人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

現臨と当たり前のこと

2018-03-03 11:39:25 | 現臨、ハタラキ
私がしばしば用いている"現臨"という表現は、主としてキリスト教で言い慣らわされているものから借りているのです。
そこでは、"キリスト、あるいは聖霊の臨在"ということと関連付けられて表現されています。
ワンネスとか全体的なものが臨在するとは言わないし、少なくとも私にはどうもその感じは伝わってきません。
雲間から光が差し込んでくるような局限的な感じです。
それは文字どおり"現実、リアルなものが臨む"ということを言い表しているのです。
これは自分で言うのもおかしいですが、もしかして途方もないことを言っているのかも知れません。
この言葉には"現臨に無いものは実在しない"という暗示を含んでいます。
勿論、そういう言い方は極論、暴論になりかねないことで、例えば借金返済の催促の電話などを貰うと、胃の辺りがキリキリしてくる感覚は現実感覚としてある訳です。
ただ...現臨にある時、よりリアルに受け入れられる...それがアリアリと感じられるにつれ、私自身も見る世界もリアルに感じられてくるのは否定しようがありません。
それが意識に深く浸透すると...本当に"ここに無いものは実在しない"という感じになります。(実在というより、実存といった方がピッタリするのですが...実在するモノは無くとも実存はしているものですから...)
そこに実在するモノがあっても、"現臨感"の無いものは、すべてがプラスチックのように無機質なものとしか感じられません。
それが有機的に思われている、生身を持った人間と相対していてさえもそうなのです。
このことは、実に私が物心ついた頃から抱えていた、見る世界、自分自身についても、どこまで行っても"在るものに至れないという、"実在感の欠如"、言い知れぬ"不充全感"というものと裏表にあるものなのです。
"疑うことの出来ない現実感、そのものにまみえた..."という実感は、そのことを通してもたらされるのです。
ラマナ.マハルシは、しばしば「真我のみが実在するのである」と、述べていましたが、この"現臨"にある時、真に私はすべてと共に"ここに在る"感じになります。その私は思われた私でない、"我ならぬ我"なのですが...
毎度のことながら、こういう消息と言うのは、言葉で言い表せないことで、人各々に"現に臨んで"来ないことには伝わらないことなのですが、現実に生きていない人は誰一人居ない訳で、それ無しには誰も生きてないはずです。実に当たり前のことです。
本当に気付かされたことと言うのは、我々は当たり前に生きて来なかったこと、と言ってもいいかも知れません。
しかし、"現臨に無いものは実在しない"ということは、プラスチック製の無機質なものは実在しない、とも決めつけられないものがあります。
それは一部の精神主義者が、"物質は本来無いのである...ナイ、ナイ..."と懸命に何かの暗示に落とそうと、思い込むこととは全く違います。
無機質なものと思われたものに、命の光が当てられるようにも有機的な命のつながりがもたらされるようなことで、現に在るものをナイ、ナイと否定するようなことではありません。
そのことから光一元という命題に拘るあまり、かえって二元的な分離感を強めてしまうことにもなりかねません。
それは何よりも自分の中の罪や悪と思われていたものに光が当てられるのです。
罪悪感と無機質なものとは切っても切れないもののようです。
それは物心ついてから思いに遮られていて、当たり前に感じて生きることが出来なくなったことを物語っているのでしょう。

迷妄の中をたださ迷っていたようなこの人生ですが、意識の底から浮かんでくるのは当たり前のことばかりのようです。



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プラスチックと風

2018-03-01 17:46:39 | 詩的文章
違う...
何かが違う...
この世界は、肝心なもの...これを欠いては成り立たないものが無いのだ
感触、感覚とはこんなものだったのか...
何も手応えが無い...押しても、叩いても、掴んでも ...
掴んで、何かが得られるのだろうか?
"ものがある"とは、一体どういうことなのだろうか?
手に握ってみても...何一つ"そのまんま、そのもの"というものが無い
何も目の当たりに出来ない...
追い求めど、追い求めど...そのものに至り得ない
すべてがプラスチックで出来てるよう...無機質な世界

あなたたちは何を話しているの?
言葉というものもプラスチック製なんだろうか...
プラスチックの切れ端みたいなものをイロイロ組み替え、並べ替えて...
本当に言いたいこと、伝えたいことは、もっと"直"のものだった
面とう向かっているのに、すれ違っているばかり...
僕は今本当にあなたたちに会えているんだろうか? 真向かいに...
僕たちには絶対に切り離されない"つながり"というものがあったはずだ...
通路は常に開かれていた
僕たちはモノが置かれているように、置かれたままなはずは無い
動いて、流れているものがあるはずだった...
常に吹きさらしのものだった
絶えざる息吹きと共に...

風...この肌触り...
プラスチックで閉ざされた世界に穴が開いた
流れているものが確かにある
それで安らぎを取り戻したようだ
そうだ...取り戻したのだi
僕は確かに、このプラスチックの世界より前から知っていたんだi
不確かで、落ち着かない頭の中にも風穴が開いた...
五臓六腑にも染み渡る...
ひと度息吹けば伝わってくる...
妙なるこだまと共に鼓動、ぬくもりを運んでくる

ふと...一息の風にまかせて...僕は捉えられた...

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