廃止された「番町線」の次の電停「後楽園口」は、現在の弓之町東付
近に有った。
ここは文字通り「岡山後楽園」の入口に一番近く、最寄り駅である。
岡山後楽園を訪れる客は、ここで路面電車を降り、旭川の堤防に向け緩
く上る道を辿ることになる。
この道が現在の後楽園通りだ。
坂を登ると途中左手に、黒い焼き杉の外壁に、白い虫籠窓が映える和風
の建物が見えてくる。明治期に建てられた「旧福岡醤油」(地上2階地
下1階建)で、戦災で焼失を免れた数少ない建物の一つだ。
廃業後暫く放置されたままであったが、近年「福岡醤油ギャラリー」に
生まれ変わっている。
その先で旭川に架かる橋を渡ると、正面に「岡山後楽園」の森が見え
てくる。後楽園が築園された当初は、ここには藩士が御用で利用するだ
けの簡単な仮橋が架けられていた。
元々藩主は、園を利用する場合、お城から旭川を舟で渡っていたので、
立派な橋は必要が無かったのだ。園には御舟入(おふないり)の遺構が
伝えられていて、近年その全容が発掘調査で明らかにされている。
その後木橋に架け替えられるが、度々の旭川の水害で流されている。
恒久的な鉄筋コンクリートの橋が架かるのは、昭和5(1930)年の事。
長さ147.6m、幅7.5m、高欄には檜材が使われ、擬宝珠や銅製の行灯
(アンドウ)で飾られた立派なもので有ったそうだ。
築園当時から後楽園では、めでたいことの象徴としてツルが飼育され
ていた。
そんな園内の様子が、ここから望まれ、鳴き声も聞かれたのであろうか?
新しく架けられた永代橋は、「鶴見橋」と名付けられた。(続)
にほんブログ村