何年ぶりかに、堀川に架かる「景雲橋」を訪ねてみた。
故郷を出て半世紀以上、毎年訪れる墓参りでは、時々車で通り過ぎはす
るが、一度も寄る機会がなかった場所だ。
ここは、多感な少年時代を過ごした懐かしい地である。
お城を中心としたこの辺りは、いまでは整然と区画され、官公庁や企
業の近代的なビルが建ち並び、所々には綺麗に整備された公園もある。
以前はこの近くには大きな病院が有り、周辺の鬱そうとした森は昆虫
の宝庫で有った。近くの堀川やお堀は格好の釣り場であった。
城の北側の広大な練兵場の跡は、冒険心をくすぐる遊び場でもあった。
明治44(1911)年、この「景雲橋」の近くに鉄道の駅が開かれた。
「セトデン」と呼び親しまれた瀬戸電気鉄道の「堀川駅」である。
すでに開通していた瀬戸と大曽根が延伸されたもので、線路は名古屋
城三の丸の空堀の底に敷設され、車窓からは石垣しか見えず「お堀電車」
とも呼ばれていた。
瀬戸で生産される陶磁器を、ここで舟に積み替え堀川を使って運搬す
るためでもあった。
小学生の頃、陶器の町・瀬戸へ遠足に行った記憶が微かに残っている。
駅は名鉄江川線(後の市電)や、市バスへの乗り換え接続駅でも有った。
後に瀬戸電は名鉄と合併し「名鉄瀬戸線」と成り、昭和51(1976)年
には念願の栄町への乗り入れが実現し土居下から堀川の間が廃止された。
東海道を宮宿まで歩いた後、熱田神宮まで行き、名鉄神宮前から名古
屋駅に出て、市バスで移動した。
バスセンターで、若い案内員に「景雲橋に行きたいが・・」と尋ねると、
「そんなバス停は有りません」とつれない返事。
市電は廃止されたが、市バスも停留所が有ったはずと、路線図で「こ
の辺りだが・」と尋ねると、「あっ!それなら図書館前です」と言う。
半世紀以上も経てば町も変わるものである。(続)
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