からくり出張所

様々なからくりを徒然なるままに書くつもりです。
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木造駅舎など

2009年08月19日 10時21分09秒 | ぶらり旅

 このところ野暮用で連日ドタバタしています。三日間出席するつもりで楽しみにしていたJAMも22日は公私の行事で怪しくなっています。作成中の機関車にも火を入れるのが遅れに遅れてまだ未実施でデビューは遅くなりそうです。最後の一頑張りはやってみるつもりですが・・・?

選挙が始まるとなぜか故郷の選挙を思い出します。祖母始め懸命に支持者を応援していた地方の選挙は一種のお祭り騒ぎだったような気がします。その結果始まる足の引っ張り合いは、その土地のなせる業だったかも知れません。のんびりした古き良き時代だったようです。

そんな土地で思い出すのは、何に付けても佐世保線・高橋駅です。既に縮小に縮小を重ねて、とうとう西洋犬小屋に建て替えられてしまいました。地元でも惜しむ声もなかったのでしょう。昭和29年に武雄市に編入された朝日町では当事者能力もなくなり駅にいちゃもんを付ける人など居なくなったのでしょう。 遠い昔に故郷を出た者には結果が全てで「どうして?」思わされるものが多々あります。  その高橋駅高橋の街並みを撮ったものが殆どありません。僅かに持つのも平成4年(1992)、街終焉の頃のものです。

(写真追記)

Dc053106 大正橋の側から撮った高橋の街並み写真が見つかったので夕方、追記しました。此の道をズーッと進んだ突き当たりが朝日小学校です。

Dc053102 こちらは榎津橋から大正橋を撮ったものです。川幅が狭くなりましたが、現在は更に狭くなったようですね。かっては石の階段を下りた辺りでは川ニナがザクザク採れたので塩茹でして子供のおやつ。もちろん蛍が飛んでいたのです。シジミも沢山いましたが、現在はどうでしょうか?

(追記終わり)

どうして撮ってなかったのだろうと失ったものの大きさを今頃感じています。 現地に唯一残るのは桑原家住宅?のようですが、一昔前にはあの規模の家並みが続いていたのです。今となっては大変残念です。必死に働いていた時期には故郷を省みる余裕もなかったのが実状でした。

それはさておき、尊敬する会社の上司から「高橋駅は、自分と同じ名字だったので降りてみた。」と云われて驚いたことがありました。併せて鉄ちゃんであることにも(笑) あの木造駅舎があったならばと今更ながら残念です。 高橋駅Homepageに書いたのですが、今や偉くなった方々と夕暮れまで遊び回った楽しい場所でした。 駅長官舎、貨物倉庫、引き込み線、日通とそれなりの機能を持っていましたが、私の記憶には妙な濾過装置を持った井戸の印象が強く残っています。水質が悪かったのかも知れません。

平成の大合併で武雄市が更に拡大しました。その結果佐世保線の駅で北方、高橋、武雄温泉、永尾、三間坂と5駅が武雄市になりました。こんな数を持っているのは都会です。(苦笑)  更に北方、永尾、三間坂が木造駅舎です。 二三日前にNHKBSハイビジョンで西日本の木造駅舎が特集されており、三間坂の隣の上有田駅が採り上げられていました。この駅も私にとっては大変懐かしい駅です。 今の時代に見直され来た木造駅舎、これらを持つ貴重さを認識して大切にして貰いたいと思います。昨年ぶらついてたまたま撮っていた木造駅舎を並べてみます。

Dc1128216  ご承知の上有田駅、明治有田はここから運び出されました。Dc1128136

この駅の隣、三間坂駅は武雄市になります。Dc1128129

Dc0905172_2

これは熊本県三角半島を縦貫する三角線、網田駅です。

もう少し写し回れば良かったとまた反省。周辺の古い駅舎、いつの間にか消えていきますね。

磐越東線を走ってみての感想から故郷の木造駅舎を思い出しながら書いてみました。