験"、"岡田式静坐法"、"トルストイ主義"...といった、キーワードを挙げれば、あるいはピンとくる向きもおられるかも分かりません。
この各々は、その説くところも生き方も異なりますが、超宗派的な点が特色であり、そのためか周辺にはフリーランスの求道者たちの拠り所が形成されるようになったのです。
私は、大調和協会はこうした宗教とも哲学とも言えない、一つの枠では括りにくい精神思潮から生まれたようにも感じています。
この周辺には、両人のような忘れられた道の人たちがゴロゴロしていますが、その一人である高橋正雄という金光教の信徒が独自に主催していた「生の会」という求道サークルがあり、命御様と御戴業様は、ここを通して親交を深めていったようです。
命御様には通称「19巻」という自伝的文章がかつて協会の季刊誌に途中まで連載されていましたが、多分書物としては刊行されてないと思われ、残念ながら全貌に接することが出来ません。
御戴業様には「一燈万照」という書物が協会から出されたことがありました。
これが実に真摯な、自由な精神の記録ともいうべきものなのです。
太田東良師は、日蓮宗の僧侶だったのですが、全くその立場というものを感じさせません。
「手当て療法」や「霊動法」など、その時代の精神思潮を彩っていた秘術的?側面のあるものも体得していました。
昭和17年に亡くなる前の三年くらいの間は、興亜院(中国政策のために設えられた国家機関)に所属して大陸に渡ります。
当時日本では、大本教の弾圧で閉鎖されたと思われる、道院.世界紅卍字会にも関係していました。
この方の未亡人、太田不二枝さんこそが後の命位様です。
この方のような人物は私はいままで全く会ったことがありません。
女性の団体の中心者というと、シャーマン、神伝者という職能が考えられますが、若い頃は霊感が発揮されたことも一時あったようですが、そのような面は私は、ほとんど見たことがありません。
この方と真向かいに会われた人は、皆自分の中の"我ならぬ我"を見出だすのでしょうか?
私には、その奇縁というものを抜きにそのことを考えることが出来ません。
文章をよく書く人でなかったので、その半生のことなど知ることが出来ないのは残念です。
元子様は、命御様の夫人で、かつて協会の集まりで、聖霊のリバイバルもかくやという、一同の上に大歓喜が訪れた際、期せずしてその発火点となったと同時に、それを閉ざしてしまう役割をもしてしまった、という曰くのある存在だったそうです。
このような負のお役とも観られる存在も大調和世界の開示には、欠かすことの出来ない"元の四つ"であったのです。
この"四つ"は、はて如何なる物柄を象徴しているのでしょうか?
私には大本開祖の「お筆先」にある「元の四魂が揃わな物事は成就いたさんぞよ...」という言葉が思起されてくるのです...。


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岩と縁

2017-07-16 13:40:28 | 秘教、その他団体
知られざる秘教団体「大調和協会」は、播州富士として名高い、高御位山の西麓に位置しています。
この山の頂きに巨大な磐座があり、遠望からでもその偉容を拝することが出来ます。
私は何度か登ったことがありますが、所々岩肌が目立ち(途中に命懸けの岩だらけの難所がある)、木々もそんなに繁立しておらず、禿げ山という感じです。
頂上の磐座から播州平野を一望することが出来、人気のハイキングコースになっているようですが、その下では、世界の、人類の変容、その真相の開示などが日夜叫ばれていたことなど誰が知ることでしょう...
この山頂にも、協会の反対側の麓にも高御位神宮があり、この山は古くから神道、修験道の聖地であり、その中心に存在したのは、熊野別当格、九鬼一族でした。
昭和20年代中頃には、大本信者で日月神示の岡本天明師とも親交のあった池澤原治郎という人が、「高御位教」なる神仕組みの拠点?を立ち上げたこともあったそうですが、近隣からの反対などですぐ頓挫したらしいです。
そもそも私が協会に関心を持ったのは、大本教からのこうした神縁のつながりをそこに感じ取ったことに端を発していたのですが、直接的なものはなくとも、熊野、九鬼家を通じてその神秘的連繋はあったのでしょうか?
大調和協会会主、命御(みょうご)様(別に個人崇拝という訳でなく、協会ではそのハタラキの位格としてこのように尊称されています)は、数年に渡る大峰山に山籠したことなどから熊野の九鬼家とのつながりがあり、高御位山のことを知らされ、この地を永遠の根拠地と定められたのは、昭和28年のことでした。

私が今 この高御位山に生活根拠することにもおいて
今 この"天地を一貫する時の業"に天地は冥合
「人」は この大聖業顕成の業に 消え果てしまったのであります。
人消えて...天地を御業(みわざ)するの大地はまさに顕現
正しく「高御位山は私」と成って 彰われたのであります。(会主命御)

命御様にとって、この霊山の存在は、まるでラマナ.マハルシにおけるアルナーチャラ山との関係を彷彿させるものがあります。
これはもう私の理解を完全に越えていることですが、この山には、あの磐座には普遍世界、神統、霊統的つながりの結節点でもあるのでしょうか?
しかし、私はその神秘のモニュメントに何度か触れていますが、実は例えば丹後の真名井神社神域の磐座、出雲大社神域のスサノオが鎮まるという磐座で受けたような、ジンジンと心身に伝わるような感覚は受けたことがありません。
いずれも登山で疲れてしまって、ジックリ体を休められなかったことに由るのかもしれません。
このことは、命御様の霊縁で発現したものに違いないでしょう。一人一人にそのような発露がある、というべきでしょう。
協会に関係してる人たちというのは、ほとんどが命御様、その両成の関係的存在である命位(みょうい)様との何らかの繋がりを持った者ばかりなのです。
東京で生まれ、育った私は全くの異例...根っからのアウトサイダーだったのです。
結果的に私の魂は、そこに根付くことがなかったのも運命だったのでしょうか?
"ああ...ここは、岩ばっかりで、木々は育ってない...それでもここから種はどこかに運ばれていって、落ちたところに発芽するかもわからない..."
私には確かに、私のすべての人生において、この縁に因っているのを覚えずにいられないものがあります...。




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