簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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食べたまま、書いてます。

墓原(四国遍路の旅・高野山編)

2016-01-06 | Weblog
 「墓原」とはよく言ったものだ。まさに言いえて妙の観がする。
およそ20万基とも言われているが、おそらく誰も正確には数えられないの
では・・・と思えるほどの墓標や供養塔、常夜灯などが林立している。



 騒々しく観光バスやマイカーが行き交い、カメラを片手に店先を冷やかし
ながらそぞろ歩く観光客で賑わう通りから外れ、「一の橋」を渡ると周囲の
風景は一変する。

 真っ直ぐに天をさすように伸びる古木の数々にまず目を奪われる。
そしてその両側に、苔むす大小無数の墓群である。まさに「墓原」だ。



 そこは「奥の院」に続く道、樹齢千年を超えると言われる杉の巨木が聳え、
その中に「弘法大師御廟」に至る二キロの参道が伸びている。
うっそうと茂る木立が空を隠し、辺りは森閑として、そんな隙間から差す光の
陰影が霧をかけたように微かにかすみ、何やら神秘的でさえある。





 実に多彩である。
ごく普通の一般家庭の墓標もあれば、歴史の教科書でお馴染みの武将や
大名から、芸能人、文化人、実業家さらには会社や企業、戦没者など、果て
は他宗派の法然や親鸞の墓もある。
それらが分け隔てもなく混然一体となってこの特殊で特別な神秘空間を作り
上げている。



 川中島で相対した、信玄と謙信はいまだに参道を挟んで対している。
高野山焼き討ち直前で本能寺に倒れた信長も、その遺志を継いだものの木
食応其和尚に説得され断念した秀吉も、誰もがここに安堵の地を得ている。
しかし光秀の墓は、何度立て替えてもヒビがはいると言われ、信長の怨念
か・・・などと、ここはミステリアスな場所でもあるらしい。(続)



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