書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

脳容積と知能

2021年08月14日 20時50分02秒 | 意識論関連

「頭を使ったから 脳が肥大した」というのは嘘である

走るのが速い動物に進化が促されるメカニズムは「一生懸命走ったら 速く走れるよう進化した」のではなく

遺伝的変異によるバリエーションの中で先天的に走るのが速い個体以外が天敵からの捕食などによって淘汰された結果である

個体の「努力」だの「願い」だの「思い」だの「呪い」だの「目的」は遺伝的進化とは無関係であり 遺伝的変異は個体の選択可能性が構造原理的に存在しておらず あくまで淘汰圧力の結果としてパッシブに「促される」だけのものであり 自ら能動的に「促す」ことは原理的に不可能である

 

遺伝的進化によって脳が肥大するメカニズムとは 変異によって脳の大きさにバラツキが生じ より脳の大きな個体だけが生き残り 脳の容積の小さな個体が何らかの淘汰圧力によって死滅することで生ずるものである

脳の容量は先天的に決定しているものであって 個体が主体的に選択できるようなものではない

たとえ脳の容積が大きくなっても 容積だけで知能が決定するわけではなく 脳容積が2000ccあっても白痴のケースもあれば 平均的な脳容積があってもバカはバカであり 凡人は凡人である

凡人や犯罪者だけが特異に脳容積が小さいなどの知見は存在しない

ヒトの平均的な脳容積があれば知能が働くかと言えば 平均的なヒトは何ら新しい発見や発明はできず 養老孟司やマルクス:ガブリエルやイマヌエル:カントやフリードリヒ:ニーチェの言っている内容の論理的破綻を認識できず バカみたいに鵜呑みにして「哲学」だと錯覚して疑うことがない

「天才」と呼ばれるヒト達の脳が特異に容積が大きい知見もないのである

何も自分では気付かない凡人に限って 「ヒトは知的生命体だ」などと勘違いしているものである

過去の賢人達が気づき 発見発明した知識を「知っている」だけなのと 大多数の凡人とは異なり過去に実際に発見発明したこととは全く別の脳機能である

教えられて「知っている」だけと 誰からも教えられていないのに「気付く」能力は 脳機能として全く別のものである

教えられなければ何も気づけないバカしかいなければ 新しい発見や発明による文明を築くことはできないのであり

本当の知性を発揮しているのはごく少数の「天才と呼ばれる人たち」だけであって それ以外は全員何も発見発明できない「凡人」に過ぎず 到底「知的生命体」などとは言えないのである

それこそフランシス:ゴルトンの優生学なんぞを鵜呑みにしているバカしかおらず 誰一人として論理反証もできない頭の悪い凡人に過ぎない

同じ脳容積がありながら バカは脳の使い方を根底から間違っているのである

 

「手を使ったから 頭が良くなった」というのも嘘である

どんなに手を器用に使っても それが原因で脳肥大が促される構造は存在しない

脳容積は遺伝的先天的に決定しているものであって 後天的な努力や使い方でどうにかなるようなものではないからだ

手を器用に使う動物は他にもいるし 鳥はクチバシだけでも器用に道具を使うこともある

手先の器用な動物種の脳が肥大するわけではない

実際していない

手指やクチバシは脳にとっては所詮「道具」に過ぎず 道具がどうあれ 頭が良ければクチバシのような単純な構造であっても器用に道具を使いこなすことは可能なのである

ヒトでも先天的に手指が欠損して生まれてくることがあるが それが原因で脳の発達に影響を及ぼすことはほとんどなく 逆に五体満足でもバカはバカである

ヒトよりも器用に手指や道具を使いこなす動物種は存在するが 脳肥大への進化が促された形跡はない

ヒトだけが特異に脳肥大したのは 脳肥大しなかった個体が淘汰された結果に過ぎず 形質として頭部が大きな個体への配偶者選択 とりわけ幼形成熟性によって脳肥大が促されたと考える方が自然である

前述のように 脳容積が肥大しても頭が良くなるわけではない

脳容積が大きなヒトの中に 偶発的に「大多数よりも頭の良い個体」が生じるだけの話である

本来なら 「大多数よりも頭の良い個体」が発見発明した内容を 他の個体が理解して周知すれば良いだけの話なのだが

バカというのは「大多数よりも頭の良い個体」が発見発明した内容を理解することができずに差別排除したがるために 有効な発見や発明が社会に生かされずに抹殺されてしまうことがよくある

「ガリレオの火炙り」は典型であろう

キェルケゴールやベンヤミンも同様である

バカは 自らのバカさを自覚認識していないからこそバカが治らない

だから人類は自滅への道筋を変えることができないのである

それが原因で絶滅しても 私の関知する範疇の話ではない

 

 

Ende;

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メッキ日記(タモリ倶楽部情報)

2021年08月14日 10時48分27秒 | 日記

染めQテクノロジー メッキ調スプレー -ヨドバシ

1390円

 

WAVE ガンダムメッキシルバーEX -ヨドバシ

660円(販売終了)

ペイントマーカー 誰でも簡単に鏡面仕上げにできる ヨドバシでは現在入荷予定がないらしいが 基本的にはプラモデル店ならどこでも扱いがあるんだと思うのだが

 

ハセガワ ステンレスフィニッシュ -ヨドバシ

1120円

銀箔みたいに使える柔軟性のある粘着フィルム

 

WAVE こすって銀さん -ヨドバシ

1390円

黒い粉末を黒い鏡面仕上げのものに塗りつけて擦ると金属メッキ仕上げになる

 

インスタントキャスティングキット -PR Times

3520円

融点70℃の合金を用いて ご家庭で簡単安全に鋳造が可能に

ドライヤーで熱したら表面熔けてツルツルにならんのかしら

 


Ende;

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置き換わり

2021年08月13日 14時17分44秒 | 意識論関連

変異によって弱毒株が生じたとしよう

既に生じているのかも知れない

だが 弱毒株への「置き換え」が起きるメカニズムは存在しないし 誰も説明できない

弱毒株であれば症状そのものも軽くなるわけで 結果的に感染能力自体も低くなるはずであり 置き換えが生ずる可能性は極めて低くなる

 

アナウサギに対するミクソーマウイルスが弱毒株への「置き換わり」が生じたのは 致死率95%にも達する強毒性によって密が解消した結果 死なずに済んだ弱毒株だけが残ったからである

このメカニズムが人間社会で生じるためには 一旦人口の95%以上が死滅するほどの強毒株への「置き換わり」進化による強制的な物理的「密の解消」を必要とする

膨大な大量死が起きれば 密が解消し 結果的に弱毒株だけが残って共生が起こりうる可能性はあるものの

弱毒共生への置き換わりが成功し「遺伝的進化」が達成される保証は何もない

アナウサギの場合は繁殖力がヒトとは比べ物にならないので 致死率50%でも共生可能になるが ヒトの場合はそうはいかずに絶滅する可能性の方が圧倒的に高い

現状問題になっているデルタ株であっても致死率は数%に過ぎないのである

構造的に密が解消するほどの致死率に一度なってしまえば 医療崩壊どころが文明ごと崩壊する

文明が崩壊すれば もはや自給自足生活に戻らざるを得ず 現代医療による治療は一切期待できなくなり 致死率が少しくらい下がっても絶滅は不可避である

遺伝的進化というものは 個体の存在価値なんぞどうでもよくて 大量に死滅しても一部が生き残りさえすれば「種の保存」として成立することになる

生物や その遺伝的進化というものは 「全部が死滅していなければ生物」という「結果」だけであって その先にそれ以上の何らかの意味だの意図「目的」だのが存在するわけではない

イワシは他の魚にほとんど捕食されてしまうが それを上回る強力な増殖力によって絶滅せずに「種の保存」が成立しているのであって 過酷な自然環境における生態系のピラミッドというのは常に弱肉強食の過酷な喰い合いによってのみ 結果的に環境調和や恒常性に至っているに過ぎず

これを人間社会に適応するというのは狂人の発想である

「知識のエコシステムを生態系のピラミッドになぞらえれば」などと言い出した時点で狂人確定なのだが バカだとそれが認識できずに鵜呑みにする

遺伝的進化というものは 膨大な「失敗」の果てに偶発的に「成功」した結果だけしか観測することが構造的にできないため 論理科学的に考えることのできないバカなら「進化は人間よりも賢い」などという話でも鵜呑みにできるのだろうが

これはバカすぎる

もし遺伝的進化のアルゴリズムによって人間社会を「進化」させるというのであれば 膨大な失敗の果てに偶発的に起きる成功に期待しているだけであって 成功する保証はなく 全てが失敗して絶滅する確率の方が圧倒的に高い

「バカ」と「バカでないヒト」が混在している社会において バカでないヒトだけに「置き換わり」が生ずるメカニズムは存在しない だから バカはいつまでもいなくならない

むしろバカ同士で少数派を民族浄化してしまえば バカ以外への強力な淘汰圧力にしかならない

バカへの進化(置き換わり)しか生じないのである

ナチスに迎合したハイデガーは生き残り 反対したベンヤミンはスイス山中で自決せざるを得なかった

体制を批判したキェルケゴールも野垂れ死にしなければならなかった

ヒトは 先天的に少数派を抹殺して多数派で同調して安心したがる習性があるため

内部告発者などの「正直者」はバカを見るようなバイアスが先天的に組み込まれているのである

 

本当に怖がらなければならないのは デルタ株やラムダ株のさらに変異した手のつけられない絶滅株であって

「ワクチン怖い」などという糞しょうもないデマに撹乱されている暇は本当はないのである

バカは主観的気分で安心か恐怖かでしか判断できないが それは本当の危険性を見分けることができない原因でもある

本当の「危険性」というものは ウイルスにあるのではなく ヒトの先天的な頭の悪さにこそ存在するのであり

一人のバカのせいで大勢の人が巻き込まれる「人災」が最も恐れるべき危険性なのである

津波は天災だが 原発事故は人災であり

ウイルス変異は天災だが 感染防止を怠ったために起こる医療崩壊は人災なのである

 

 

Ende;

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忘れ物は何ですか?(日記)

2021年08月13日 10時55分16秒 | 日記

高知県でプールの水を止め忘れて水道料金請求が290万円っていう話があったんだけど

いや 水道の蛇口って締め忘れるのよ

水道とガスコンロは出しっぱなしになっちゃうので これなんとかならんものかと以前から思っている

明らかに通常と違う使い方してたらメーターが警告出すとか スマホに表示するとか

何かできそうな気がする

あと 洗濯物の干し忘れね 洗濯機の中で洗濯物が腐っちゃって洗い直しになる

ガスとか水道の無駄遣いは温室効果ガスの増大にもつながるので お金だけの問題ではない

アクセルとブレーキの踏み間違いもそうなんだけど

「ポカよけ」しようぜ

 

 

Ende;

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もったいない話

2021年08月12日 11時11分53秒 | 意識論関連

アルファ株とかデルタ株への置き換わりが生じているのは 逆に言うと感染力の弱い株に対しての感染予防対策はできているからでもある

つまり 感染予防対策そのものは間違ってはいないのだが それ以上に感染力の方が上回ってきてしまっていることで 感染力の強い株だけへの「置き換わり」が生じてしまっているのである

 

これはある意味「もったいない話」である

もっと早期に充分な対策ができていたなら 感染力の強い株種の蔓延も阻止できていたかもしれないからだ

若しくは少数の対策不十分な奴のせいで 対策が充分な人の努力が水疱に帰しているとも言える

原発事故とか運輸安全に関わることなら 運用担当者だけの責任問題になるが 感染症対策に関しては国民全員もれなく行動責任が伴うのである

無責任な行動をするたった一人のバカのせいで 皆の努力が無駄になってしまう

それがパンデミックというものである

中国政府のように私権を制限して強圧的に行動制限をしてしまえば収束には有利だろうが

中国政府の場合はそれが原因で餓死者が出ていたとしても平気で隠蔽している可能性は充分にある

なんつっても事故起こした新幹線を問答無用で埋めるくらいだもの

「ストレスが溜まる」などという暇人の寝言に付き合っている暇は 本当はない

災害で真っ先に被害を被るのは弱者である

弱者を守れないというのは人間性の欠如である

生存競争を勝ち抜いて強者になれば進化でもできると思っているバカは多いが

そういうバカのせいで環境調和は崩壊するのである

 

 

Ende;

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慣れた危険は怖くない

2021年08月12日 10時13分13秒 | 意識論関連

遺伝的進化をコンピューターでシミュレーションする際のアルゴリズムは 突然変異の中から適者以外が全て淘汰され死滅することで生ずるものである

つまり 自然環境下において過酷な生存競争の中でのみ遺伝的進化は生ずるのであって ヒトの社会の中では遺伝的進化は生じない

実際ヒトはここ数万年はほとんど進化が起きていないのである

変異はある 身体の大きさだけを見ても2mを超える大きな人もいれば 150cm以下の小さな人もいる

自然環境下であれば 何らかの淘汰圧力が働き 例えば島嶼化などによってフローレス原人のような小型化への適応が生ずることもあり それが原因で脳まで小さくなったとしても 別に遺伝的進化というものは「脳を肥大させる」といった最終的な「目的」みたいなものがあるわけではないので 「結果」的に死ななかった個体種への進化しか促されることはない

起きるのは環境適応だけで それ以外の別の力学は働かない

また 突然変異によって遺伝性の先天的疾患を持って生まれてきてしまう人も一定数存在し 決して変異の全てが生存や種の保存に常に適する保証は何もないのである

遺伝的進化の全てはあくまで「結果」であって 遺伝的進化の全てが何らかの「目的」に則って常に都合よく生じるようなものではないのである

現在生存している観測可能な生物種というのは あくまで「生き残った」個体しか観測することはできないのであって 遺伝的進化の過程において淘汰され死滅絶滅した個体種は化石などで極めて稀にしか観測できない

遺伝的進化というものは 膨大な変異と膨大な淘汰圧力の結果として生ずるものであって あくまで偶発的に「まぐれ当たり」したものだけが残ったに過ぎず 何の「目的」も存在しない必然的自然現象に過ぎない

遺伝的進化というものは あくまで膨大な死滅の果てに偶発的に起きる可能性が存在しているだけであって 決して「常に最適化への進化が成功する」保証は何もないのである



ミクソーマウイルスがアナウサギに対してい弱毒共生進化が生じたのは あくまで自然環境下において膨大な死滅を伴うことで生じたのであって ヒトの社会の中では同じ遺伝的進化のメカニズムは働かない

たとえ変異によって弱毒株が生じたとしても その弱毒株以外の強毒株の全てが宿主ごと死滅しないことには弱毒進化には至らないからである

ヒトの社会において 強毒株が死滅するメカニズムは存在しない よって弱毒化は構造原理的に生じない

ウイルスというものは 大量発生した生物種の過密環境に適応する形で繁殖力を発揮する これがたまたま自然環境との調和にも適しているとしても 別にウイルスが主体的に環境調和のために自らの遺伝的性質を選択したわけではなく あくまで環境調和に適したことで死滅を免れた結果に過ぎない

遺伝的進化というものは 結果だけを見ればとても「賢い」ように見えるかもしれないが これはあくまで膨大なバカげた死滅の賜物であって 変異の全てが常に遺伝的進化に成功する保証はどこにもない



ウイルスは 感染する宿主が密の状態に対して繁殖能力を発揮し 密が解消すれば感染も収束する

これは赤潮などに寄生するウイルスでも同じことである



多剤耐性菌の発生メカニズムは 抗生物質の乱用投与によって ブドウ球菌等に対して抗菌剤による淘汰圧力が働く環境下において より抗菌剤に耐性を持った菌種だけへの進化を促してしまうことで生ずるものである

COVID-19において 当初の初期株よりもアルファ変異株に置き換わり 更にデルタ変異株への置き換わりが生じているのは 中途半端にヒトが感染対策をしているために より感染力の強い株種への進化を促してしまっているからである

これは多剤耐性菌の発生メカニズムと同じである

早期に完全撲滅収束させない限りはワクチンや治療薬への耐性獲得への進化ばかりを促すことになり 取り返しのつかないことに陥る可能性は充分にある

「ワクチンが怖い」などという幼稚園児みたいな寝言に付き合っている暇など 本当はないのである





Ende;

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同類

2021年08月11日 23時26分04秒 | 日記

北村晴男の個人的主観にどんだけの価値があると思ってんだ

人それぞれだろ

北村晴男が主観的にどう「思う」のかなんぞ知るか

人生賭けて獲ったメダルを下品なジジイに噛じられる嫌悪感を無視すんのか北村は

「俺はそこまで怒らない」だとか言っとけば「心の広い人物だ」とでも思ってもらえると思ってんか?

なんやコイツ 同類じゃねぇか

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸

弘中綾香のフォトブック「ひろなかのなか」が全然売れないそうな

表紙がおちゃらけすぎなんだと思うぞ

タイトルも「コロナ禍の中」みたいで あんまりシャレになってない

インスタで充分という感じもある

https://instagram.com/hironakanonaka

動画もあるしな

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸

Amazonのサイトってやたらと容量デカくて通信状態が悪いとサンプル画像が全然見れないもんだからソースコードから抜いて見ている

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71UBI6Jep2L.jpg

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71zwS6C8jSL.jpg

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81VC7JlngDS.jpg

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71QROw9rytL.jpg

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71d+oEO9NdL.jpg

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/718xbR7M0wL.jpg

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81VTCWOpNTL.jpg

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81eIWEiwu2L.jpg

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/716MjkCRn6L.jpg

こういう写真撮りたいな

女子グループの方で企画立ててもらってカメラマンとして雇われたい

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸

親父に「医療用テープ買ってきてくれ」って頼まれたので

メモろうと思ったら「療」の字が書けない

いや使わないね この字は

茗荷
生姜
茄子
胡瓜

猛暑
武蔵
浚渫
餃子

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸

多分「カップ炒飯」って書きたかったんだろうなぁ…

「カップ炊飯」って意味わかんないもん

https://grapee.jp/993141

オイラも最初セルフレジに戸惑ったわ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸

半角ハイフンが出ないという仕様

いや違った 日本語システムが憶えて予測候補になってたので 最後の「り」まで入力すると半角ハイフンが出なくなるという仕様だった

なんだかややこしい仕様だな

 

 

Ende;

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Black swan

2021年08月11日 23時02分27秒 | 意識論関連

「ウイルスは弱毒化する」というデマは 日医大特任教授だけがバカで理解できないのかと思っていたが

どうも「医学界の大勢を占めている」との話もある

これは進化生物学界による遺伝的進化万能妄想を温存している怠慢が要因であろう

とはいえ 感染症学界においても「遺伝的進化が常に都合よく生存や種の保存に適した進化以外が生じない」などという話が論理的根拠のないデマに過ぎないことは理解可能なはずであり 進化生物学界だけに責任を丸投げして良い話ではない

寄生生物というのは決して特殊なものではなく そもそも全ての生物は「環境に寄生」しているのであって 決して環境なしに個体単体だけで生存を維持できるわけではない

特定環境下に寄生する形で遺伝的進化が起きていることを踏まえれば その特定環境が他の生物個体の体内であった場合に「寄生生物」だと特殊扱いしているに過ぎない

生物が環境適応する過程において その変異の全てが常に環境との調和に適する保証はない

かつてのカンブリア大爆発における膨大な変異の大半は絶滅し その後も大絶滅は繰り返しているのであって 環境調和的に「宿主(環境)との共生」が達せられる保証は何もないのである

現状存在しているウイルスだけを観測すれば 弱毒共生に成功したものしか観測できないのだが それは弱毒共生に「失敗」したあらゆるウイルスと宿主の絶滅の結果でしかない

「死人に口無し」

死滅した個体株種が存在しないのは当たり前の話であって 偶発的に生き残った個体種の性質だけを根拠に進化の全てが常に生存や種の保存に適する進化以外が絶対に起きないかのように「解釈」するのは 到底科学的論証には全くならない

どんなにたくさんの「白いスワン」を集めてきても 「この世の全てのスワンは白い」ことの科学的論証にはならないのである

 


Ende;

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自分のケツ

2021年08月11日 11時45分00秒 | 意識論関連

自己肯定感の欠如しているヒトは その精神的欠損を補おうとして他人との比較競争に明け暮れ 他人を貶めてまで自分方が優位に立っているという錯覚に陥ろうとする習性がある

秋葉原通り魔事件の加藤智大(かとうともひろ)元死刑囚も 「俺のような人間は 死んだら良いんじゃ!」などと主張していた

他人に危害や攻撃を加えることで 被害者の方が自分よりも「下」だとみなせることで自分が優位に立ったという感覚(錯覚)欲しさに中毒になっているヒトというのがいて

要するに精神疾患なんだが 現状の心理臨床ではこれを疾患としては扱っていない

理由は簡単で あまりに多数なので「正常」と扱われているからである

自分を自分で肯定できないヒトは 他人を貶めることによって代替することしかできなくなる

すると 論理客観的根拠もなしに「死ね」だの「消えろ」だの「バカ」だのしか言わなくなり 何の論理的説明も一切することはない

個人の主観的な「嫌い」という感情が 短絡的に「正義の鉄槌」になってしまうので 「世のため他人のため」とか「人類の救済」だとか称して最終的に暴力で解決しようとする

実は刑法罰も構造は一緒である

犯罪者の病理を無視して多数派や国家権力による抑圧で感情的に満足しているだけであって 論理客観的な社会安全性の論証は全くないのである

どんなに軽微な犯罪であっても 更生治療をしないことには被害はなくならない

たとえ強盗殺人で25年の懲役刑を終えても すぐに殺人事件を起こす事例というのも時折繰り返されているのである

刑務所は罰を与えるのが業務であって 更生治療は努力義務でしかなく 治っていようがいまいが裁判での判決で決定された刑期を終えれば釈放するのが刑務所であるからだ

 

「多数派が正常」だと言うのであれば SNS上の誹謗中傷は「正常」ということになる

実際にMicrosoft社のTwitterAIは Twitter上の圧倒的膨大なヘイトスピーチを「学習」する形でヘイトスピーチに便乗同調したのである

ヒトは 元々野生生物から進化しているため 暴力性が生得的に組み込まれている

暴力で獲物を獲ることが脳への報酬として働く仕組みが先天的に組み込まれているのであり 種の保存に適した行動として民族浄化バイアスが働き 「変わり者」を排除攻撃する習性があるのだ

だから イジメや誹謗中傷をしている加害者というのは その快楽に溺れて中毒に陥ってしまうのである

だから 「やめることができなくなる」

 

他に個人的な楽しみがあれば イジメだの誹謗中傷だのに時間を割く暇はないはずなのだが それが一切ないため 自分が世間的に評価されないという「惨めさ」を補う形で他人に攻撃を加えることで脳への報酬を得て満足しようとする

「世間的に評価されたい」という価値観は 元々は「親大人達に評価されて安心したい」という幼稚な価値観が世間という集団に転移したものであり 他人を蹴落としてでも自分の方が優れていると見られたがるのである

脳がキチンと育って 大人としての社会的責任判断ができれば 他人を蹴落とすことよりも むしろ弱者を救うことの方に意識が働くのだが 大半の大衆はそうなっていないのである

「奪い合いをすれば足りなくなるが 分け合えば余る」と言われている

ところが順位序列で優位に立った者が独占する構造だと 必死になって優位に立たないと死んでしまうのではないかという恐怖心から 必死になって他人を貶めることに邁進暴走するようになる

構造自体を変えることには意識が働かず 既存の構造に流される形で他人を蹴落とすことしか意識の俎上になくなる

これは客観性がないのが原因である

「他人を攻撃すれば得をする」という錯覚に無意識に流されるだけで 本当は「弱い立場の人を救う方が社会全体が潤う」という客観的事実は見えなくなる

「情けは他人のためならず」とは 本当はそういう意味である

自分だけがどんなに物質的 数値比較的に「豊か」になっても 他人が苦しんでいたのでは本当の幸福は味わえないのだが そのことには意識が働かず「見えていない」からこそ他人を攻撃して主観的に満足することばかりにしか意識が働かなくなる

すると最終的には多数の他人を殺すことこそが「目的」になってしまうのである

当然ながら そんな行為に論理客観的合理性はない

あるのは先天的な脳の無意識な行動バイアスだけである

冷静になって考えれば テロだの通り魔だのをやらかしたところで 不公平が解消して世の中が良くなるわけでもないのに 主観的満足だけが肥大化して目先の「脳への報酬」欲しさに理不尽な暴力を振るうようになる

私自身も いくら説明しても誰も理解しないバカしかいないのであれば 「全員死ね」としか「思わ」ないこともあるが それでも向かいのマンションに住んでいる小学生の子供が将来理不尽な暴力を受けて苦しむことがないようにするためには 自分の主観的感情なんぞ棄てることの方が重要だと客観的に「理解」しているから こうやって面倒臭い説明を地道に続けているである

自分の主観的感情なんぞ そんなもん個人の主観であって 社会的にはどうでもよろしい

社会的には価値がないのである

そんなことより 自分が主観的に楽しいと思えること 美しいと思えることに熱中していたほうがマシというものである

目先の主観的感情に囚われ 異常執着しても 社会安全性や持続可能性は高まらない

本当に自分が望んでいる人生とは何かを深く「考え」れば 利己的感情論なんぞ大した意味はないのである

社会は「自分のための便所」ではない

自分の主観的感情は自分でなんとかするべきである

糞をするのに他人に頼るのは社会性を伴った「大人」ではない

自分のケツくらい自分で拭けと そう言っているだけの話なのだが

バカには響かないんだな

響かないからバカなんだけど

互いのケツを拭きあって満足しているバカの方が圧倒的に多いもんだから そっちの方が「正常」だと勘違い錯覚している奴は多い

 

 


Ende;

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「思う」ということ

2021年08月11日 10時12分40秒 | 意識論関連

ヒトの平均寿命を90歳だとして 人口が1億2000万人であれば 一日あたり平均3653人は亡くなっていることになる

決してヒトは「永遠に生きている」わけではない

ワクチン接種後 何日か後に亡くなったとしても それが高齢者であれば単に寿命だった可能性は充分に存在する

「ワクチン接種後に死亡」という事例があっても 「絶対に死なない」わけではない

数件の「因果関係不明」の死亡例は ワクチンを接種しようがしまいが存在するものである

だが COVID-19感染による重症化死亡は因果関係が明らかであり 既に15,308人(2021年8月10日現在)に達する

これが客観的数値である

 


「ワクチン接種後に死亡 因果関係は不明」という報道によって 視聴者にミスリードを与える可能性があるからといって Yahoo!ニュースでは死亡例報道自体を控えたというのだが

これはむしろ情報隠蔽に該当するので 本来ならやめて欲しいものである

報道の客観的説明をすれば 「接種後に死亡」という事実が短絡的に「ワクチンは危険」という帰結にはならないのだが ある種の錯覚によって 「接種後に死亡例があるからワクチンは危険」というデマが蔓延してしまうこともある

原因は簡単で 観念的猜疑心が優先して 論理客観的根拠証拠よりも感情的拒否反応が優先してしまうことで恐怖心を煽り 多くの人がデマの方を信用してしまうことに陥るのである

ヒトにはそういう先天的欠陥が存在している

よくわからないものは怖いのだが 本当は世の中わからないことの方が多いのであって ワクチンだけがわからないわけではないのだが 日常的に慣れていることには恐怖心が働かないのが脳の性質である

公園で鳩の群れに自転車が横切る時 鳩は車輪一本分だけしか避けようとはしない 鳩は自転車に慣れてしまっているので 怖くないからである それで安全かと言えば 慣れすぎた鳩が自動車や列車に衝突して死んでいる例は結構多いものである 多少死んでも鳩は多いので 生存とか種の保存には適して絶滅はしない それが「生物」の脳の習性であり どんなに危険だと数値的証拠を出しても ヒトはスマホ歩きだのスマホ運転をやめようとはしない

主観的安心満足が 論理客観的安全性よりも優先してしまうバカが圧倒的に多いのである

 

論理客観的根拠を検証できないヒトというのは どんなに論理客観的証拠を提示しても無駄である

何せ自分の主観的感覚に過ぎない恐怖心や猜疑心ばかりが優先してしまい 自己客観性が全く働かず 「自分だけは絶対に間違っていない」という洗脳状態に簡単に陥ってしまうからである

更には 一度信じ込んだ話がデマであることを認めることは デマを信じ込んだ自分の頭の悪さを認めなければならないため これが気分的に「嫌」なので 認知的不協和を解消する形で気分の悪くなる客観的事実の方を拒絶し続けるようにもなる

デマを鵜呑みにするヒトは 詐欺やカルト宗教にも簡単にカモられる カモられないためにはデマか真実かを見分ける客観性が必要不可欠である

バカのままでいて得をするこた一切ないのである

 

私自身も「ワクチンが絶対に安全」だとは言えない

だが 今入手可能な客観的情報に基づいて考えれば 「デルタ株に感染して重症化するリスクの方が圧倒的に高い」ということは言えるのである

「絶対に安全」だとは言えないのだが それなら「日常生活を送っていて隕石が頭に直撃して死亡するリスク」も存在しているわけで あらゆるリスクというのは程度問題であって絶対的なものではない

太陽光紫外線や自然放射線による発癌リスクまで怖れていたら もはや生きているだけで恐怖になってしまうだろう

飛行機事故で亡くなる確率よりも 街を歩いていて自動車に轢かれる確率の方がはるかに高いのだが 飛行機事故の方が大惨事になりやすく 一度に亡くなる数が多いために 観念的な恐怖を感じる人は多い

飛行機事故の場合 飛行機がトラブルを抱えても乗客は何もできず ただ死ぬのを待つという地獄恐怖時間を体験をしなければならないのに対し 街を歩いていて自動車が突っ込んで来る場合には 自力でなんとか避けるなどの「逃げ道」がありそうなために 感覚的に安心感があるとも言える

ヒトは どうしても完璧な絶対的安全みたいなものを追求しがちな習性があるのだが そんなものは実際には存在しないのである

ヒトは皆必ず死ぬのだが それでも他人の無責任な行動によって理不尽な「人災」で死にたいとは思わないであろう

人為的な環境破壊による絶滅も避けたいと思うであろう

だから自分の責任の範囲内において社会的責任は全うする必要はある

 

ワクチンに対する観念的恐怖心の強いヒトほど 「一人で夜過ごすことの不安」を解消するために複数で密集密接して泥酔したがる傾向や 不摂生な食生活で不健康な傾向が見られる

それはトンチンカンというものですよ

ニコチンだのエタノールで脳を麻痺させることや 不摂生で肥満の方が ワクチンの危険性よりも高いことは 今の所明らかである

メッセンジャーRNAワクチンは臨床での検証がまだ未解明な部分は存在してはいるが むしろアストラゼネカ製ワクチンの方がごく稀な血栓症リスクでも使用が止められていることからも メッセンジャーRNAワクチンのリスクは現状では高いとは言えない

モデルナ製mRNAワクチンによる心臓筋膜の炎症リスクも 重症化の例はほとんどないし 万一発症しても対応は可能だという

「万一」と書いたが 実際の発症例は「数百万分の1」だとか

世界中で膨大な数の接種回数からすれば 何らかの重篤な副反応リスクは今の所低いと見て良い

RNAは体内では分解されやすく 2〜3日で分解されてしまうものだと言われており 現状では危険性は確認されていないのである

 

デマを信じこもうとする人の心理 気持ちは 正直よくわからない

メカニズム的にはわかるのだが 観念的(気持ち的)にはわからないのである

NHKで「コビなび」の「妊娠中にワクチン打ったメンバー」に対する誹謗中傷コメントを真に受けて泣いている映像が流れてたんだが

誹謗中傷なんぞしている奴は相手を悲しませたり困らせたりすることで優位に立ったと勘違いしている変態なので

テレビで被害者が悲しんでいる映像なんぞ流すべきではないと思うのだが

どういうわけかNHKってのは「被害者情報が被害の再発防止に役立つ」などと称して異常なまでに垂れ流そうとする習性がある

国会原発事故調査委員会報告書の一体どこに「被害者の情報」が掲載されているというのであろうか むしろ加害者側の過失や失敗点の方を徹底して調査しているのであって NHKはこれを理解していない

文化系の奴らってのは お涙頂戴感動的お話で被害防止に役立つと思っているフシがあるんだが むしろ加害者側からしたら「コイツら泣いてるよ ヒャッホー」と喜んでしまい 誹謗中傷中毒が悪化するんじゃなかろうかと危惧している

被害者が悲しむ様子に共感できる人なら最初から誹謗中傷なんぞ書かない人なので 被害者の情報を垂れ流す必要性なんぞありゃしないのである

誹謗中傷中毒というのは 他人を貶めることで自分の方が優位に立てたという「感覚(錯覚なのだが)」に中毒になっている いわば「病人」なので 被害者が悲しんだり苦しんだりしている様子を放送しても反省を促すことにはならず むしろ喜んでしまうはずである

「他人の不幸は蜜の味」と言うが そう思っているのは誹謗中傷中毒の精神疾患者だけである

そもそも糞くだらない「便所の落書き」レベルのコメント書き込みなんぞ 頭のイカれた「病人」の寝言戯言に過ぎないのに 何で泣いてんだと 泣くようなことじゃないだろと そんなことで泣くなと 私は思う

まあ 私が主観的に「思う」ことが普遍的なわけではないのだが そんなことで悲しんでしまうからネットいじめで自殺するようなことが起きるんだろうと それこそ「クソリプ」「クソコメ」なんぞ病人の落書きだと笑ってしまうとか 松田ゆう姫みたいに「お前大丈夫か?」的に心配した方が良いんじゃないかと

そもそも「コビなび」メンバーなんだから医師免許持ってるわけで 精神医学だって習ってるだろうと それなら異常な書き込みなんぞしてくる「患者」は むしろ心配して治療に持っていった方が正解なんじゃなかろうかと

私は思う

何かマスコミってNHKに限らず やっていることがトンチンカンで合理性に欠けている

犯罪の再発防止に役立つというのであれば むしろ加害者側の生い立ちとか 生育環境とか 思考の異常性について根掘りん葉掘りん掘り下げることの方が役立つはずである

元暴力団員が「あれは洗脳ですよ」なんて証言していれば暴力団員になろうと思うバカは減るだろうし 誹謗中傷中毒患者の心の闇を暴いてしまえば自分の病理を自覚してやめるだろうと

私は思うのだが NHKの制作者達はそうは「思って」いないらしい

 

 

Ende;

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コソーリ

2021年08月10日 17時45分49秒 | 意識論関連

速読っていうのは 内容を憶えてはいるんだけど 理解はしていない

主観的解釈として「わかった」ような気分にはなっても 内容に間違いや嘘があっても指摘することはできない

「何ページの何行目に何て書いてあるのか」はわかるんだけど

「その内容は論理的に正しい話なのか」はまるでわかっていない

記憶の「量」を自慢しているだけであって 理解能力はチンパンジーレベル

要は「何も理解していない」

養老孟司の著作を速読暗記したところで その内容のどこに論理的齟齬とか論理整合性の破綻があるのかは 誰もわからない

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」も同様

何かが「わかったような気分」になっているだけであって 論理客観的に理解しているわけではない

そもそも論理的には何も論証していないからな

 

悟性だの純粋統覚だの叡智界だの 「絶対に知覚することができない」と明言している話を どうして鵜呑みにできるのか

なぜ「絶対に知覚することができない」と言えるのか

なぜ「絶対に知覚することができない」ものが実存すると言えるのか

その論理的証明は一切されていない

「理性を超越」などと称して論理的根拠や証明を問答無用でパスしているのに それが「哲学」だと 「考えること」だと どうして言えるのであろうか

このことについて世の「哲学者」共は誰も言及すらしたことはない

要するに「デクノボウの群れ」に過ぎないのである

信じたいか信じたくないかは知ったことではない

畑村洋太郎が理解できる形で説明することを 一体誰ができるというのであろうか

畑村洋太郎に説明したら おそらく「お前は頭がおかしい」と指摘されて大学から追放されるのがオチである

だから 誰もしない

コソーリと内緒にしておけば バレないと思っているのであろう

 

 

Ende;

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禁断症状

2021年08月10日 14時46分25秒 | 意識論関連

千住真理子なんか世間的 外見的には「ストラディヴァリウスに呪われた殺し屋」みたいで あんまり羨ましくは見えないだろう

加藤英明も「爬虫類に取り憑かれた研究者」みたいで 世間一般的には「真似したい」と思う人は稀だろう

千住真理子も加藤英明も 世間的評価というか 有名ではあるものの 好きなこと以外にはあまり興味を持たず 外見上はストイック(禁欲的)に見える

当人的には大好きなことに四六時中熱中できていることで満足しているため それ以外の外見的な物質的豊かさには興味がない

本人は楽しい だけど 必ずしも外見的に物質的豊かなようには見えず むしろ禁欲的にそれ以外には興味を持たない

千住真理子はあまり他人への配慮があるようには見えないのだが

加藤英明の方は珍しい海外の爬虫類も大好きではあるものの 日本国内に有害な外来種が繁殖してしまうことには心を炒めて(イヤチガ)痛めている

好きなことに熱中し続けるためには 社会環境が安定して安全で持続可能であって欲しいと思うことによって 人は社会への配慮も働くようになる

他人への配慮が働かないバカというのは 自分が主体的に熱中できて楽しいと思える純粋行為がわからないからである

目先の欲望に囚われて迷惑行為ばかりやっているバカと 「ストラディヴァリウスに呪われた殺し屋」と どちらに人間性や倫理が伴うであろうか

大体において「レベル違いな人」というのは迷惑行為には及ばず あんまり羨ましくはないものの 一応社会的責任判断能力は持ち合わせている

「レベチ」な人というのは 他人からの評価が欲しくてやっているわけではないので 誰からも評価されなくても勝手に好き放題熱中しているから「レベチ」に達してしまっているのである

「レベル違いな能力に達して世間的評価をされたい」という不順な動機ではなく 好き放題好きなことに熱中していたら結果的に「レベチ」人になってしまっていたのである

だから最低限の社会的責任判断はできる

それで良い

人間性や倫理を「競う」必要性は全くない

「俺の方が人間性や倫理に優れている」などと自慢するようなものではないからだ

そもそも「自慢」というのは 他人との比較において「俺様の方がお前らよか上だぞ」という高慢な発想から出てくるものであって 人間性や倫理の論証には全くならない

人間性や倫理というのは 人間の社会性としての最も重要な価値であり どんなに多数で集団組織的に何かをやらかしても それだけで人間性の論証には全くならない

各々が自分の人生の楽しみを持つことによって 個人が自律的な社会的責任判断選択をしていれば 本人の想定外の過失以外の「人災」はなくなるのである

そして 想定外の過失であれば 過失例として共有することで再発防止につなげることで 社会安全性は高めることに貢献することも可能である

しかし 想定可能な危険性 例えば「飲酒運転」などは 本人がバカなのでどうにもならない

「酒」という目先の欲望が優先してしまい 自律的な社会的責任判断選択をしないバカでは どうにも再発防止対策などの「教訓」が導き出せないのである

「悪いことをしては いけません」などという 幼稚園レベルの教育をバカに施しても バカなので耳を貸さないので意味がない

困ったことに バカというのは酔っ払いと一緒で 「自分だけはバカじゃねぇ」と「思って」いるのでタチが悪い

難治性が酷い

目先の満足安心が短絡的に「正しい」ことになってしまっているので 考えが浅く 配慮が足りない

ルカシェンコとか名古屋市長とかヒトラーとか麻原彰晃とか養老孟司とか 挙げたらキリがないのだが 論理的根拠のない嘘でも平気でつくのでタチが悪い

目先のカモを騙して金儲けさえできれば それだけが「意味」だと思っているのである

 

私は別に他人をバカだとくさして「俺様の方が優れている」などとは全く思っていない

むしろ 私ごときでもわかる程度のことすら誰も考えていない大衆マスコミの頭の悪さについて嘆いているのである

私の言っている内容に対して気分が悪くなるとすれば それは自分の頭の悪さに心当たりがあって「図星」だからこそ気分が悪くなるのである

心当たりがないなら 別に「そういう種類のバカもいるんだな」と他人事にしか感じることはない

むしろ 「そんなの当たり前の話だな」としか思っていないはずであり 気分が悪くなることはない

 

洗脳というのは 洗脳されている当人的には気分が良いから洗脳されているのであって

逆洗脳とか脱洗脳のためには逆に気分の悪い状態に陥るのは必然というものである

カルト宗教の信者に「お前の信じている教祖はキチガイだぞ」なんて言ったら拒絶反応を示すでしょ それと同じですよ

脱洗脳をされると気分が悪いものなんです

薬物中毒患者の禁断症状と構造は一緒

 

真実か そうでないかは 論理客観的根拠に基づいて判断すべきものであって 個人の主観的好き嫌いだの「信じたいかどうか」は根拠証明にはならない

真実が何かを区別できなければ そりゃ嘘を鵜呑みにして無意味だったり逆効果なことでも邁進暴走することに陥るのは当たり前の話

皆で仲良く破綻への暴走をしてりゃ 気分的には安心なのかも知れませけどね 論理客観的には安全ではないんですよ

自分における社会的責任の範囲内において 自律的に責任を負うことが 人間としての社会性なんであって 先天的本能習性で論証できるようなものではないんですよ

構造原理的に不可能なんですよ

だから 松沢哲郎の言っていることは「嘘」なんです

わからないのであれば わからないと判断を保留すれば良いんですけどね 理解できないくせに気分的に「信じたくない」と拒絶するのは むしろ洗脳されている故の拒絶反応や 中毒の禁断症状なんすよ

それすら「わかんない」っつうんなら もう知らないよ

 

 


Ende;

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責任の範囲外

2021年08月10日 14時46分25秒 | 意識論関連

以前にも書いたことがあるんだが

甥っ子が小学生の時に プレイステーションでクラッシュ・バンディクーをやっていたのだが

まるで「家事ヤロウ」以外の番組に出演しているカズレーザーみたいな死んだような目でつまらなそうにやっていたので 「それ 楽しいのか?」と訊いたら 「… そんなには…」という答えが帰ってきた

「じゃ 何でやってんの?」と訊くと 「学校で友達と話が合わなくなるから」という どっかで聞いたような答えが帰ってきた

下手すると 小学生がゲームをやるのは ゲームが楽しいからではなく 本当は全員「学校で友達と話を合わせるため」だけにやっている可能性もある

”ゲーム=楽しいもの”という刷り込み(根拠なき常識)でやっているだけであって 本当は誰もゲームなんぞ興味はないのではないか

バーゲンセールで商品を奪い合って欲しくもないものに無駄遣いするのと同じようなもので 状況とか環境に無意識に流され 本当はやりたくもないことを必死になって集団でやっているのではないか

冷静になって考えてみたら 本当はそんなに欲しくもやりたくもないことなのに 皆が競うようにやっているもんだから やらないと損なんじゃなかろうかという「感覚(錯覚)」に流されていることって 結構ありがちなのではないか

それが「無意識」というものの正体である

「冷静になって考えてみたら」ということは 要するに「目先の感情に無意識に流されてやっているだけ」だからこそ「冷静」になれば無駄だと気づくことができるわけで

これって振り込め詐欺に騙されているのと構造的に一緒なんだよな

冷静になって考えれば 「ウチの息子や孫は犯罪や事故に本当に巻き込まれているのかしら そもそもお金払って刑を免れることなんてできるわけないのに」って気づくことは簡単なはずである

「約束手形をなくした」なんて話であっても 冷静に考えたらなくした手形は銀行に停止してもらって新しく発行すれば良いだけの話であって 「何でアタシが肩代わりしなくちゃならないの?」って気づくことは簡単なはずである

そもそも取引のない銀行に他人の手形持っていって現金化することなどできるわけがないだろ

何千万円もの大金を即日に工面できるほどの資産がありながら 手形がどういうものなのかを知らないというのは随分おかしな話である

 

何が言いたいかというと 目先の感情が論理客観性を失わせることこそが 「無意識」に無駄な行動を採ってしまう原因であるということ

それなら 意識の本質とは何かと言えば 自ずと「冷静になって論理客観的に考えてみること」なのである

バカというのは冷静に物事を考えることを「人間味がない」だとか形容して 頭ごなしに否定したがるが ヒトという種の生物が先天的にバカで欠陥を持っている以上 ”人間味=人間性や倫理”という方程式は成立しない

カモが騙されて暴力団に資金提供しておいて 「人間性」があることの論証になどならんだろ

感情というものは先天的に組み込まれた本能習性に起因するものであり かつての祖先がかつての生存環境にとって有利になる適応的行動習性が組み込まれているに過ぎない

だから焦って感情的になると冷静さを簡単に喪失してバカみたいな無駄な行動でも達成するまでやめることができない

何を達成するのかといえば 「気分的に安心満足するまで」という主観的な達成感だけであって 別に合理性があるわけではない

論理客観的な合理性ある安全性の保証が確認されるかどうかに関係なく 主観的安心満足することだけを「達成」しようとする

ヒトとは そういうものなのである

だが これは「結果」であって「目的」でも「考え」でもない

こういった欠陥が先天的に存在することを踏まえて 気分感情だけに流されることなく 論理客観的に物事を把握しないと失敗する可能性が高いことを自覚しておく必要性がある

ヒトという種の生物は先天的にはバカで欠陥があるものだが 欠陥がどういうものなのかを理解し 把握し 論理客観的に検証(考え)することで バカげた行動に陥らないように回避することができる

 

他人と比較して特定の能力が高いことを自慢して まるで人間として優秀であるかのように錯覚して満足することは簡単であるが クイズの正解率だの学力試験やIQの偏差値だのは それだけでは人間性としての価値基準には全くならない

本当の人間としての価値基準とは 他人と比較できるようなものではないからだ

個人が自律的な社会的責任判断をするのは むしろ人間として当然のことであって 褒められなくても評価されなくても 逆に組織から排除されるとしても全うする必要がある

原発の安全担当者が 原発の津波に対する脆弱性放置を「東電の組織体質が悪いからだ」と言い出しても そんなもん言い逃れにもならない

社会安全性や持続可能性を追求しても 金にもならなきゃ評価にもなりゃしない

それでもやるのは 自分が生きていく上で破綻することがわかっている社会には生き続ける必要性が論理的に存在しないからである

「人が人を殺してはいけない理由」はないが 「人が人を殺してまで生き続ける理由」もまたないのである

生存そのものにいくら執着しても いつか必ず死ぬことからは逃れられない

自己の生存にとっていくら有利な行動を選択しても 社会全体が破綻してしまったのでは自分が何年生き延びても 人間として満たされる人生にはならない

論理客観的に考えれば それは明白であり 何が本当に「正しい行動なのか」は誰もが「知って」いるのである

それともバカ過ぎて理解できないバカしかおらんのか?

まあ 養老孟司の「バカの壁」だのイマヌエル:カントの「純粋理性批判」なんぞを鵜呑みにしているようなバカしかおらんのなら 本当にバカしかいないのかもね

そらもう私の責任じゃないからな

とてもじゃないが面倒看きれないよ

 

 

 

Ende;

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知る由もない

2021年08月10日 12時23分57秒 | 意識論関連

小田急線で刃物振り回して暴れた男は中央大学理工学部に入学していたそうだ

中退したともあるが

中央大学理工学部の偏差値は55.0~57.5だそうで

通り魔の類いは高い確率で学生時代に学力が高い傾向が見られる

偏差値は高いが サラダ油でテロができると思っていた無知でもある

理工系に進学したにも関わらず 可燃性の高いものが何なのかを知らないというのは本当は別に理工系に興味があったわけではなさそうだ

主体的な「目的」がないんだろう

だから他人との比較や物質的豊かさにしか興味がない

「目的」がないというのは 「本質的な意識」もないことを意味する

だから 理工系学部に進んでいても 論理客観的検証という「考え」は働かない

逮捕直前コンビニ店内で見知らぬ他人に「握手しておきますか? 俺有名になるんで」などと言ってたそうだ

多分「有名になる」ことが短絡的に「勝ち」か何かだと勘違いしているらしい

凶悪犯罪者というのは 時折「歴史に残る犯罪を犯してやる」だとか言い出す奴がいて 「何人殺したか」などという数字にこだわったりすることがよくある

要は価値観が幼稚なのだが 脳が育たなかった原因というものを検証し 同じ様なバカが出てこないように対策を立てないと 何度でも同じ様なバカは再生産され続けることになる

被害者に死者がいないことから 司法は殺人未遂だとか称して懲役刑で済ますつもりだろう

だが 強盗殺人で25年刑務所に入れても出所後すぐに殺人を犯す例もあることから 懲役刑に再犯防止の効果を期待すべきではない

社会安全性の観点からは 意味が全くないのである

更生治療も重要だが それと同時に「なぜ無差別殺人などという誰にも得にならない非合理な行動を採ったのか」についての論理客観的原因検証によって 似たような発想に陥るバカを再生産しない対策が必要不可欠である

「勝ち組」などと称して 収入や資産の「量(数字)」だけで あたかも人間として優秀であるかのような錯覚に陥っている価値観を鵜呑みにするようなバカを再生産しない必要がある

「勝ち負け」などというのは 結局金銭だの地位権益だのを基準にしたものであって 本質的には「人間としての価値」にはならない

ゲームじゃねぇんだから

「東大に合格したら勝ち組」だとかいうのも 東大医学部の学生が地下鉄テロをやらかした事実を無視したデクノボウの発想であり テロリストや通り魔の多くは「学生時代に学力が高い」という傾向を 多くのヒトは忘れているのである

現状の学校では 学力偏差値こそが価値であるかのような教育をしているため 生徒の価値を偏差値だけで測っているからこそ 生徒の多くはその価値観を鵜呑みにして 何の疑いも持たずに「偏差値さえ高ければ褒められる勝ち組なんだな」という妄想錯覚を鵜呑みにしてしまうのである

別に路傍の花の色や夕焼けの空の色に関心を持たなくても構わないのだが そういった些細な世界の美しさに気づけない時点で精神に余裕がない証拠である

他人との比較は競争にしかならない

競争であれば他人を蹴落とすことも正当化される

卓球などのスポーツなら 相手が嫌がることをわざとやったりするものだが それはルールに基づいた「ゲーム」の中だけの世界であり 単なる「お楽しみ」「お遊び」の域を出ない

それでも 熱中できることがあれば その熱中できることを続けるためには社会の安全性や持続可能性にも配慮が働くようになる

重要なのは 勝ち負けという結果ではなく 好きなゲームに熱中して楽しめるという純粋な行為 その過程に「個人的な価値」が存在するのである

下手くそなプログラミングや造形やプラモデルや写真であっても 個人的に楽しいと思っているからこそ それを続けられる社会にも配慮ができるようになる

勝つ必要性は特にない

卓球だってオリンピックで金メダルが獲れる人は4年に一人だけであり それ以外に何の価値もないわけではなく 温泉卓球でも「楽しい」なら 個人的価値にはなる

自分が個人的に楽しいと思えることを続けるためには 社会が安定して安全で持続可能であることが大前提だからであり 自分が楽しんでいることを他人から評価順位をつけられる必要性はない

勝ち負けというのは「他人が作った特定の基準」に基づいたものであって 自分自身の価値観とは必ずしも合致するとは限らない

勝つことを目的にしているから「迷惑な撮り鉄」だとか「迷惑系ユーチューバー」も出てくるようになる

フォロワーだの閲覧数だの「いいね」だのといった数字を競っても それで人間としての価値が決定するようなものではないことは バカでなければわかるはずなのだが バカというのは後を絶たない

原因はわかっている 評価承認欲求中毒だけが価値の全てになっていて 他人との比較でしか物事の価値を判断できないからである

 

人間性や倫理性は他人とは比較競争ができない というか 比較競争するようなものでは最初からない

自分が主観的に楽しめる人生を送れる社会の安全性や持続可能性を 自分が求めているから発揮されるのが人間性や倫理であって

評価承認欲求に意識を奪われて他人との比較競争にしか価値を見いだせないからこそ 個人的な人生の楽しみ 純粋行為に価値を見いだせなくなるのである

いうなれば 目の前の吊るされたエサに意識を奪われ 自分の人生全体の「目的」を見失っている状態である

多くの人が欲しがるエサの奪い合いに意識を奪われ 本当に自分が欲しいものが何なのかがわからない

まるで「バーゲンセールで欲しくもない商品の奪い合い競争で無駄遣いするバカ」と一緒である

だから何でもかんでも「どうすれば良いんですか」という質問ばかりをし続ける

もはや機械か蟲である

条件反射的に「どうすれば良いんですか」としか訊いてこない

終いにゃ「私は何が好きなんですかね」的な質問までしてくる始末である

お前の好き嫌いなんぞ俺が知るかバカ

 

 

Ende;

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バカの温床

2021年08月09日 14時00分02秒 | 意識論関連

他人を見て 外見的に「楽しそう」だったり 「豊かそう」だとしても それは外見を取り繕っているだけに過ぎない可能性は充分にある

他人との外見的比較というものには根拠がなく あくまで物質的な豊かさしか判別がつかない

個人における本当の「充足」や「満足」とは あくまで個人的で主観的なものであって 他人と比較することは構造原理的に不可能である

なぜならば 安心満足とはなどの脳内物質が大脳辺縁系の反射によってもたらされるものであって これは他人とは共有不可能な個人的なものに過ぎないからだ

脳が別物である以上 どんなに他人と共有共感したような感覚を得ても それは錯覚に過ぎない

作家の又吉直樹はこう述べたことがある 「これを言うと皆に気持ち悪がられるんですけど 本当は他人の気持ちはわからない」と

真実は必ずしも気分が良くなるわけではない

 

外見からは物質的な豊かさしか推し量ることはできないため 他人との比較では本当の個人的な精神的満足充足とは相関がない

「自分は凡人だから 落ち込む」だとか 「幸せそうな他人を見て羨ましい」というのは他人との関係性に順位序列を求める欲求に因るものであって 本質的な幸福である精神的満足充足が何かを「忘れている」か 「知らない」からである

要は錯覚に過ぎない

それこそ 「幸せそうな他人」を攻撃したところで自分の境遇が満たされる訳でもないのに暴力で解決しようとするのはトンチンカンな錯覚妄想以外の何ものでもない

世の中には不公平や理不尽なことは存在していることは確かであるが その原因を論理客観的に究明して地道に具体的に改善しないことには不公平や理不尽は解消しない

目の前の外見的に「幸福そうな他人」との比較で自分を不幸だと嘆き錯覚しているのは意味がない

実際の世の中には絶望的に不幸な境遇の人というのもいて ミャンマーのロヒンギャ難民のように親族全員虐殺されて幼い妹を抱いて命からがら逃げ回っている子供というのもいる

太平洋戦争のさなかであれば 日本でもにたような境遇は山ほどあったのだ

広島長崎の原爆犠牲者や 沖縄戦犠牲者達の境遇からすれば 貧乏だの「思ったとおりにならない」だのは不幸のうちに入らない

むしろ 純粋に個人的に楽しめることに熱中していれば 「思ったとおりにならない」こともまた楽しみの一つとして捉えることができるのである

たとえ個人的に楽しみ熱中できることがあるとしても 近所の子供が酔っぱらい運転で轢き殺されていたのでは楽しみも何もわからなくなるものである

それなら 本当の幸福とは何かと言えば 自分よりも恵まれていない他人をどうやったら救うことができるのか どうしたら理不尽な暴力や事故が減らせるのかを考えることの方が「人間」として正しいと言える

目の前の表面的な「物質的豊かさ」に惑わされることなく 本当の不幸を解消しないことには誰も本当の幸福は得られない

犯罪者を多数で糾弾しておけば 気分的には正義の鉄槌を下した快楽に溺れることで満足することはできるであろうが それで理不尽な暴力がなくなるわけもなく むしろ「罰」という名の合理性のない暴力威圧によって本当の原因は「なかったこと」にされてしまうのである

バカがバカを殴って満足しているだけなので 本質的には何も解決しない

刑法廃止とは言っても 警察による取り締まり自体をなくすわけではなく むしろ刑法罰を後回しにして危険性の予兆段階から関与できることによって予防的対策にも取り組むことも可能となるのである

満員電車で包丁振り回すバカを取り押さえて社会から隔離することは必要だが 罰を与えてもバカが治るわけではない

もし社会に復帰させるのであれば 判事が法手続きに基づいて勝手に決めた「判決」は犯罪者更生において合理性がなく 実際再犯率は50%近く存在しているのであり ほとんど意味がない

判事が「更生の余地あり」とみなしたところで 本当に更生するかどうかは誰も責任を負わないのが現状の刑法裁判の実態である

誰も責任を負わず 具体的な再発防止にもつながらない制度手続きだけで「解決」にされている無責任さを 放置している民衆にも責任の一端はある なぜならこの国は一応制度上は民主主義を導入しているからである

犯罪者に更生の余地があるのかないのかは 本当は実際に「治療」してみないことにはわからない

どんなに軽微な犯罪であろうと 被害が少なかろうと 重大な被害を及ぼす危険性があるなら徹底して更生治療を行ってから社会復帰させるべきであり 刑事裁判による「判決」には社会的な意味としての安全性の保証が何もないのである

被害が何度繰り返されても 検察や判事にとっては「知ったことではない」のである

検察や判事は法律に基づく手続きさえしておけば「業績」であって 再発防止や原因究明には何の興味も持たない

「法律は人類の財産だ」などと称して 価値のない飾り物に過ぎぬ刑法にすがって実効性のない制度に依存することをやめられないのは 根拠のない因習に対する感覚的安心感による錯覚に過ぎない

「ヒトは 永く続くことは永遠に続くと錯覚しがちである」とは 経済心理学の見解であり これは経済活動に限ったことではない

そもそも「経済」の真意目的が「民を救う」ことである以上 むしろ社会安全性の追求こそが「経済」それ自体なのである

 

世の中が理不尽であることを理由に 理不尽な行為が正当化できるわけではない

「地下鉄に毒ガス撒けば人類の救済だ」とか 「大量殺人をすれば解決だ」といった短絡的でバカげた結論しか導き出せないのは 物事を深く考える知能が全く働いていないからである

著しく考えの浅い重大なバカが出てきてしまうのは 大衆の大半が浅い考えしか持っていないからであり 「バカの温床」になっているのである

ヒトの多くは多数がバカなら自分もバカでも許されると「思って」いるが 社会の問題は「許す許さない」の話ではなく 問題自体が解決するかどうかは個人の判断に依るものであり 主観的安心満足とは無関係なのである

 

 


Ende;

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