「墓原」の途中、中の橋を渡ったところに「汗かき地蔵」の小さな祠があり、
その横に「姿見の井戸」があった。
上から覗いて、水面に顔が映らないと三年以内に死ぬとの言い伝えがある
らしい。若い女性が恐る恐る覗いていたが、振り返った笑顔につられ、勇気
を出して覗いてみると・・・どうやらまだ三年は生きられそうだ。
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参道はいよいよ「奥の院・大師御廟」に向かう「御廟橋」を渡る。
昔はこの川で体を清め廟前に進んだと言う。今でもここからは飲食も撮影
も禁止である。当然脱帽し、一礼の上、霊域に入ることになる。
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霊廟への道は、途中で転ぶと三年以内に死ぬとの言い伝えがあるそうだ。
そのため石段は「しに」を超える意味から43段あると言う。
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御廟の前に建つのが灯籠堂だ。
二万基以上の灯籠で満ちている。1000年以上の不滅の燈明や、おてる伝
説「貧女の一灯」などがともされていて、この奥が、空海が835年に永遠の
瞑想に入ったと言われる「御廟」である。
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優れた知恵や法力を得るため、深い瞑想に入ることを入定と言うらしく、
空海は高野山で入定したのだとされている。
したがって亡くなったのではなく、今もこの地で生き続けているのだ。
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この地では昔から、生きておられるお大師さんは、雨が降れば高野山に
留まっているが、晴れれば全国を歩き回り、この地を留守にされていると伝
えられている。
今回の歩き旅は、暑からず寒からず、秋晴れのいい天気に恵まれ幸いで
あったが、残念ながらお大師さんの留守にお邪魔してしまったようだ。(完)
遍路歩き旅 京・羅城門~高野山・奥の院『フォトチャンネル』アップしました。
鳥羽街道 京・羅城門~八幡・石清水八幡宮
東高野街道 八幡・石清水八幡宮~河内長野
高野街道 河内長野~高野山・女人堂
高野山 高野山・大門~奥の院
「四国遍路の旅・高野山編 結願成就の道」 ホームページにアップしました。
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その横に「姿見の井戸」があった。
上から覗いて、水面に顔が映らないと三年以内に死ぬとの言い伝えがある
らしい。若い女性が恐る恐る覗いていたが、振り返った笑顔につられ、勇気
を出して覗いてみると・・・どうやらまだ三年は生きられそうだ。
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参道はいよいよ「奥の院・大師御廟」に向かう「御廟橋」を渡る。
昔はこの川で体を清め廟前に進んだと言う。今でもここからは飲食も撮影
も禁止である。当然脱帽し、一礼の上、霊域に入ることになる。
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霊廟への道は、途中で転ぶと三年以内に死ぬとの言い伝えがあるそうだ。
そのため石段は「しに」を超える意味から43段あると言う。
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御廟の前に建つのが灯籠堂だ。
二万基以上の灯籠で満ちている。1000年以上の不滅の燈明や、おてる伝
説「貧女の一灯」などがともされていて、この奥が、空海が835年に永遠の
瞑想に入ったと言われる「御廟」である。
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優れた知恵や法力を得るため、深い瞑想に入ることを入定と言うらしく、
空海は高野山で入定したのだとされている。
したがって亡くなったのではなく、今もこの地で生き続けているのだ。
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この地では昔から、生きておられるお大師さんは、雨が降れば高野山に
留まっているが、晴れれば全国を歩き回り、この地を留守にされていると伝
えられている。
今回の歩き旅は、暑からず寒からず、秋晴れのいい天気に恵まれ幸いで
あったが、残念ながらお大師さんの留守にお邪魔してしまったようだ。(完)
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東高野街道 八幡・石清水八幡宮~河内長野
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