人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

何もしなくても人生は変わる

2022-06-13 10:06:15 | 雑感
昨日、あるところで一寸エキゾチックな感じの、スレンダーな美女と話す機会がありました。
このヒト、話を聞けば聞くほど、天性から恵まれているのは、その美貌だけで無い、ということが分かりました。
私の日焼けした腕を見て、”アタシ、日焼けしないんです!“と、それが困ったことであるかのように、平然と言う。今の季節、“紫外線があ!、直射日光があ!”、とその防止に懸命な多くの女性が居るというのに...
又、”何をしている時が一番幸せですか?“、との私の質問に対して、”食べている時“だと...そして、食べても食べても太らない体質なのだと言います。ダイエットとかどっかの“線“とか“たるみ”とかに日夜神経を使っているアナタ、どう思われますか?
このヒトのどこかに、脂肪分とか余計な太らせる成分をスポイルしてしまう機能みたいなのが備わっているのでしょうか?...どこに消えるんだ?!
そして、その話の続きで、“何もしなくても幸せに感じることってありますか?”、って訊いたら、全く淀みや遮るものを感じさせること無く、“ありますよ!”と答える。
何かを為す、為し遂げる、成功する...人生はそういうものだけで成り立っているのではない!
美しい夕日を見ているだけで幸福...朝目覚めただけで幸福...生きている、生かされているだけで幸福...こういうことが自然に受け入れられているようなのでした。
こういう話をすると、”何を言っているのかサッパリ分からん!“、となるのがほとんどでして、一寸拍子抜けするくらいでした。
こういう奇特なヒトには、余計な説明は無用なのでしょう。
自分自身を愛することが出来るのでしょう。異性、家族、友人、ペットなど対象だけに向けられる愛だけでなく、本来から自分に備えられた愛を感じているのでしょう。
このヒトの場合、天性からなのか、あまりそういうことに自覚的でないところが見受けられました。そこが強みでもあるのですが、すこーし、意識的になってみたらもっと幸福感を味わえるようになるかも?...
あまり自覚的になりすぎて、余計な力みが出たり、自意識過剰になるようなことは、このヒトには多分縁が無いでしょう。
自動的にスポイルしてしまう機能は、脂肪分とかだけでは無さそう?...多分余計なストレスも抱えることが無いのではないか?
これは、あれだ!...思いを超えたところから来るんでしょう!...何も分からなくても感じられるでしょ?
私は、改めて何もしなくても人生は変えられる、ということを真向かいに見て、感じさせられました。
自分を変えようと、あれこれ考えたり、やり始める必要は無いのです!
人生の見方、感じ方が変わるのです!

Kちゃん、“K!”...、貴重な、楽しい時間を有難う!
今度は韓国冷麺(一番好きな食べもので一致した)を食べに行こう!
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リアルな霊的導き

2022-06-12 10:32:23 | ガイダンス
ある悟り系と思しき方のブログで、”ガイダンスというものは、真の自己の目覚めには何の関係もない!、むしろそれと関わるのは有害ですらある!“、という趣旨の文に接して、思わず我が目を疑ってしまいました。
その真意は、おそらくその文面の外にあるようにも感じられたのですが、それだけを読む限り、ということなのですが...
ごくシンプルに言って、その言葉には何のリアリティも感じません。現実に即したものが感じて来ないのです!
古今東西の聖者、賢者と言われる人たちで、ガイダンス、導きというもの無しにその道を全うした者など居たでしょうか?
一歩たりともその道を歩むことなど出来ないでしょう!
その道に立つこと、乗っかることが出来る...神縁、仏縁というものからしてがそうなのです。
何度も言うように、精神的な道は、考える自分のみからは何一つ始まって来ないのです!
その道には迷い、苦難というものが付きものです。現実にそれらに直面したら、どうしたらいいのでしょう?
いや、何らの道標を持たずに歩むこと自体が迷いというべきでしょう。
祈ることも知らない、頭の高い人間には何も開かれない...
そんな人間は、修行マニアか、知的遊戯に熱中するだけの悟りマニアのようになるだけでしょう。
どこまでも、考え、何かを為そうとする自分を超えることが出来ないのですから...超えせしめるもの無くしては!...
私はよく現臨するもののことを“見えざる導き”、と言い換えたりしますが、具体的に霊的なガイダンスに与るものは、このものに他ならないのです! それにより全くリアルな、愛、平安に導かれる...
といっても、アタシャ、“それは守護霊、先祖の霊、あるいはハイヤーセルフであり”...などと実体あるかのように説き、それとコンタクトを取れるように、”愛念を送り、祈り、瞑想しましょう!“、などと囚われをもたらすようなことを言うつもりなどありませんよ!
そういう囚われを持ってしまうのは、ハッキリ有害です!...それは思念を超えられないで、より強めていることでしょ?
先の人が言っている真意は、おそらくその辺りにあるのでしょう?
その見えざる導きは、もしかして、本当に守護霊なのかもしれません。リアルにスピリチュアルなガイダンスなのだからそうには違いないでしょうが...分からないものをマインドで捉えようとするから、囚われちゃうのです!
自己イメージで無しに、思いを超えたものにゆだねる...
思念に囚われ、過度に自分と別の何かに依存したりしてはなりません。
何でリアルに感じるかというと、実存と切り離されたものでないからです。その霊的交わりからますます実存的とならざるを得なくなるくらいです。
思いに囚われることと、それを超えたものの違いが曖昧なままのスピ界...
この現状を打ち破るものは、真にスピリチュアルなガイダンスに依るしか無いかもしれません?
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祈りというものはある!

2022-06-11 09:44:05 | 祈りと瞑想
何度も言うように、私はスピリチュアルな道の方法、メソッドについては明言してこなかったのです。
その理由は、(毎回違うことを言うようですが)だってヘタにそういうものを提示して、”なんか霊体のようなものが見えるようになりました!“、とか“聞こえてくるんです!”、“現臨だとか言って悪い霊だったらどうするんですか?”、な~んてこと訴えられたら、メンドーなことになるでしょ!
又、“何回やっても現臨らしきものなど降りてこないではないか!”、”覚醒体験のようなもの起きないではないか!“、などスジ違い、見当違いなこと言われても困るからなのですが...本当の理由は、最初からそういうものは無いからなのです!(これはいつも言ってます)
で、念のため、老婆心ながら、当方には何ら責任の無いことで、オカシなことを始めてしまって、オカシなことになってしまった人に一言、二言申し上げます。
見えたり、聞こえたりするものに囚われないで下さい! 囚われをもたらすものにヘンな興味を持たないで下さい。
又それをネガティブに感じて、それから離れようとして、どうしても囚われてしまうという向きは、祈って下さい!
何の神に、どう祈る、ということで無しに、本当に苦境に置かれているのなら祈れるでしょう?
万人が万人、そういう時はそうするものでしょう!
又、既にメンドーなことを抱えている人、何でそうなる前に祈らなかったのですか?!
スピリチュアルな道は、絶対にナメてはなりません!
祈りを欠いて、そういう道を歩んでいる人間の気がしれません。
だからだから...私は何度も言っているのです!...方法やメソッドは知らないけど、祈りというものはあるんだ、と。
祈りの方法とかになると、又囚われたりするから、もっと広い意味で言っているのです。
自分の思い、力を超えたものにアクセスする...これがもう、祈りの何たるかを言い表しているではありませんか?!
あなたはあなたの人生で一体何を求めているのか?...苦難にある時、どうすればいいのか?...
祈ることの大事さを知っているあなたなら分かるはずです!
あの教え、この方法、え?...私があなたに何かを施す?...ば、ばかな!
イヤです!...メンドクサ...
あなたは、あなたの神に祈りをもってたづねるべきなのです!

だから、メンドーなことは、神サマに振るに限る!...ん?
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己に勝つ?

2022-06-09 10:16:32 | 求道、探究
言うまでもないことですが、スピリチュアルな道とスポーツのアスリートなどの道は丸っきり違います。
しかし、以外とこの両者は混同されていることも多いようなのが不思議でなりません。
弛みない努力と鍛錬を重ねて、自分を磨き、進化させ、神に等しきものになろうとか...
”相手に勝つ、己にも勝つ“道が後者なら、こっちは負ける道と言えるかもしれません。
と言っても勝つ相手は勿論、己も居なかったりして?...居たら、どっかで負けなければ!...長らく、私“ガ”君臨していた王座を明け渡さなければならないのです!
私などは、生来の根性無し、意気地無しとキテるので、この違いは最初から受け入れられていたところがありました。
アスリートたちは、努力と鍛錬を重ねて、超人の域に達し、神技を身につけたりしますが、神にはなれません。そうなったら“誰も居ない”でしょう。どんなに己に勝ってもそうならないでしょう。
これは、彼らになってみないと分からないことですが、多くの証言があるように、彼らにも自分が自分でなくなってしまう、自分を超えたものに明け渡すような瞬間というものがあるのでしょうか?
もしかして、己に勝つとは、こういうことを言っているのでしょうか? 普通に己の限界を超えるとか言ってますが...でもチャンピオンベルトを巻いている自分がいる限り、己は超えられないはずですよ! 
つまり、己を超えた己がそこにあるのです。
私は己を超えた、いや自分で超えたんじゃなく、超えたものに与ったことはありますが、その超えた当体は、勿論見たことがありません。
どこまでも、上昇、常勝の己の道を追い続けるアスリートたち...私とは全然次元の違う道を歩み続ける...永遠に彼らには勝てない!(夢の中で第一ラウンドはモハメッド.アリに、第二ラウンドは、何故か相手が変わって、アントニオ猪木にそれぞれ一発お見舞いしたことありますが)...だから断念するっきゃない!、こんな分かりやすいことはありません!
断念しないと、いつまで経っても、この全く違う二つの道の狭間で、どっち付かずの宙ぶらりんですよ! そういう己に、“渇だ!”
断念...あっさりギブアップ!...すると最愛のあの方との再会とあいなったりするのですよ!
私は、そのために生まれたと言っていいのかもしれない!
”勝ったぞ!“...
いや、そこには勝者は居ないでしょう!...
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異次元のモンスター

2022-06-08 09:49:14 | 雑記
イヤー、スゴイ!、スゴすぎる!、モンスター井上!
昨夜の世界バンタム級王座統一を賭けての宿敵ノニト・ドネアとの再戦。
モンスターの公約通り、ドラマにならなかったですね。
これでハッキリしたでしょう?...何度か触れているように、彼が不調でないと、ハラハラ、ドキドキのドラマは生まれないのです!
観ている方はちょっと複雑な心境になりますが...
私は、前回より圧倒的有利な展開となり、中盤くらいでKOするだろう、と大方の予想通り踏んでいたのですが、それをはるかに上回る圧勝劇なのでした。
しかし、キメたのは、前回ダウンを奪ったボディブローでは無かった!
(ボディブローは、食らうと悶絶するくらい苦しいです。前回その追い打ちをしなかったのも、今回もリスペクトするドネアへの温情では?、というのは考え過ぎでしょうか?)
あの時、顔面に再三クリーンヒットしたのに、驚異的な耐久力を見せつけていたドネアが、初回で”閃光“右ストレートで倒された!...もう、目が虚ろ...こんな“フィリピンの閃光”、始めて見ました。勝負はこれで決まったも同然!...サムライのような差し合いを制したのは、やはりスピードで勝る井上だった!
ドネアは、全盛期の勝ちっぷりを奪われるように負けたのでした。
前回と違って、ドネアに肉厚というか、体格差を感じませんでした。おそらくスピードアップのために絞ったのでしょう。実際ここ最近に無いような速さが感じられました。
逆にモンスターの肉体は、ビルドアップしたように見えました。しかし、パンチのスピードは衰えることなく、パワーアップしたのでしょうか?
最近のモンスターは、あのマクドネルを、パヤノを秒殺した時のような、一頃のその圧倒的強さは、なりを潜めた感がありましたが、不倒のナルバエスをバッタ、バッタ倒した、あの衝撃の試合から八年も立っているのに、その怪物ぶりを発揮出来るとは!...だから怪物なんだ!
こりゃあ、文句なしに“PFP”一位確定でしょう?

異次元の...という形容は頻繁に使われているようですが、これは、ホントに、ホント~に、これまで何人も見てきた最強と謳われるボクサーが一体何だったのか?、と思わせる強さという他ありません!...それもかつては、非力、技術不足、世界レベルからははるかに遠い、とされていた日本人から生まれ出ようとは!...ガタイが違いすぎる!、同じ人間なのか!、いや、モンスターなのだ!...あの時代が幻想に思えてなりません!
コメント (8)
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