goo blog サービス終了のお知らせ 

人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

幼子のごとくならずば...

2020-07-12 09:12:43 | 詩的文章
病は自覚症状が無ければ気付けない
自覚出来なければ癒すことが出来ない
病むことが悪いこととは限らない
病んでいることは、本来健常であるという印
何かが過ぎてて、何かが足りない...
本来バランスが保たれているという印
不自然に感じているのなら...
自然な状態を知っているという印
だから...
本来に戻ることが出来るi

いつも正しい人、強い人、マトモな人...
彼らは病を知らない
病にかかっていても気付けない
だから...
不治の病にかかっているi

病んでいるのなら、苦しいのなら...
ガンバってないで、すがったらいいi
助けを呼んだらいいi
泣いたらいいi
たとえ、手を差しのべる誰も居なくても...
自然が放っておかないだろう...
助かりたいi、ということが自然な要求であるように...
天国に帰ることが自然な要求であるように...

幼子のごとくならずば、天国に入るを得じ...
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真理と実存

2020-07-11 09:57:54 | 哲学・思想
こないだも同じようなこと書いてましたが...
"意識が向いたら、パッと愛、平安、リアリティが臨む..."
私は到底、こんなこと言える人間ではなかったのです。
愛、平安...にある、というのは、もう、とにかく"ああ、そのものにあって生きている、生かされていることが実感されるi"、というようなことです。
自分は何でここに居るのか、とか生きる意味は何ぞや?と、問うまでもなく、理屈抜きにそうなっていることです。
私はね、幼い頃からの生についての苦難を通して、こういう真理に到達したのです...って、そんなこたあないi
これは、まさにそういう真理そのものが臨んだ、ということを伝えているのですi 
私が真理を分かっている、掴んだとか言えることじゃないi...分かった、掴んだと思った瞬間、それはスルリと手から抜け落ちてしまうものでしょう。
「真理は物的世界における客観的実在ではない。真理は実存的である」「真理の中にこそ生がある。真理は一閃の光で世界を照らし、生を変貌させる」(ベルジャーエフ「真理とは何か」理想社刊)
私は幾度か、ベルジャーエフとの出会いにより、それまで暗闇に包まれていた私の実存が切り開かれた、ということを書いていますが、それはまさにこうした言葉が物語っている通りのものです。
この場合、真理という、日本語の"理"というのが躓きになるでしょう。知的に理を追い求め、掴もうとする...それはどこまでも自分の外に真理を置いていることであり、部分的、抽象的なものとならざるを得ません。
そこに命はない、具体的な生から切り離されるから...具体的な生とは、ありのままの自己を置いてはあり得ない...それが実存という哲学的表現が意味しているものです。コ難しく議論したって、不毛、徒労に終わるだけです。
講壇で論じられるような、所謂実存哲学ほど真の実存から遠いものは無いのではないか?
ドイツの哲学者ヤスパースなどが言った"実存開明"とは、頭で抽象的に分かったつもりになるのでなく、具体的に光に与り、精神の暗部にそれが照らされることに他なりません。
生きた真理というものは、又愛、平安と切り離されたものではありません。これは本当に、ホントーに"すべての生において"、大きい意味を持っていると言っても過言ではありません。
だから、ここで言う真理とは単なる"理"を超えたものとならざるを得ないのです。
そして愛にあってこそ、私が追及するのでなしに、惹き付けられる、ということが起こる...そして又光を受け、神的な生命との交わりの道が開かれるのです。

私は未だに何で私がここに居るのか、何のために生きているのか分かりません。
ただ、かつてのようにそのことが深刻な問題とは感じていません。しかし、それは全く気がおかしくなってしまうほど深刻なことと隣り合わせであることには変わりありません。
私のすぐ隣にあの幼く、"この世界は夢じゃないの?、僕はどこに居るの?、どこに向かえばいいの?"と心の中で叫び続けていた私が居ます。
だから...自ずと意識が最愛のものに向けられるのでしょう...。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生と実存

2020-07-10 12:09:28 | 哲学・思想
私はどうしてここに居るのだろうか?
本当に生きるとは、どういうことだろうか?

随分とありきたりで、哲学的な問題ですが、(天才かヘン人か知らないが)私は小学校に上がる前から(!)こういう問題を抱えていたのです。
勿論、哲学の何たるかなど知りませんし、そういう命題をいつもあれこれ知的に考えていた訳でもありません。
これを何と言っていいのか...ええっとね、私は実存的問題に直面していたのですi 分からない? そうでしょう? 謎めいた私の半生には不可解なことが多いのです。
とにかく、昔から他の人がフツーに生きているのが不思議でしょうがなかったのです。
この世界には何か私の"まっ中心"と隔てている、見えないバリアのようなもので覆われているのではないか? どうしてみんな疑問に思ったり、感じないのだろうか、と。
本当に生きるとはどういうことかがシックリ感じないのです。
そうです。"実存的問題に直面していた"とは、そう"感じていた"、というのが正しいのです。そんなことは考えたって幼い頭で分かる訳がありません。
親父にそういうことを聞いたら、"こうこうって理由でお前は居るし、生きてんだ"と、それ相応のことをもっともらしく、笑いながら答えてましたが、それで納得など出来ません(その傍らで母は驚嘆した表情で、"このコはフツーじゃない、天才よi"、と言っていました)。
頭の中で分かったつもりになる人は、例えば誰かが説いている、哲学的真理、宗教的真理などを信じ、それに迎合して決着を着けるのかもしれません。
しかし、ここで言う実存的というのは、そんな観念ごとによっては決して解決出来るどころか、到達すら出来ないことなのです。
意味概念が分かったところでどうにもならない...単なる知的な問題でなくて、生きることそのものに関わる問題だったのです。
当時では、知る由もないことでしたが、今ならこう言えるでしょう。
"私、私の回りには何かが決定的に欠けている、それが無ければ本当には生きているとは言えない何かが"...私はある種の喪失感を抱えていたと言うことになるでしょうか?
この辺の消息のことを観念ごとでなく、自分自身の"実存"に照らして理解出来る人は、神的な光に与るということも理解出来る...かもしれません。
私は幼い微睡みの中にも、どこかに喪失されていない、"神的な、創造的光に満ちあふれた生"の原像を知っていた、と言えるのではないでしょうか? (そうでなければ、人は適応、意識障害とか何とかレッテルを張るかするでしょう。要するに天才か、ただのヘンな人...)
このことはずっと後年、実存的光を伝える哲学者ベルジャーエフとの出会いによって明るみにされ、そこから創造的生にぶち当たるような道が開かれることになったのでした...。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わる時は変わる

2020-07-09 11:47:39 | 雑感
"意識を神に向ければ、パッと思いは消えてゆく"...
なーんてことをいつも書いている訳ですが、我ながら不思議でなりません。
私はこんなことを平然と書けるような人間じゃ無かったのですから...。
年がら年中、何かしら思いが頭の中で引っかかってる...いつも緊張やら不安やらで心穏やかでない...
宗教やスピに関わっている人なら分かるでしょう。この思い、マインドというものが神的な光を覆うものなので、それを何とかしなきゃ、悟り、救いの道など開けないものなのだ、ということが...
私は人一倍、その道を歩む上でかかる弱点を抱えた人間だったのです。早い話自意識が強いってことか...万年中二病みたいなものでしょう。
それが今じゃ..."そういう問題だらけの私は過去のことですっかり消えてしまい、いつも光につながる人間に変わってしまったのですi"
Ha?...そんなことあないi
変われる人はいいでしょう。私も変わりたい、変わろうと思ったことは何度もあります。
しかし、根っから自意識過剰の私は、そう思ってもちっとも変わらない現実の前に、ますますその自分を責め続け、思いのガンジガラメ状態を深めてゆくことになってしまうことが多かったのです。
ところが、それが自分で変わろうとしなくても、春、秋の訪れとか季節、気候の変化に伴うことなどで、自ずとその思いの重しが外れてゆく、ということをしばしば経験しました。
あの風に思いが運ばれて、心身がみるみる軽くなってゆく感じはずっと身に覚えています。
意識が自ずと軽くなる方に向けられてゆく...そういうことの上に"神的なもの、思いを超えたもの"にあって、もっとアリアリとその実感を覚えることになったのです。
これは、私が変わろうとか、自分で自分をどうとかすることじゃありません。人のことはともかく私のこういう性格、性質というのは多分変わらないでしょう。
今でもそういうクセが顔を出すことだってありますよ。
だけど、それが何ヵ月も続くなんて...そんな自分はとっくにオサラバ...イヤ、そうじゃないi そういう自分だからこそ、今平然と"意識が向けば..."なんぞと宣うことが出来るのです。
中二病のヤツは自分の弱点に苦しみ、よくそのことを自覚している...ことに自我意識の強い人間が覚醒や悟りなどに赴くことで、取り返しの付かない迷路にハマってしまうということを...
自分を変えたいと思っている人は、ともすれば自己嫌悪感からか、過去の自分をどっかに消し去ろうとしたりするようです。そうしてマイナスの自分は見えなくさせてしまうのです。
しかし、自分のマイナス、弱点を受け入れなければ、その限界を通して顕わになる光を見い出すことは出来ないでしょう。
だから...私の場合、思いを超えたあの御方の方に意識が自ずと向けられるのでしょう。
神的なもの、霊なるものを古来より風~プネウマに喩えられて来たのもとても頷けることです。
変えよう、変わろうとしなくても、風が吹いて来たり、向きが変わるように変わる時は変わるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひと夏の中二病

2020-07-06 10:44:36 | 回想
ここ数年、ネットを中心に中二病なる言葉が頻繁に聞かれるようになりましたが、そう、確かにあの頃はマセていました。背伸びをしたがっていました。だからこそ、その出たがろう、目立ちたがろうとする頭を否応なしに引っ込めさせられるようなことが起きたのでしょう。
それはまさしく中二の夏のこと、夏休みに入った直後のことだったと思います。
医者に見てもらった訳でないので、病気の診断は受けてませんでしたが、あれはきっと病気だったと思います。それが二ヶ月以上に渡って私の心を苛み続けたのですから...
その時の私の精神状態のことは、医者は勿論、家族にも友人にも打ち明けることは出来ませんでした。だってどう説明していいのか分からなかったのですから...言うのは難しいし、恥ずかしいし...
"あることが頭から離れなくなって悩みを抱えてしまう"...それは多分、医学的には"ノイローゼ"ということになるでしょう。そしてそれは、家族のことや仕事のことなど、そのある特定の問題に思念が囚われ、絡まってしまう、というのがフツーでしょう。
しかし、この時の私は何が問題だったのか分からなかったのですi
一つには夏休みの前に学校でイジメを受けていた、ということはありました。けれどその時は、その二学期以降の時と比べてそんなに深刻でもありませんでした。
又テレビで広島、長崎の原爆の生々しい様相が映し出されていたのを観て、とてもショックを受けたりもしました。
そして又、最初全く原因が分からないまま喉、目の痛み、めまい等に突然教われ、その後判明したもので、都内で初めての光化学スモッグの猛威を目の当たりにしたことがありました。
"東京の空には、どんよりと訳の分からない有毒な霧が立ち込めていた..." これはまさしく私の頭の中のことのようでもあったのです。
とにかく、このように衝撃的、不可解なことにこの時期、相次いで見舞われ、いつの間にかおもーく絡み付くようなものに私の心は支配されてしまったのです。
一体、何が問題なのか? うー...どうしよう、でも...言いましょう! 何かの具体的な事象が問題なのではなく、この重く、絡み付く思念に常に苛まれること自体が問題なのです。だから、説明するのは、ちと困難なのです。
"ヤツはどっからともなく、忍び寄って来る..そしてヤツの魔の手がかかればもはや逃れることは出来ないのだi..."
これが分かったら多分、いつも言っている、"意識が神に向かえば、思いを超えられる"、ということも分かるでしょう。
そう、これらのことは、全く私には裏表のもののように思えるのです。
だんだん思念に絡まってハマり込んでゆくことと、パッとその思いから解放されることとは真逆のことではありますが...
おそらくは、ああいうケッタイな病は表層の意識よりも、もっと深いところで"淀み"にハマることから来るのでしょう。そうしたことが原体験として意識に刻まれ、それに意識が向かうことにより、それ次第によっては、心の領域は天と地ほどの違いをもたらすことになるのでしょう。
このことがあって、例えば、"そういうことは思わなければいいんだ、心持ちを変えればいいんだ..."、という、自分の力でどうにかなる式の楽観的な対処法など、思いのガンジガラメ地獄には全く無力だ、ということを思い知らされたのでした。
"自分の思いのことは、その思いによってはどうともならないi"...それは思いを超えたものの消息を予想するものではあるまいか?
私は知らずにそのものの訪れを待ち望んでいたのかもしれません。そのものよってしかあの地獄からは救われないんだ、と...
して、そのケッタイな私の脳内の霧は、どうなったかと言うと...その年の長く、暑い日々がようやく終わった、九月の終わり、その淀んだ空気と乾いた秋の空気が入れ替わった頃、いつの間にか晴れてしまったのでした。それはやはり私の思いを超えたところから来たのです。
全くどうと言うことも無いような、こんな深刻なことも又無いような...
何とも不可解な中二の夏なのでした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする