簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

旭川と京橋界隈(はれのくに)

2016-02-15 | Weblog


 後楽園や岡山城の有る辺りから、旭川の堤防に設けられた遊歩道を南に下る。
ここらあたりは岡山城内の武家の郭から、町人町である三の曲輪へ通じる要衝の
地に当たり堤防沿いにも当時の石積みの遺構や門の跡が残されている。





 更に南下すれば大正時代に建てられた「火の見櫓」、「岡山県里程元標」、延宝
九年との刻印の有る「旧京橋の橋脚」、世界で初めて空を飛んだ「表具師・幸吉の
碑」などもある。ここらあたりが京橋界隈と言われるところで、江戸から明治の中頃
まで岡山城下の中心的な場所であった。



 この地は山陽道と旭川、陸路と川湊、その結節点として水陸交通が栄えたとこ
ろで、江戸時代にはここに城下最大の「京橋」が架かっていた。
その弘化4(1847)年の渡り初めの様子を描いた木版画が橋の袂に置かれている。



 京橋が跨ぐ東中島と西中島の周辺は、昭和の中ごろまで一大歓楽街として大い
に名を馳せていたところだ。サーカスや芝居小屋、幻灯写真や手品・剣舞を見せる
店、氷屋や飲食店が立ち並び、娼家が50軒余り、抱える遊女が200人余りと言う賑
わいを見せていたらしい。



 夏目漱石は、松山に帰省する途中一か月ほど、この付近にあった次兄の妻の実
家に逗留し、ここから松山にいる正岡子規に手紙を出している。

 『東南に京橋を望み、夜に入れば河原の掛茶屋無数の紅燈を点じ、・・・』
更に『宛然たる小不夜城』と、納涼の小舟や町を行きかう人々の様子を伝えている。
今京橋界隈にその面影を残すものは殆ど残されていない。(続)


  

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