簾 満月「バスの助手席」

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軽便鉄道 (西大寺鉄道廃線跡を歩く)

2021-08-25 | Weblog


 「軽便(けいべん)」
線路の内側の最短距離を「軌間」、或は「ゲージ」と言うが、この鉄道
は914mm(3フィート)で、俗に「軽便(けいべん)」と言われた。
嘗て岡山にはこの鉄道が走り、市民からは親しみと愛情を込めて、「け
えべん」と呼ばれていた。



 明治時代富国強兵を目指す政府により、鉄道国有法が公布されると、
私設鉄道の施設出願が激減し、地域開発の推進が後退する結果となった。
慌てた政府は、それを補完する目的も有り、かなり規制を緩めた「軽便
鉄道法」を公布する事になる。
これにより国内各地では、俄に「軽便鉄道」ブームが起きたと言う。



 ここ岡山の西大寺地区地に、鉄道建設の機運が高まるのは、やや遅れ
た明治も終わりに近づいた頃だ。
世の中が、日清・日露の戦勝景気に湧き、地方経済の開発機運が高まり、
鉄道の有用性が伝えられる中、この軽便鉄道法の施行が強力な後押しと
なったようだ。



 俗に軽便鉄道と呼ばれる鉄道は、当時の国鉄の標準軌道である1067
mm以下の軌間を有する鉄道を言い、一般的には762mmが多かった。
ところが西大寺軌道(後の西大寺鉄道)は、914mmの採用が決められ
たが、これは全国的に見ても非常に珍しい存在であった。



 地元有力者や支援者を中心に、鉄道創設委員会が組織され、敷設免許
の申請が行われた。
株式5000株を発行し公募する中、地元西大寺町が凡そ3割を負担した。
残りの株の外部公募を行った結果、二三の大株主に買われ、資金の目処
が立ったらしい。
こうして西大寺軌道株式会社が設立されるのは、明治43(1910)年7月
の事だ。(続)





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